模倣と上達・天才と凡人の時間感覚の違い
確かに、一般的には、真似やコピーが上手い人が上達するし、学ぶ人は師匠のマネから入るのが通例で、確実な上達法です。
しかし、極稀に出現する極端に優れた人、ようするに天才、あるいはそれに類する人は、他人から見れば最初からオリジナルだし最初から上手い。
そういう人は「マネから入った」のではなく「マネもうまい」という言い方が正しいですね。
そのような彼らは「最初からその人」だったように観えます。
通常の秀才の努力と、天才の努力の違いが分からない人はプロでも多いです。
ちなみに、ものづくり系のなかでの、信じられないほどスゴイ人達の、その様子を観ての分析です。当然ですが私自身が天才として語るのではありません・・・
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何かを習熟するにあたっての表面に観える行動は、天才も凡人も共通点が多いですから「天才だって努力した」と【天才だって凡人と同じことをした】と把握し勝ちです。
しかし、天才と凡人では「時間感覚」「行為が身につく深度と幅」が「全然違う」のです。
天才も同じく「最初はコピーから入った」と言うでしょうし「うまい人のマネをした」と言うでしょうし「反復練習をした」と言うでしょうし、実際にそういう練習をしたでしょう。
しかし、彼らは、そういうことを「非常に短時間で通過してしまう」のですね。
ある天才が、本人的には多大な努力をし、時間もかかったと言っていても、それは外から見れば、ほんの一瞬でマスターしたように見えるのです。最初から出来ていたように見える。
そして更なる努力、努力の方法自体をオリジナルで開発して進化します。その努力の方法は、凡人が真似してもダメです。
逆に、天才なのに、天才を理解する能力の無い指導者につくと、天才に凡人と同じことをさせ、せっかくの天才が潰されてしまうことも多いです。
天才たちは、彼らの秀でた部分に関しては、凡人とは違う時間感覚と、無意識と意図の両方が混ざった合理的な体感の蓄積システムと、感覚を技術に置き換えるシステム、それらを洗練させる能力、目的達成のための合理的な精神構造を持っているのでしょう。
そして最初から目的地を体感している。そこへ行くための最短距離を本能的に知っている。
だから、彼らは外から観ると「最初からああだったのではないか?」と感じてしまう。
天才と凡人とでは
【言っていることが似ることはあるけども、内容はまるで違う】
というわけです。
(また、特に天才が公共的に語る事、インタビューに答えた内容は一般向きに調整して発言することが多いように感じます。天才も忖度するわけです。本音や、実際にやっていることも、違うことが多いですね)
一番いけないのは、天才独自の「最初からオリジナルで技術もスゴい、そして同時にその人は他人のマネすることも上手い特性」をマネしようとするプライドだけが高い凡人。天才のマネをする凡人です。それは痛い。
「天才は最初から天才」
「天才はある意味進化しない」
「天才同士の差の方が、凡人と天才の差よりも大きい」
というあたりは真実だと思います。
またこれは一番重要なことですが
「秀才の最終進化形態が天才ではない」
ということ。
天才は最初から違うのです。
もちろん、その天才の天才たる部分が現れるのに時間がかかる時もありますが、種があり萌芽はしているのです。凡人には種そのものが無いのです。人間は神ではありませんので、組み合わせで作れないものをつくれません。人間はゼロから何かをつくることをは出来ません。
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