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人間は人工物のなかに生きている

天然素材を使った、凝った美しい手作りの工芸品をつくる際には、沢山の廃棄材が出ます。

人の感覚に心地よいものを得ようとするほど、出ます。

人々は手作りの工芸品を可能な限り「選びぬかれた天然素材で高度な技術によって作られたもの」であって欲しいと思うことと思います。本体のみでなく、副材料の部分も天然素材が理想です。

それを実現するには、沢山の天然素材から良いものだけを選びぬき、その選びぬいた素材から不要な部分を大胆に削り落とし、必要なものを外部から、もちろんそれも選び抜かれたものを付け加え、再構築する必要があります。

それは人為の積み重ねの結果産まれた人工物です。

天然素材を使った、人為を尽くした人工物。

手作りの工芸品を制作・販売する立場の私は、多くの人々は、天然素材から人間が手作りで作り上げたものは、なんとなく「森の中の自然の運行のように、無駄が少なく、廃棄材が出てもゴミにはならず、環境にも悪影響が無い、と思っているのではないか?」と感じる事が多いのですが、実際にはそんな事はありません。

人間が欲望(自然な生存欲も欲望です)によって何かをすれば必ずゴミが出ますし、自然環境に何かしらの影響を与えます。

・・・現代人は、自然自然と連呼しますが、人間は手つかずの自然そのままの環境では、効率的で安全な集団生活が出来ません。社会を構築出来ないのです。それが出来なければ、自分の家族や小さい集団で、自然環境のなかをゲリラ的に生き延びる生活を続けなければなりません。

厳しい自然と対決するタイプの登山やキャンプであっても、人間の産み出した何かしら便利な道具を使います。それは部分的にでも、人工的な空間を得るためです。そうしなければ生きて行けないからです。最低限の装備で臨む人もおりますが、それでも最低限の人工物=道具は必要です。ようするに、そういうものは「どれぐらい直接的に自然と人間が関われるか?というゲーム」で、それぐらい手付かずの自然は危険だという事です。

なので、人間は人工物で身の回りを固めて人工的な空間を作らないと生きていけません。

それは、環境であっても、嗜好品であっても、人間の生活に必要なもの皆そうです。一見自然のままに見える山村も森も、全て人工物です。

食べ物でも、自然そのままのものは食べにくかったり、害にすらなるものが多いわけです。それを安全に美味しく食べるには「加工」=「調理」が必要になります。

その際に、ゴミが沢山出ます。

資源を沢山使い、水や空気を汚します。

天然100%の材料から出た廃棄材であっても、それが大量になればゴミになります。廃棄材の量や質が、自然自体が持つ回収→再生サイクルや、人間の作った再利用サイクルを超えたり、そのシステムが乱れる事があれば公害は起こります。そのサイクルを長期間維持し続ける事自体が、かなりの難事です。また、何かをリサイクルする事によって他の部分に害が及ぶ事もあります。

しかし、そういう事実は関係なく

天然のものしか使わない=自然に悪影響が無い、高品質である、人に優しい・・・

という「なんとなくのイメージ」が世間に蔓延している気がします。

私は、このような「人々が持つなんとなくのイメージと事実との乖離」を、利用して商売している会社や人が苦手です。

「天然礼賛平和バンザイ系の工芸家たち」の論拠に乏しいあいまいな主張も苦手です。

それは事実に基づかない思想・・思想というより「お気持ち」で、そのようなお気持ちは「私たちは意識が高く、あなたがたは低い」というマウント取りの道具に使われます。私はそのような「平和バンザイなのに好戦的な彼ら」には近寄らないようにしております。面倒なので。

それはともかく、

現代の経済や医療レベルや生活レベルを下げずにエコを達成するには、科学・化学のちからを使わなければ不可能でしょう。

そういう事を無視して、短絡的に「エコのために江戸時代にもどれ」なんて暴論を吐く人がおりますが、全く荒唐無稽な話です。

科学技術を工業製品製造技術に落とし込む際の黎明期には、公害問題が起こる事はあっても、ずっとそうではありません。(もちろんそれを仕方がない事だとは思っていません)社会の人々の要求によって技術は進化しますから、同じ効果をより少ない環境負荷で得られるようになります。現代は特に生産効率を高くする事と環境負荷を小さくする事を厳しく要求されているので尚更です。

なので「自然と化学を敵対するものとしている人の論」は、私には理解出来ません。そういう敵対構造をつくる事によってマウントを取ったり、商売している感じにも観えます。

昔には昔の科学や化学があり、その当時の最新のもので人間は自然環境と関わり、人間に都合の良いような生活環境を作ってどうにか生きて来たわけですから、それは試行錯誤の連続であり、昔の科学や化学と現代の科学や化学が違うのは当然で、それを近現代の化学技術は資本家たちによって汚された酷いもので、昔の技術は天然自然のものであり人間の叡智の結晶である、なんてノリで礼賛するのはどうかと思います。

