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8.ずっと夢見ていたプロ契約オファーを断ってまでも、チェコからアメリカに渡った理由

皆さんこんにちは!三浦優希です。
今回の投稿では、私の人生の中でも一つの大きなターニングポイントとなった、「チェコからアメリカに挑戦の場を移した理由」について詳しくお話させていただきたいと思います。それでは今回もよろしくお願いいたします!

2013年、高校2年生の途中から早実を離れチェコに挑戦を始めたことは過去の投稿で書かせていただきました。当時の私は、小さい頃から憧れていたチェコのアイスホッケーリーグでプロ選手として活躍することが一番の目標でした。もうすこし具体的に言うと、所属チームであったクラドノのシニアチームと契約を結ぶということをずっと目指し、ジュニア時代を過ごしていました。アメリカになんて全く興味を持っていなかった私。最初は本当に行く気もありませんでした。行く気がないというよりは、そもそもそんなこと思いつきすらしませんでした。NHLという舞台に憧れは抱いていたものの、チェコに渡った段階で「俺はここでプロになる」という意思を持っていたし、「アメリカでプレイするなんてまずありえない」といった感じでホッケーキャリアの選択肢にすらあがりませんでした。
しかし、こんな私の考えが変わる瞬間が訪れます。それは、ジュニア2年目のことです。

1年目でそれなりに結果を残すことができた私に、うれしい出来事が起こります。それは、シニアチームのトライアウトメンバーに呼ばれ、シーズン開幕までプロ選手たちと混ざってトレーニングをできる機会が与えられたことです。ジュニアチームからは4,5名がそのメンバーに呼ばれました。コーチ陣からしたら、「経験を与えてやるために呼んだ」というだけだったかもしれませんが、私にとってそこはずっと憧れだった舞台。「ここで結果を残せばシニアとプロ契約できる!」と強い意志を持っていました。キャンプ初日、初めて入るシニアチームのロッカールーム。ジュニアとは比べ物にならないほど大きく綺麗で、「俺はここに足を踏み入れることができたんだ」と心から感動したのを覚えています。ロッカーには、契約をすでにしている選手、ほかのチームから来たトライアウト組、そして私を含むジュニア選手組が集まりました。チェコトップリーグで何年もプレイしていた選手や、元代表選手、NHLでの経験があるベテランをはじめ、目の前に普段から試合で見ている選手たちがいることに興奮しながらも、「ここでアピールしてなんとしてでもプロ契約するんだ」と熱い気持ちが湧いてきました。なんだかチェコに初めて来たときの感覚と似ていました。

実際に練習が始まると、ジュニアとの違いをすぐに肌でびりびりと感じました。パス、シュート、スキル、フィジカル、スピード。当たり前ですがすべての面で格段にレベルが違います。ほとんどが年上、中には40歳近くの選手もいるのに、彼らは全く衰えを感じさせないし、むしろ常に落ち着いてプレーをしていて「こいつらホッケーうまい・・」とシンプルに圧倒されました。私が個人的に感じる経験豊富な選手の特徴として、パックを置く位置が非常にうまいことが挙げられます。自分がパスをもらう前に状況をすでに把握していて、パスをもらってからも足を動かしながら相手のスティックが届かない位置でパックを保持し、逃げながら空いている味方を探してそこにパスを出せる。相手がこのように動いたなら、自分はこうすれば対処できるという法則を知っているように感じました。そんな彼らと練習をする時間は、毎日多くの学びがあり本当に素晴らしい時間でした。

昔からずっと変わらないのですが、「自分自身が現在進行形で成長していることが手に取るように分かる瞬間」というのが人生の中でもまれにあります。上手く言葉で表現するのが難しいのですが、神経が研ぎ澄まされて周りが静かになったように感じて、その瞬間で起こっているすべての経験が直接体にしみこんでくるような感覚です。そのあとに体の芯から熱いものが湧き出てくるように感じます。この現象は主に、自分の実力よりレベルの高い環境、上手な人達、年上の選手たちと交じってホッケーをするとよく起きます。中学一年生の時に初めて東京選抜に呼ばれて中三の選手たちと一緒にホッケーしたときや、小学生の時に父に連れられて社会人の人たちと練習したときなどにも似たようなことが起こっていました。そして、クラドノシニアチームの練習に出たときはこの”感度”が人生の中で最大でした。この何とも言い難い感覚はおそらく、「体がそのレベルに適応しようとリアルタイムで進化している状態」だと私は思っています。

トレーニング期間が始まって数週間が経つと、クラドノ出身の現役NHL選手数名たちが一緒に練習に参加するようになりました。世界トップレベルで普段から戦っている選手たちと練習できる環境に自分がいると思うと本当に興奮しました。そして、NHL組やクラドノのトッププレイヤーたちと日常を過ごしているうちに、私は彼らに共通しているある事実に気づきました。それは、彼らのほとんどが若い年代(20歳前後)の段階で「北米に挑戦していた」ということです。調べてみると、アメリカ・カナダのジュニアリーグもしくはプロでの経歴がありました。みんな流暢に英語を話すし、何より彼らは、「球際の強さ」が国内選手たちとは違いました。実際に一緒に練習をしていると、1対1の状況を打破して何とか活路を見出すプレイがとても多く見受けられました。この時私は初めて、「自分の課題である強さを磨くヒントは北米にあるのかも」と心の中で思うようになりました。とはいっても、そう思っていただけで実際に自分がアメリカに渡ることは全く考えていませんでした。

