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Series ”コトノハノコト” Page 2: カワズトビコムミズノコト

「芝浜」という落語のネタがあります。
人情噺の大ネタでして,
魚屋の勝とその女房の夫婦愛を描いた温かなお話しです。
このお話しのタイトルである芝の浜。今は東京タワーの足元に芝の地名が残っていまして,東京は港区,第一京浜の通る辺りを呼ぶようです。
その昔は袖ケ浦と呼ばれる海岸線の,海に出れば芝浦,陸においては芝浜と呼び分けられていました。

これはまったく,驚くばかりです。
東京タワーの足元に海が広がっているというのですから。
人間の叡知と言うべきか業と言うべきか。
生きる場をこれほどまでに広げてきたのかと,思わずにはおられません。

”世界”
それはいったい何を指すのでしょうか?
宇宙は ”世界” に含まれるのでしょうか?
目に見えるものだけが ”世界” なのでしょうか?

足をつける大地の広さが ”世界” なら,私たちにとって世界の広さはせいぜいが芝浦が芝浜になり,いつかはただの芝になる,そんな程度でしょうか。
いずれにせよ私たちは,世界を ”外” に求めます。

It's a small world ー小さな世界ー
というものがありますが,地球という ”世界” に広がるたくさんの国々,文化,それらは宇宙から見れば小さな集団であり,まさに宇宙船「地球号」なのでしょう。
それでも,ひとりの人間からしたら,ともすれば北海道と沖縄ですら遠いと思えますし,ましてや海の向こうは途方もない ”世界” なのです。

だからこそ人は憧れるのでしょう。
”外の世界” に。
あんな国に行きたい。
あんな世界に羽ばたきたい。
あんなに世界は広いのに。 と。

FUJIFILM X-100F

”狭い世界に生きる人” を俗にこう言います。
         ”井の中の蛙”
なるほど然り。
山椒魚は広い世界を知っていたのに岩屋から出られなくなってしまいましたが,井の中の蛙は ”大海を知らず”,つまり広い世界を知りすらしないわけです。
つまるところ ”世間知らず” と言いたいのでしょう。

誰もが知るこの言葉には続きがあります。
          ”井の中の蛙大海を知らず
                ただ,空の深さを知る”

実のところ,荘氏の書いた「井蛙不可以語於海者、拘於虚也。」に後半はなく,後半は誰が言い出したことやら・・・。
とは言え,永六輔氏をはじめ,この言葉の重さを取り上げる方は多くいるようで,見つめ続ける先にあるもの,それはまさに極致というものであり,上っ面では語れないものなのでしょう。

さて,改めまして ”世界”
それはいったい何を指すのでしょうか?
”ただ,空の深さを知る”
井の中の蛙は,きっと空を見つめ続けたのでしょう。
そして,自分自身を見つめ続けたのではないでしょうか?
誰もが1つ,自分の中に世界を持ちます。

”my world”
と言うと,自分勝手なやつ・・・のような印象を持たれますが,自分の中に自分らしい ”オリジナル” を持つことは素晴らしいことに感じます。
人に,景色に,音に,香りに,
言葉に,文字に,映像に,
たくさんのものに影響されながら,自分の世界を作り上げる。
それは決して ”他人に合わせること” ではないのです。
自分を見つめ続けること,自分とは何かを自分自身に問い続けることなのです。
”問答” という禅の言葉がありますが,これは自分自身と語り合うことを言います。
蛙はきっと,問答を続けたのでしょう。
自分の内には,誰も見たことがない海も,山も,大地も広がっており,それら ”世界” はつまり自分自身であり,誰よりも深く,己の空を知っているのでしょう。

あなたは答えられますか?
あなたの好きなこと。
それは,ゲームが好き,映画が好きといったことではありません。
”行動原理” とも言える信条です。
履歴書に書く,漠然とした質問「あなたはどんな人ですか?」
その答えは問答の先にあるものです。

今は芝に浦はありませんが,空はあります。
随分と狭い空になった気もしますが,蛙の気持ちになってみてはいかがでしょう?
海を知らずとも,空を知る。
誰に合わせるでもなく,自分自身を見つめる。
そんな時間も無駄ではありませんね。


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