ユキカ

妻と息子、その死と不在について。 医師。

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妻と息子、その死と不在について。 医師。

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note

Twitterのアカウントを作ったときのことはよく覚えている. 妻と息子の死,不在.そしてそれを受け入れざるをえないくらいの時間が経った,雨が降る日であった. 思い出や,悲しいとも寂しいとも言えるけれどそれだけではないこの気持ちや,日々の小さな物事をつぶやこうと. 人からかけられた言葉や,本や映画や音楽や,もちろん妻や息子を思い降ってきた言葉を忘れないように. 誰へというわけではなくとも,それでもどこかの誰かに呟くという形であればそれは自分の支えになった. アカウントの名

    • お義母さんから花の写真が送られてきた. 花のことをあまり知らないからこそわかるが,妻の好きな,あの花だ. 息子の誕生日のお祝いに. 手が空いた午後に見た短い動画の中では妻が息子の名を呼ぶ.息子が笑う. 目を細くして笑う顔は妻に似ている.まるであの日のようだ. 久しぶりに連絡がきた.青い花の名前の女性. 僕は妻と息子を,彼女は親友を亡くしていた. 甘い声と,子供のような素直さが妻に少し似ていた. 息子の誕生日を覚えていてくれて祝いの言葉をくれた. 忙しくもつつがなく過ごして

      • もしもの世界

        息子が生まれたのは,春が近い晴れた冬の日だ。 それから過ごした一つの季節は,短い永遠であった. ちょうど二年前になる. 去年は近所の本屋で絵本を買った. 妻の指輪の箱と同じ色の小さな本.一歳では難しかったかもしれないが,二歳なら少しわかるかもしれない. 失くしたものが〝もしものせかい〟にあるならば,僕のそれはあまりに大きいに違いない. 義母からプレゼントが届いた.小さなうさぎの家族の人形.お菓子. 息子の前に並べて置いた.うさぎの子と母と父が仲良く並んだ. 今年もプレゼ

        • 年末、映画とお茶

          大掃除には辿り着かないまでも、引越しの予定もあることでものの整理をした。 一人とはいえ、一年でものは増えるものだ。妻のものもほんの少しだけ捨てた。 そのほんの少しがこの一年の変化だろうか。前進や成長というにはポジティブが過ぎるだろうか。 去年は仕事で年を越した。 最悪の気分で、ひどく寒い中初めていく病院に辿り着き、妙に落ち着いた当直をした。 今年は休みをもらったので、気になっていた映画を観に行った。いつ以来だろうか。 耳の聞こえない、女性のボクサーの話。 きらきらと名前の

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          クリスマス

          クリスマスイブの夜. 昨年はどうすごしていただろうか.一人でいたこと以外は覚えていない. 今年もお義母さんからクリスマスプレゼントが届くようだ. 去年は小さな絵本だった.僕たちが息子に読んであげるように.笑ってくれるように. カードには,パパを見守っていてねと.死後の世界などあるのだろうか. あるならどれほどの人が救われるのだろうかと,呟いたときの気持ちなどすっかり忘れていた. 旅行に行ったり,食事をしたり,ホテルに泊まったり,ミュージカルを観たり,家で過ごしたり.妻

          クリスマス

          久しぶりに

          随分長い間,ツイッターもノートも書かずにいた. 今日は当直,妙に落ち着いている. そして最近にしてはめずらしく,妻と息子の写真を見つめていた. 理由などないと思う.あるとすれば,歯科健診のために家族で住んだ街にいったことか.家の前はわざわざ通らなかったが. 良い機会だから,最近のことを少し書くことにする. この秋には,大学生ぶりの試験勉強をして,自分の分野の専門を名乗るための資格を取った.この数年の,少なくとも仕事に関しては最も大事な目標で,妻も応援してくれたものだった.

          久しぶりに

          毎日書いていたが早速滞ってしまった. 数日ぶりに書きたいことができた. 街を歩くのがすきだ. あまり活動的な方ではないが,用事がある時にそこに早めに行って,散歩をする. 今日は初めて月島に行った. 水辺の街.下町と言われるところだろう. タワーマンションと大きな橋と,古い街並みの共存が新鮮で写真を撮った. 海が程近い隅田川沿いを歩く. 夕焼け,高架橋,自転車を練習する子と父親. そういえば,この辺りが水に沈んでしまう映画があった. ままならないからこそ,希望が必要だと

          煙草は吸わなかった. 患者さんにも吸わないでいてほしいし,好きではなかったから. それでも,ある時から時々吸うようになった. 喩えば家族の記念日とか,家族の誕生日とか. 持ち運ぶ事はないから,年に2箱も減らないペースだ. それが週末で家にいる時に. そのペースで苦はないから,依存してはいないと思う. お酒に強くないのと一緒で,たまにしか吸わないから一本で頭がぼんやりとしてくる. そうすると,何も考えず,ふだんよりはっきり思い出せるものもある. 夜にベランダに椅子を出して,

