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心の翁

どこからが意思でどこからが心でどこからが我儘なのか、私にはわからない。

自由に、自分らしく、ありのままで、心のゆくままに、そういう言葉に苦しむ私を私らしさと呼べばいいのだろうか。

幽霊のように、地に足をつけず、諦念に乗って微笑っていればいいのか。今更死にたいとも思わないし、生きることへの熱量が無くとも生きているだけで体内でカロリーは燃える、生きているだけで消費しなければいけないし、お金はかかるし、人とも関わらなければならない。

私の中に、いつも老人がいる。翁、のような。私が歳を取ればその翁も歳を取る。確実に私より先に死ぬ筈だ。いつから居たかわからないし、特段私に味方してくれるわけでは無い。年中晩秋の心の中で枯れ木を眺めている。誰だろうか。特に何を言うわけでも無い。仙人の類でも無さそうだから、やはり私より先に死ぬだろう。

私の中で死んだ翁の魂は何処に行くのだろうか。お前が羨ましい、そうやって、上手に流されている。私は未だに執着している。何もかも捨てたフリをして、その実、諦められていない。しかし、若い頃は何を諦めないでいたのか、その事象をわかっていたのに、今は何を諦められないのかもわからなくなった。

翁、そいつは知っている。きっと。もがいている私の仮装の世間への投げやりな姿勢を見抜いている。

逝く前に、私に何か言うことがあるだろう。
遺言ならいつでも聞いてやるからさっさと何かを喋ったらどうだ。いつからそこに居ていいと私の許可を取った。もう間も無く吹き荒ぶ。みぞれが間も無くお前の肩に伸し掛かる。あられがお前の頬を打擲する。

待てなくなった。
私は再び、無を有と偽って、歩かなければならない。命が終わらない。ならば行くしか無い。いつまでもお前は知ったような顔で私の中で暮らすのだな。

追い出しようのない、精神に根を張る。図々しさ、養分、どちらがどちらへ?

再び、私は「らしさ」という風潮に苦しめられる。個性すら強要される、オリジナルを叫ばなければならない。知っているぞ、そんなもの無い方が周りはいくらでも楽であると。
知っている、だから出来る。苦しくとも、何を出せと言う。何も無い。なにが、らしさ、だ。

みんな違ってみんないい。
君は君のままでいい。

それで救われない人間のための言葉を早々にオーダーメイドしたくとも、シャッター街。

みんなと違う私、
認められない私、

そんな私もいない。
付和雷同、満たされてしまった承認欲求。

唯一、この世界で永遠に私は乾いている。
芸術、この世界で私は念願の幽霊でいられる。

爆発も無い。違いなど無い。アベレージ。

翁、お前だってそうだ。私の中に居る内、私と同じなのだ。何かありそうな顔が上手いだけの、私と同じの、モブA〜Zのどこかだ。アルファベットぐらい選べたらいいが、それも私たちには許されないらしい。力のある奴が好きなアルファベットを選ぶだろうし、好きな時にどの役にでもなれる。実力だろうが金だろうが、持っているものを好きに使って何が悪い。あるのは私の卑小な不満だけだろう。卑屈になれば楽だな。頓服。根本の解決は無い。

つまらないな。
この文章も。
何もかも味気ない。

無味乾燥、器用貧乏、諦めさせて、訳ありげな、空疎な文字を捨てさせて、何になりたいのかもわからないで、何を書いているんだ。

何を読まされているんだ。

正しい感想。
個性を持つ、スペシャルなあなたへ。

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