さらに、現代の技術の恩恵をたっぷり受けている現代人の視点で、それに無自覚な態度で「昔に戻れば解決」とする人を、私は理解出来ません。

昔はどうしようもなく愚かな事をしていたのを科学や化学、思想の進化で改善出来た事の方が絶対に多いのに・・・

繰り返しになりますが、仮に天然自然の物しか使わなくても、人為によって作られたものは人工物です。人間にとって都合の良いように人為で加工したものの内にしか人間は生きられないのですから。

だから、自然環境についての問題というのは

自然と人為と人工物との関係性の事

と私は思っております。

言葉にすると、当たり前過ぎる事なのですが・・・

私がメインの生業にしている染色の話をしてみましょう。

一般に、天然染料染・・・いわゆる草木染は環境負荷が少ないように思われていますし、一部の草木染作家さんなどはそういう主張をしておりますが、それはあくまで「何かそれっぽいイメージ」なのであって、実際には環境負荷は強いものです。

(当工房は、現在は化学染料をメインに使っておりますが、以前は天然染料染をメインに制作しており、天然染料染は創業時から現在までずっと続けております。だからこそ、シビアにその問題を観る事が出来ます)

もし、草木染が環境に優しいものであるなら、世の中の染色品を全てそれでまかなえばエコが推進されるわけですが、そうは行きません。それは現在運行されている列車の動力を全て蒸気機関にし、燃料を石炭にするようなものです。蒸気機関の技術自体は高度なものであっても技術自体が持つ上限があり、進化した現代の技術には敵わないのは自然な事です。以前の技術に戻っても環境負荷が大きい割に良い結果は得られない・・・そういう所に陥るわけです。

それを「全体の染色品の使用量を減らせば良い。大量生産、大量消費の世界だからいけない。モノを大切にして、直しながら使えば良いのだ」・・・列車なら「列車の運行本数を減らせば良い。不便を我慢しろ」という主張をするのは、無理があります。

例えば、自宅で飲む紅茶のティーバックを貯めておき、それを使って古くなり黄ばんだ絹の白地のスカーフを一枚、薄い茶色に染めました、使い終わった紅茶は堆肥にして自家菜園に撒きました、というレベルなら廃材利用で「環境負荷が少ない」と言えますが、商品として魅力的な色にまでちゃんと染めた作品を、商売になるほどの量、制作するならそういうわけには行きません。

既に高効率で公害対策もなされている化学染料染の製造システムがある現代では、個人で楽しむ制作を超えた規模になると、むしろ草木染の方が染材、水、火力、あらゆる面で資源を沢山使う事になるのは当然の事です。

ついでに言うと、染の仕事で、素手で染めた際に手荒れしやすいのは天然染料の方、という事は多いです。着物を縫う際にも、草木染の反物を縫うと手荒れする事が多い・・・という事を和裁の人から聞いた事があります。自然環境だけでなく自然物の全てが人間に優しいとは限らないわけです。

(草木染に使う媒染剤も手荒れの原因になります)
(全ての天然染料が手荒れしやすいわけではありません)

さらについでに言うと、私は天然素材100%の石鹸だと、皮膚が痒くなる事が多いです。

話がズレました・・・

そもそも、草木染の染材に使われる植物や虫、貝などは色を染めるために存在していたわけではありません。たまたま人間の欲しがった色素を多く含有しており、その色素の耐久性が良い、という理由で使われているだけです。

何にしても染材の全体量からすれば僅かな量しか色素を得られませんから、染めるにあたって大量の染材が必要となり、色素を抽出する際にも手間がかかり、化学染料に比べて染まりにくく何度も染め重ねる必要がある事から火力、水、その他のものも「大量に必要」になります。だから、全て天然素材から色を得ていた昔は、貴重かつ魅力的な色は権力や経済力の証明になったわけです。(染料に限らず顔料も)

草木染は、普通に染めると複雑で落ち着いた色味になる傾向があります。なので、元々彩度の高い色を出せる染材が貴重とされましたし、なるべく彩度の高い色を出すように努力をしました。また、そのような色を得るには大量の染材が必要です。

純色を化学染料で簡単に得られる現代では、草木染で普通に染めた「渋味のある複雑な色味」が愛され、それが草木染の良さとされています。その複雑な色味が、人々の心にやすらぎと喜びを与え、愛されています。

