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書くための”道しるべ”を求めて。

書くことには、それなりにエネルギーを使うらしい。書き終わった後はいつも、体は疲れていないのに少しの疲労感がある。

言葉が出てこずに苦しむ日もある。
「生みの苦しみ」というものを、これだけ頻繁に経験できる機会はない。

それでも無事に投稿ボタンを押せたときには、疲れや苦しみはどこへやら。周りからの反応はどうあれ、生み出せた嬉しさ、やりきった達成感でじんわりと満ちていく。たまったエネルギーは翌日に持ち越され、そのエネルギーを利用しながら次の文章を書く。そのくりかえしだ。

だから、気づいたら毎日続いていた。
そしてこれからも、たぶん続けていく。

ただ、続けていく先には何があるのだろう、とふと思う。
いや、べつに何もなくてもいいのだけれど。
今書くことが楽しければ、それだけで。

自分がどこに向かっているのか、あてもなく歩いているような感覚を抱く。自由気まま、思うままの、ノープランの旅のよう。ふらっと降りてみた駅で、なにかと出会えるんだろうかと、ワクワクするような。

ただ実は、ノープランの旅はちょっと苦手。
苦手もなにも、行ってしまえば何かはある!と、旅好きな方からは言われそうだけれど、以前勇気を出して行った一人旅がうまくいかずに、トラウマになっているのかもしれない。(これは別の機会に書こう。)

自由気ままであることに、どうにも不安をおぼえるのだ。出会いや目立ったできごとがなかったらどうしようという不安。だから、目的地やすることが決まっている方が安心する。
ノープランの旅も憧れるんだけどなぁ。勇気を出してもう一度、チャレンジしてみたいという意欲はあるんだ。

話を戻して。
そう、これまでの過程は「ノープランで書く旅」だったのだ。テーマや書き方、書く目的などを決めすぎず、いろいろ書いてみる。ノープランで書くことは、悪くない。
ゆるりと書き始めたら予想外な結論にたどりつく、という経験もできた。

でも少し、目的のある旅がしたくなってきた。

目的と言っても「ライターになる」とか「コンテストで入賞をめざす」というものとは少し異なる。

”道しるべ”かな。

書くという道を進んでいくための道しるべ。
「こっちに進めばよい」ということを導いてくれるような、やわらかで優しい灯りがほしくなった。そう、頼りにするものが、ほしい。

そう思ったときに、現在地を知る必要がある。自分がどこにいるのかがわからないと、次の道しるべまでの距離感もうまくつかめてこないだろう。

どうすれば、現在地を知ることができるのかな。

そんなときに、タイムラインを流れてきた仲高宏さんのnote。

ぐっと目を引いた。そして一気に読んだ。

「個の話を普遍的なテーマへ開くにはどうしたらいいのか?」という問いに対して、仲さんはこう答えていらっしゃいます。

結論的には、それは『自分の話をするか』と『個の話をするか』の違いです。この二つは似た感じの意味のように感じられるかもしれないけれども、辿り着く結果には大きな差が出てくる。
(中略)
残念な話だが、自分の話だけをしていても、その先には決して普遍的なテーマには開かれる未来はない。結果として誰も聞いてくれない世界におちいる。

どきどきーっとした。
「自分の話」と「個の話」は違うのか。
わたしが書いている文章、「自分の話」になっていないか。

Twitterでこちらのnoteをシェアとともに、「”言いたい”と”伝えたい”という違いでもあるのかな…?」とつぶやいたら、仲さんが拾ってくださり、下記の返信が。

「言いたい」も「伝えたい」も発信者の願望ですので根本の部分では一緒になります。発したことが読み手を通じて伝搬して伝わってゆくかどうかの話なんです。

「伝播して伝わってゆく」という言葉が心に響く。
書き手の想いや意図とは関係ないんだ。
結果的に「伝わってゆくか」どうかなんだ。

私の文章は「伝わってゆく」要素があるのか。仲さんのnoteにあるように、「普遍的なテーマに開かれる」可能性が少しでもあるのか。それを知りたくなり、仲さんにフィードバックを仰ぐことにした。

