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伝統工芸品の宣伝文句の「これを作れる人はもういない」というものは、その界隈の当事者と自負する人なら恥だと感じるのではないでしょうか?

伝統工芸界隈では良く

「この仕事が出来る人はもう随分前にいなくなってしまって、こちらは最後の作り手さんによる貴重なものなんです」

という感じで営業をかけますよね。

「この貴重な素材はもう無い」みたいなものもあります。

こんなアレンジバージョンもあります。

「当代で10代目になります友禅染の〇〇屋の資料館に残されているこちらの着物は、実は7代目の娘のために特別に作られたもので、この生地も、染も、現在ではもう出来る人はいません。ですからこちらは大変貴重な着物なんです」

これは「ウチは代々やっている老舗だから幼少期から良いものを眼にし物の良し悪しが分かり、仕事の良し悪しも分かり、様々な高度人脈があり、代々儲かっているから身内にそのように大きな贅沢が出来るんですよ」という事を良い感じに世に知らしめるのに、とても有効です。

それは普通では感動的な話として、話者も聞き手も特に問題を感じないのでしょうし、メディアもそれを感動的な話として紹介するのでしょうけども・・・・

・・・だがちょっと待って欲しい。←(朝日新聞風)

「伝統工芸を生業とし、当事者観のある人なら」

全く逆に考えるのではないでしょうか。

* * * * * * * * * * 

こちらの着物は大変高度で素晴らしい技術で作られています。しかしこの着物に使われている技法は、残念ながらもう随分前に出来る人がいなくなりました・・・

この仕事を成り立たせるには、染の技術だけではなく、生地の良さ、道具の良さ、それぞれの加工を担う職人の全てが高度に揃っていなければなりません。

しかし私たちは、この江戸時代から続く貴重な技術を今に伝える事が出来ませんでした。この伝統技術に関わる仕事をさせていただいている者として本当に申し訳無く感じております。

私たちがこの仕事を維持するための経済規模を維持出来なかったという事は大きいです。また、昔は職人は安く使い高く売って儲けるのが上等な商人とされましたから、その高度な仕事の需要があり、それが出来る職人たちが沢山いた頃も、あまり良い待遇を与えていなかったようです。そういう事もあり、減ったとはいえまだこの仕事の需要があった頃から既に彼らの跡継ぎは出ませんでした。その間、私達は、また元に戻るだろうと思い何も手を打ちませんでした。正直、他にも売るものはあると思っていましたから・・・

最後の最後、ギリギリその技術で着物が出来る職人が揃っている(しかし後継者はいない)・・・その当時で全員が後期高齢者でしたが、その時になって初めて「ああ、これではこの貴重な技術が失われてしまう」と気づいたのです。

しかし、もう何もかも手遅れでした。

これは、社会のせいでも何でもありません。

日本の伝統文化から成る伝統工芸分野で生活させていただいている私たちが本当に当事者として「この貴重な技術を社会へ伝え共有する事」「この技術が途絶えないような環境を作り続ける事」を疎かにしていたから起こった事です。

私たちは、長年伝統文化と関わって来ていながら、文化の伝承を簡単なものと考えていたのです。昔からあるものは、これからもずっとあるものだと、伝統工芸の当事者だからこそ甘えていたのです。文化を維持するための作り手、売り手、使い手のサイクルの意識はありませんでした。悪い時期があっても、また良い時代が来るさと・・・元に戻るだろうと高を括っていたのです・・・また、普段は伝統文化の大切さを語っていながら、その技術は、それを作る職人が自ら維持すべきもので、まとめ役の私達は関係無い事だと思っていたから、そこに意識や資金を投入せず積極的放置をしたのです。

それで、このような結果を招きました。

このような結果になった事を深くお詫びすると同時に、自らの至らなさ、傲慢であった事に恥じ入ります。

皆さまに、深くお詫び申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。

* * * * * * * * * * 

・・・ぐらいの事を言い、心底悔しがる人や団体があれば、それは失わなれなかったのかも知れません。

もちろん、いつもこのnoteに書いている通り「その文化に寿命が来れば、それは消えるべきものであって、変に外からの力で存続させてはならない(資料としての保存は良い)」のは当然です。

しかし、しかるべき手を打たなかった事によって消えていく文化があるなら、それはとても惜しく残念な事だと思います。


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