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「差別」について考える

Black lives matter.
アメリカが湧いている。

日本でもこれだけ日々ニュースやSNSなどで騒がれているのである。
アメリカ国内の熱狂はどれほどのものだろう。

差別ってなんなんだろう。
何でこんな悲しい事件が起こってしまったんだろう。
悶々と考えてしまう。

Crashという映画

悶々と考えたところで何もできない私であったが、久々にこの映画を観てみることにした。
人種差別による悲劇、そしてそれを超えて生まれる人と人同士の愛や優しさを描いた作品である。

最初に観たのは確か、高校生のとき。
そして2回目は夫と鑑賞した。(夫も初見ではなかった)
2人とも途中から号泣し抱き合いながら泣き続けた記憶がある。
数年ぶり、3度目の鑑賞の今回もやはり涙が溢れて止まらなかった。

今世の中で起きてることと、重ね合わせてしまうからかもしれない。

3回も観ているくらいだから、とても気に入っている映画なのだが「好きな映画は?」と聞かれて答えるには躊躇いを感じてしまうほど、そのテーマは重い。

本作には人種も年齢も性別も違う多くの人物が登場し、それぞれの目線で物語が描かれていく。

差別的な白人エリート層夫婦
犯罪を繰り返す黒人の若者たち
エリートでありつつも差別を受け止めながら生きている黒人男性
ただただ真面目に働いているだけなのに不等な差別を受けるメキシコ系男性
身を守るためなのか銃を購入するペルシャ人男性

そしてまさに今回の事件を連想させるかのような、人種差別主義の白人警察官

この映画の恐ろしいのは、どの登場人物や場面も想像が容易である点だ。

「役者のセリフが黒人っぽくないから黒人訛りに変えろ」と白人男性に指示を受ける黒人TVディレクターが、戸惑いつつ言葉を飲み込み受け入れるシーン。

白人が多く暮らすエリアに歩く2人の黒人の若者を見た白人女性が、あからさまに彼らを避けるシーン。

アラブ系だと間違えられたペルシャ人男性が、銃器店で怒鳴り散らすシーン。

事実に基づいた脚本なのかなと思うくらいリアリティに溢れている。
そして一見「悪人」として描かれる人間にも、家庭があり、生活があり、それぞれが置かれた立場があり、傷つき苦しみながら生きていることが示される。

同様に「善人」に見えた人間ですら、少しのきっかけで悪に手を染めてしまう。
「差別」というテーマを通じてリアルな人間の生き方をとことん見ることができるのがこの映画だ。

差別心はなくならない

映画を観つつ、差別心ってどういう感情から来るんだろうと考えていた。

自分が弱い立場にある人より優位にたちたい
単純にマイノリティをからかって楽しみたい
人と同じことができないことに苛つきを感じる
差別の種類にやって違うが、こんなところだろうか。

差別はなくしたい。
今回のような悲しい事件なんて絶対に起こってはいけないし、日常生活に溢れている大小さまざまな差別…世の中からなくなってほしいと心から思っている。

だけど、差別心の源を紐解けば紐解くほど、それがなくなる気がしない
絶対に無くならないと確信さえもてる。
それが人間だからだ。人間の弱さや汚さだからだ。

時代によって、その対象は変わっていくと思う。
未だになくなったわけではないけれど、例えば女性に対する差別は100年前と比べればだいぶ改善しているはずだ。
でも世の中から性差別が消えたとき、何が起こるか?きっとまた違う対象物に対する差別が生まれるのだと思う。

世界の常識をアップデートしていく

だからといって、私たちは白旗をあげるべきではない。(正義の戦いに見せかけた暴力とかは反対だけどね)
一つひとつ、その苦しみからの解放を目指し続けるべきだ。

え?男女平等?それが普通じゃない?
人種?そんなの関係なくない?

という世界にしていくしかない。

私たち個人は何ができるだろう?
私は「知る」ことからはじめるべきだと思う。
何事もまずその事実を知らないことには、当事者意識を持てない。

例えば私はカナダ人の夫と結婚して、色んなことを初めて知った。
それこそ移民の少ない国に暮らす私たち日本人は「肌の色」や「人種差別」に対する意識がものすごく低い。
だけど渦中のアメリカのように、それは彼らにとっては日常に溶け込む大きな問題だ。

私と夫はある年のハロウィンでガングロのコスプレをした。その姿をSNSにアップする時に彼が言ったのである。
説明をつけないと誤解を生むかもと。

私には最初意味がわからなかった。
ガングロは私たちにとってはファッションやスタイルであって、ネガティブな感情は一切ない。
むしろ、褐色の肌への憧れから産まれた文化である。
だが、それを見て「嫌な気持ち」になる人がいるかもしれないのである。
私はこの時までそんな想像力を持ち合わせていなかった。

これが芸能人のように影響力のある人だと、いわゆる「炎上」化する。
結局、問題の本質は「それを見て嫌な気持ちになる人がいるかもしれない」という想像力の欠如に起因している。

個人が発信力を持った今、私たちはなによりも「知る」ことに力をいれるべきだ。
知っているだけで、さまざまな場面で自分の言動を客観視することができる。

是非見てみて欲しいもの

最後に、Crashと同じく「差別」をテーマにした創作物でおすすめのものを紹介する。

韓国で爆発的ブームとなったこちらの小説である。

性差別について描かれた本作も、Crash同様にリアリティが凄まじい。

男児を産むことへのプレッシャー
ゆえに堕胎率の高い女児
産まれてから死ぬまで女性は、教育、仕事、結婚、出産どんなライフステージでも多くの制限を受ける。
中々に衝撃の内容であった。

知ることから始めよう

これらは異国の話だろうか?
過去の話だろうか?

私は次男の出産の際NIPT(出生前診断)を受けたが、契約書に「このテストを産み分けに使っていないか」という設問があり驚いた。

というより、質問の意図を理解するのに時間を要した。
要するに、NIPTによってわかった性別で堕胎を決めないでくれということなのだ。

こんな設問があるということは、今の時代でも性別による命の選択をする人がいるということなのである。

ここではその是非は議論しない。
だが、深く印象に残る出来事だった。

さて、私たちはどれだけ世界の差別について理解しているだろうか。

日本で外国人として暮らす夫は、「ハーフ」として成長する子供たちは差別を受けずに生きていけるだろうか。
私はどれだけ事実を正しく捉えているだろう。
悲しい事件を前に、今一度、自分自身にも問うている。

本代に使わせていただきます!!感謝!