色の問題ひとつとっても、草木染しか無かった時代の草木染と、純色が簡単に出せる化学染料がある時代に、あえてやる草木染では存在価値と位置が違います。

写真で、デジタルカメラ全盛の現代に、あえて銀塩フィルムを使い、オールドレンズを使い印画紙に手焼きするのと、フィルムしか無かった時代にフィルムで撮る事の意味が違うのと似ています。

草木染では貴重な純色を、科学的に分析してそれを化学のちからで再現し、経済性と効率性を上げ一般化したのが化学染料ですから、それは染色文化の進化の一形態です。

例えば、大量の樹皮からわずかしか取れない色素を少量の石油、あるいは石油製品の副産物から産み出せるのであれば、それは公害問題などをクリアすれば、エコ、となります。

染色技術はそういう面ではちゃんと進化しているのです。

そういう状況の現代に、あえて草木染をするのは「人間の欲望・精神を満足させる贅沢品を得るため」となります。もちろん、それは悪い事ではありません。文化とはそういうものです。

・・・というように、意外に全て天然素材の繊維と色素で布・布製品をつくるというのは、環境負荷がかかり、廃材が多く、手作りするなら繊維を糸にするのに手間がかかり、織るのに手間がかかり、染めるのに手間がかかり・・・となるので当然高額になり、しかし耐久性は弱い=エコとは言えない、というのが事実なのです。

しかし、イメージとしては「天然100%無添加・手作り」だと、廃棄材も無害な感じがしますし、身体にも良さそうだし、とにかく良く分からないけど自然環境に良さそうです。何よりも、そういうものは、なんだか嬉しい気がします。

その「天然100%無添加・手作りである事の嬉しさ」を悪用されてしまうのかも知れません。

そこにつけ込んで来る人たちに気をつけたいものです。

「芸術」という言葉が人々の思考を停止させるように「天然100%無添加・手作り」という言葉も人々を思考停止にするのかも知れません・・・

* * * * * * * * * *

長いのでまとめますと、

人間が手つかずの自然のなかで暮らすのは大変な危険が伴いますし、生活の安定を得る事がむづかしい。しかし森を開墾し、人間に扱いやすい自然の形にして作られた山村や街なら、人間は心地よく過ごせます。・・・そうしないと人間は集団で安全に生きていけないからです。

しかし、人間は、どんなに便利な人工物に囲まれ、その利便性を享受していても、自然の雰囲気はどこかに小さくても良いから残しておきたい、それに触れていたい・・・まるで手つかずの自然のなかにいるかのような生活環境のなかで心地よく過ごしたい、そしてお気に入りの道具に囲まれていたい・・・・と思うのです。心がそれを欲するのです。人間の心は贅沢です。しかし、だからこそ人間なわけです。

例えば、住まいの他に、敷地にある美しい池のほとりに東屋を建て、過ごす。しかし、蚊やその他害虫はいないようにしたいし、蛙や虫の鳴き声は心地よく味わえる程度に音量調整して欲しい・・・そこで、お気に入りの天然素材の服を着て、お気に入りの器でお気に入りの無添加のお茶を楽しみたい・・・などなど・・・

それは自然を愛する人に観えますが、望むすべては人工物で成り立っています。その要求が細かくなるほど、実際には「超・人工物」を望んでいる事になります。

なので

自然環境や天然云々の話は「自然と人為と人工物との関係性の問題」という事になります。

その兼ね合いの話なのですね。明快に白黒つけられる問題では無いと私は思います。その都度正解が変わります。

例えば、昔ながらの無農薬・無肥料で自然に育てられた茶の木から収穫した茶葉を高度な手わざで製茶したものが、それゆえに極上の味わいになるという事は起こりますし、実際にそういうものが存在しますが、それは「味わい」においての話です。また、天然100%系のものは、流通も含めた管理と扱いが大変むづかしく、それを少し間違えるだけで品質が落ちるものです。(もちろん、それを実現している人もおります)

ただし、その価値を理解し、大金を払って手に入れ楽しむ人達は、そのような自然のなかの生活はしていない事が殆どでしょう。

また、お茶の木を無農薬・無肥料で育て、その地域には長年化学的な薬品を使わないでいたとしても、その農家は日常生活では現代的な、便利な何かを使って生活をするのです。人間はおとぎ話のなかに生きているのではありません。

そのあたりをキチンと精査しないで、無条件に天然素材だから高等なものだ、無添加だから高等なものだ、それが全てにおいて優れているのだ、人間の生活スタイルも昔に戻れば良いのだ、と主張する人の考えや、つくるものに私は興味を持ちません。

それは有害な妄想ですので。

現代人が純粋に天然100%に生きる事は不自然ですし、不可能ですし、そういう考えを持つ人は、思想や行動が過激になりがちです。

いろいろと書いて来ましたが、

結局、人間は人工物の中に生きている

という自覚が必要だと私は思っています。


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