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台所の主と自炊部

私がまだ武司と同居をしていた10年以上前の話です。息子もいて3人で暮らしていたのですが、私の分のご飯はありませんでした。基本的に台所の食材は武司くんと息子の分。私が何か食べる時は申告をして「これ食べてもいい?」と承諾を得る必要があったのです。

今思えば、なんだか不思議な感じですが、そもそも私はその時ワインバーとカフェを経営していて、朝起きてくるのは10時くらいだし、起きたらすぐにカフェに行って仕込み。夕方まで働いて、そのままワインバーへ。そして夜の1時過ぎまで働いてたんですね。家で食べてるヒマなんてなかったのです。

そうなると、当然家の台所は武司の管理下に置かれる。食材もしかり。そういうことで、私が台所を漁って何か食べた場合、それは翌日のお昼の食材であったりする可能性があるわけ。二人分のうどんがあったのに、私が食べたせいで1人前になっちゃう。そうなるとまた買いに行かなくちゃならない。「おまえうどん食べちゃったの!?ぐわぁ!」と、武司が頭を抱えることもしばしば。ふんだんに食材をストックするわけじゃないし、彼はそういうやりくりはかなり緻密にやるタイプ。そんなことで、私は段々家で食べることをしなくなって、もっぱら店で食べていました。まあ、そもそも店のほうが食材いっぱいあるし、自分の好きなものが食べられるので、別に不自由してなかったわけで。

そもそも、武司は食べながら飲む晩酌派。「今日はカレーだ!」と、カレーと野菜サラダをドーン!とテーブルに出す私に対して、カレーは最後にちょびっと。それまでにいくつもの小鉢や小さなおかずを前に延々と晩酌をするタイプ。そりゃ一緒にご飯食べられませんって。私はこれから仕事だって、いうのに晩酌なんてしてられない。一方、武司は仕事も終わって、3時くらいからちびちびやり始めます。

もちろん、食事を作るのも武司、片づけるのも武司。そうなったら、本当にもう台所とか触れないんです。世のお父さんが台所仕事しないのも、奥さんのやりよいように台所が出来上がっていて、それを崩すと怒られるから。ってのもあると思うんです。だったら、もう触りたくない、って。思いますよね。ええ、私はどちらかというと、世のお父さんの側の人間。

それから10年。武司が東北へ出かけてひとりで1ヶ月間もの間、湯治をすることになった場合でも、まったく楽しんで自炊をするわけですよ。そう、湯治の中でも本格派中の本格「自炊部」。

宮城の東鳴子はこちら、旅館 大沼さんに宿泊したのが2018年の冬、その主からお声かけいただき、また意気投合もし、次世代型の湯治の発信をということで、年に4回、ほぼ一ヶ月の間滞在しながら創作をするというプロジェクトを昨年からやっています。こちらにその第一回目の様子が写真にあるのだけど…見れるかな。

URLが異様に長いな…。FBアカウントのある人しか見れないかもですね。すみません。こちら少し抜粋で写真を載せますね。

もう…はっきり言って、何を発信したいのか、よくわかりませんね。少なくともこの写真だけ見たらちょっとなんか下手?写真下手?みたいに思うわ。全般的に、こういう写真で構成されてます。あ、ピント合ってる写真もあるわ。

よかった、なんかアーティストっぽいわ。

そして、いかにも吞兵衛な晩酌の写真。さて、ここで一ヶ月の間創作になったのかどうかは、私もあまり分かってません。よく昔の文豪がホテルや旅館に缶詰めになってた、という話は聞きますが、創作の環境としてはどうなのかな?また詳しく聞いときます。1回だけでなく4回という期間を通して検証する企画ではあるようですが。しかし、話を聞いてると、私も行きたくなってくる。朝起きて即温泉とか、ホンマ最高すぎやん!そんなわけで、密かに私も「いつかは自炊部」もくろんでいます。パソコンとネット環境があれば仕事できる人にはかなりいいかもですよ。

今は時々家に呼んでくれて一緒にご飯を食べることもありますよ。次回は、そんな武司の旅についての考察です。

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