DMを送る際は、やはり勇気が必要だった。私はフォローさせていただいているし、「ブリリアントブルー」という文章の公開フィードバックの番組も一度拝見したので、仲さんがどんな方か、少しだけ知っている状態だ。でも仲さんはわたしを知らない。迷惑だったらどうしよう。でも自分の文章、見てもらいたい。現在地を知りたい。

えいや!と思いきって送ったDMの返信はびっくりするくらい早く、そしてとても丁寧なフィードバックをくださった。ダメ出しでも全然いいと思っていたのだけれど、仲さんは私のつたない作品に対しても配慮をしながら、一つひとつ丁寧に言葉を伝えてくださった。


いただいた言葉の一部を引用させていただく。

『自分の話だけをしていないか?個の話としてしっかりと書けているか?』というゆっこさんが抱いている疑問にお答えいたします。
大丈夫です。ゆっこさんは、スタートラインにしっかりと立たれています。
(中略)
まず文章による心象描写・情景描写の技術を磨かれるのが良いと思います。すこし、文章が分かりにくくなっても構いません。『そのエピソードのその時にゆっこさんからその世界がどう見えたか。』それを丁寧に書くこと。
(中略)
結論は出なくても良いのでゆっくりとエピソードと心象をスケッチするように文章を書くように心がけてください。

”スタートラインに立っている”。
この言葉はとても嬉しかった。

そして「分かりにくくなってもいい」「結論は出なくてもいい」という言葉に、ハッとした。わたしはいつも「分かりやすく」そして「何か結論を」と思っていたからだ。
シンプルにシンプルに、そして文章の最後には、何かしらの”落としどころ”を作らなければいけない。
そう思って書いていることが、やはり文章を読めばわかってしまうのだ。

もちろんシンプルな文章が悪いわけではない。シンプルだからこそ伝わるメッセージもある。

でもわたしの文章は、おそらくそれとも違う。ぎゅぎゅっと凝縮してシンプルになっているというよりは、そもそも「描かこうとしていない」。
「心象描写」「情景描写」という部分をそぎ落とし、結論に行きたいがために急ぎ、最後に何かしらの形でまとめる。
見ていただいたnoteは、見返してみると確かにそうなっていた。

スタートラインには立っている。
そして”道しるべ”も、見えた。

経験したことをただ述べるだけではなく、そのときにわたしの目から世界がどう見えているのか。心象や情景を丁寧に書いてみること。

それを意識し始めてからまだ数日だが、「書く」ことがまた一段と楽しくなった。
「もう少しこの言葉や表現を入れたら伝わりやすくなるかな」と考えることが楽しい。
すぐに結論に行きそうになったら「わたしから世界がどう見えているのか」という言葉を思い出す。

描写を意識するようになってから他の方のnoteを読むと、心の底からうらやましくなる。
どうしてこういう表現がさらりと出てくるんだろう。
いや、きっと「さらり」ではないのか。こうやって書けるようになるまでに、生みの苦しみを経験した方々も、きっとたくさんいる。

わたしはまだまだ言葉も表現もとぼしい。わかりにくくていいと言われたけど本当にわかりにくくなってしまう気もして(笑)
でもそれも試行錯誤の一つだ。いただいたフィードバックの一つひとつの言葉を自分の道しるべとして。

それを信じて、まずは進んでみよう。

仲さんに見ていただいたnoteは、フィードバックをもとに今リライトしている。できあがったら、過去に投稿している作品だけれど、またみなさんに読んでもらえたら嬉しいな。

リライト作品を投稿するのに、ぴったりの企画を目にした。マリナ油森さんが開催されている「#書き手のための変奏曲」。

お題企画というよりはマイルストーン(道標)のようなものです。
変化をつづけるnoteの街にそっと立てるマイルストーン。
歩んできた道のりを振り返るための目印。

”気軽に練習しましょ”と言ってくださっていて、練習や試行錯誤を許してくれるこのnoteという街、ありがたいなぁと感じた。

本当に、創作を楽しめる街なんだ。

これから試行錯誤を続けていったら、どうなるんだろう。
別の道に進みたくなるかもしれないし、何か目的をもちたくなるかもしれない。
今は、わからない。

どうなるかわからない部分もひっくるめて、これからも書いていこう。


仲さん、丁寧なフィードバックをくださり、改めてありがとうございました。

そんなわけで、今日はここまで。

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