          映画1

          少し趣向を変えて,先日観た映画について. 映画は好きだ. アクションや激しいものより,ドラマ系の,どちらかというと邦画が好みだ. 全国的に上映するものも見るし,ミニシアターにも時々行く. 上映し始めたばかりの マイ・ブロークン・マリコ という映画だ. 原作の漫画から好きだった.遡ると,漫画を読んだのは息子が生まれる前だった.監督も他の映画をみて好きになった人で,観に行こうと決めていた. 若い女性が,親友の遺骨を抱いて旅に出る. 今では見慣れた,持ち運ぶには大きい白い箱が

          映画1

          結婚

          結婚した日のことを. なぜならつい先日結婚記念日であった. 今となっては,あの日のことを覚えていてるのは僕だけだ. 明確に結婚することを決めた日,プロポーズの日というのはない. ただ,その年にそうすることは決めていて,ある日に婚姻届を出した. どの日を結婚記念日とするかは人それぞれだそうだが,僕たちはその日にした. その年のその日. 僕たちの好きなスポーツのチケットを引き当て,一年越しの楽しみに観に行った. その年に結婚するのだろうと思っていた. その日は大安の日であった

          真実の愛

          昨年のことだ. 誘ってもらって初めて舞台を観に行った.人気のチケットだったらしい. 原作は僕でも知っている.大学生の頃に流行った,姉と妹と氷の映画. 真実の愛,が主題だった. 別れを,それも生や死によるものを経験しなければわからないとは言わない. でも,妻や息子や僕や,ここにいる方々に宿るものであるように思うのだ. 見えない氷や炎や,かなしみを通じて繋がるための佇まいや,真実の愛が. 永遠の眠りから覚めるようなくちづけや,永久凍土を溶かすような魔法. それが真実の愛

          真実の愛

          君が星こそかなしけれ

          一年前の写真を見ていた. 息子が大きくなったら行きたいねと妻と話していたホテルに泊まった時のものだ. その年の遅い夏休みに,もちろん一人で. 夜に海辺を散歩できる庭は,妻との最期の旅行を思い出させた. 海を向いた露天風呂からの景色. 夜はもう肌寒い季節だった,対岸の灯りと,曖昧になった水平線を見ながら湯に浸かる. 真上には満月、東の空には冬の星座が浮かんでいた. 君たちが見たら何というだろうか. 君たちが星ならどんなに美しいだろう. 消えてしまうのはどれほどかなしいだろう.

          君が星こそかなしけれ

          時間は流れていると感じる. 急に涼しくなり,いつもの外勤先に着く頃にはすっかり日が落ちるようになった.梅雨には紫陽花が咲いていた道を通ると,金木犀の香りがした.いちごのデザートの季節はとっくに終わり,さつまいも味が並んでいる. 間違いなく時間は進んでいて,流れていて,それは僕にもあてはまることで. 妻と息子の不在はもうすっかりと日常になり,一人年齢を重ねる準備をしている.時間の流れに取り残されているなんて特別なことではなくて,他のあらゆるものと同様の時間を過ごす中で,後ろば

          今年の中秋の名月は,満月であった. 東京はちょうど晴れていて,大きな月がよく見えた. 去年のその日など当然覚えていなかった. 天気や月の形も.きっと団子が並んで売られているのをぼんやり素通りしたのだろう. 毎晩空にあるものだからこそ,僕たちはその夜のことを結びつけて覚えていたりする. 覚えておきたい夜の月を写真に撮っても,美しさも鮮度もひどく落ちた,ぼやけた夜空の写真が残るだけだ.街の光はそれなりにきれいに写るから,尚更そう思う. だからこそ,月の思い出がない人はいないの

          妻と息子に,夢で会ったことはほとんどない. お義母さんには時々会いに来てくれるそうだ.ママ友を家につれてきて楽しく話したと. 写真を見てから眠ってもやはり僕のところには来てくれない. 夢といったら,あまり良いものはみない. 少し体調が悪く早く眠った日. 長い,長い手術をしていた.君たちに会えることなどなく,ひたすら誰かの中を見て手を動かしていた. 仄かな気配で目が覚めた時には,まだ空は暗かった.妻の寝顔を見ながら息子にミルクをあげた,あの日々を思い出した. 遠

          時間薬という言葉. 時間が解決してくれる,時間が経つことでしか解決できないということ. 僕たちを慰める時にその言葉がよく使われる言葉.だから,正直に言うとあまり好き言葉ではない. なにせ,言われすぎた. そうとしかいえないものは思いのほか多いと,決して長くない人生でも感じることはあるから尚更だ. 愛する人の死,不在,そのかなしさは時間が経てば解決するのだろうか. 思うのは,やり過ごすことが,少なくとも前よりできるようになったということだ. 日々訪れる他人の行動や言葉,余計