結局、第一次メンバー選考は通過できたものの、その後シーズン開幕が近づくにつれてメンバーも補強され、シニアチームでの練習が始まって1か月ほどたった時にジュニアチームに送り返されてしまう事となりました。目標であったプロ契約をすることができず本当に悔しかったですが、その期間に経験できたことは私を大きく成長させてくれていました。ジュニアチームで開幕を迎えてからは、かなり余裕をもってプレイすることができていました。また素晴らしいラインメイト二人にも恵まれ、レギュラーシーズン終了時にはジュニアリーグで総合ポイントランキング2位、リーグ得点王を獲ることができました。そして、シーズン終盤になると、ジュニアチームでの活躍が認められ念願であったシニアチームからコールアップされ試合に出場することができました。まさに夢がかなった瞬間です。(後々この時シニアチームの試合に出場したことが、NCAAアマチュアリズムにおいて問題となるのですが。)このラインメイト二人は私の人生を変えてくれたといっても過言ではないくらいの親友です。シニアチームから呼ばれたときの状況や、親友二人については今度の機会に詳しく書きたいと思います。

そして、このシーズンの活躍が評価され、シーズン終了後にシニアチームからの正式なプロ契約オファーがありました。夢にまで見たこの瞬間。本当にうれしい気持ちでした。今までの私であれば、即答で「YES」と言っていたはずです。しかし、それとちょうど同じ時期に思わぬ出来事がありました。それは、アメリカジュニア最高峰リーグであるUSHL (United States Hockey League)に所属するWaterloo Black Hawksというチームが私に興味を持ち声をかけてくれたことです。ちょうどこの年に、先輩である二人の日本人選手(寺尾勇利さんー現日光アイスバックス。平野裕志朗さんー現北米プロリーグECHL Wheeling Nailers)の方々がUSHLでプレイされ、素晴らしい結果を残してくださったことで、日本人ホッケープレイヤーに対する評価というものがよくなっていたのかもしれません。お二方はその年でUSHLを去ることが決まっていた中で、来シーズンに向けた戦力構成を練っているときに、チェコでそれなりに実績を残していた私の名前がスカウトの目に映ったのではないかと思っています。おそらくですが、寺尾さん、平野さん両名の活躍が無ければ、私のところに話は来なかったでしょう。日本人アイスホッケー選手の新たな道を切り開いてくれた先輩方に、本当に心から感謝しています。


ずっと目標にしていたプロ契約か、新たな地アメリカに挑戦か。
本当によく考えました。そして、当時の私が出した答えは後者でした。これは早実をやめるときと同じくらい大きな決断でした。私がアメリカを選んだ理由、それはシニアチームで感じた北米経験組の影響や、親友二人の助言、尊敬する先輩方の活躍など、さまざまな要素が交錯していたこともありますが、一番は「新しい環境に挑戦できる楽しさ」を求めていたからかもしれません。スポーツに限らずどんな社会の中でも、今まで作り上げてきた評価や地位を手放し、自分のことを誰も知らない新たな環境にチャレンジするということは容易ではありません。怖さも付きまといます。すべてにおいて今までより難しいことばかりになることは分かっています。それでも、強い信念をもって決断したときというのは、いつの日か必ず、自分が想像もしていなかった道が目の前に広がるということを私は過去の決断から学んでいました。早実入学を決めたときも、チェコ留学を決めたときも、当時は「本当に大丈夫か」と不安になることもありましたがそれでも自分を信じた結果、このような素晴らしいチャンスに巡り合えました。「今回もきっと一緒だ。」そう自分に言い聞かせ、アメリカ挑戦を決めました。

自分が人生を歩み続ける中で見つけた、この「決断の哲学」というのを私はこれからもずっと大切にしていきたいと思っています。何かに迷ったら「難しいと思う方を選ぶ」ことが、結果的に「その先にある楽しさ」につながると信じています。人生の中で数回訪れる、決断を迫られる瞬間の延長線上に今の自分の姿があります。どこかで違う答えを出していたら、全く別の人生を歩んでいたでしょう。「もしあの時こうしていたら今はどうなっていたかな・・」とふと考えることがありますが、間違いなく言えるのは、「当時の自分が考えて考えて必死になって出した決断なんだから、正しいに決まっている。」ということです。もちろんこれは私の感覚なので、だれしもに当てはまるわけではないと思いますが、僕はそう信じています。

これからも、自分自身の「挑戦を続ける姿勢」というのは大切にしていきたいと思っています。今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

三浦優希




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