見出し画像

芸術という言葉は人を思考停止にする強力な呪文ではないかと思う

私は、芸術というのは、一般的な意味合いにおいての

「何やっても良い、何でもアリの自由なもの」

とは思っていません。

そういうものは、実際には自由でもなんでもないからです。

しかし、非常に浅い意味の「芸術は何やっても良い、何でもアリの自由なもの」という考えが、悪魔にかけられた呪いのように人々の思考を縛り付けているんだなあと実感する事が私の周辺で良く起こります。

イヤという程そういう経験をしましたが、そのなかの一つを紹介してみましょう・・・こんな事がありました。

 * * * * * * *

もう随分前・・・20年以上前の事ですが、私のコック時代の後輩がオーナーシェフとしてレストランを開店したので、当時の友人の古道具商と行った事がありました。

食事が終わって、他のお客さまも引けたので、シェフが客席に出てきて一緒に呑んでいました。

シェフの母上は、本格的では無いまでも画家で、シェフ自身も時折何かしらの作品を作ったりする人でした。

そんなシェフと、いわゆる芸術界隈の話題になった時に、

【にへーさんは、なんだかいろいろ言うけど、芸術なんて何でもアリじゃないすか、自由じゃないすか、ゴッホなんかキ○ガイだからあんな絵が描けたんすよ。世間の常識から弾けちゃったから、ああいう絵が描けたんすよ。摂理とか人為とか何言ってんすか、そんなの関係なく感じたいように感じて、やりたいように吐き出すのが芸術っすよ!それが許されるのが芸術なんです!】

と言うので

【いや、オマエが言うのは古臭い知識やどこかの誰かが設定した芸術とか自由だろ。そんなものに振り回されているオマエの精神は自由か?そんな他人の思考の檻にいるオマエが思いつきで振り回すモノが自由で芸術なのか?

それに、ゴッホはキ○ガイじゃないよ。ゴッホには資質と才能があって、さらにものすごく勉強して練習して、自分の芸術はどうものかを考え抜いて試行錯誤して、そしてああいう境地に至ったんだよ。ゴッホは紛れもなく優れた画家であって、創作上のキ○ガイではない。たまたま「人間ゴッホの精神が病んだだけ」の話だ。キ○ガイだからスゴい絵が描けたんだなんて、ゴッホに失礼だよ・・・オマエはどこかの誰かがゴッホにまとわりつかせた「物語」に毒され過ぎだよ。そういう枠にはめられた思考や感受性は自由じゃないだろ・・・ちゃんとゴッホの絵をそのままに観ろよ。絵そのものに回答があるだろ】

【いや、そんな理屈はどうだっていいんすよ。だいたい、俺がゴッホをどう感じたって、どんな意見言ったって勝手じゃないすか。それが芸術なんだから。とにかくキ○ガイじゃなきゃ、あんな絵が描けないと俺は思うんだから、それでいいじゃないすか!】

【そりゃ、自由に感じて自由に意見を言うのは止めやしないけどさ。同じように、オレはオレの意見を言わせてもらっているってわけだから、オレの話も聴けよ。

真の芸術作品が持つのは人間の思考を超えた摂理だよ。だから尊い。それは存在自体が持つ自由そのものだろ。それはものすごくヤバいエネルギーだぞ。例えるなら核融合の世界だぞ。オマエが言うキ○ガイの芸術家なんてそれに比べたらカワイイもんだよ。それにな、キ○ガイだからホンモノの芸術家になれるっていうんなら、世の中芸術家だらけだろうよ。笑】

【また屁理屈ばかり言って・・・そんな面倒くさい理屈なんてどうでも良いんすよ。芸術は自由で、何やったっていいんだから。自由に感じて自由に吐き出すのが芸術で、それでいいじゃないすか!芸術はバクハツだ!でいいじゃないですか!】

【そういう文脈での、何やってもいいんだは、不自由にしかならないんだよ・・・「芸術というのはこういうもんだって思考の塊がある時点で自由じゃない」だろ・・・そこで使われる自由って言葉は自由っていう檻になるんだよ。え?意味分かんねえって?

・・・あのなあ、オレは、オマエが料理のプロとして店やるようになったから、オレはオマエの料理の考えや、やり方がオレの考えと違っても、それを尊重し、いろいろ質問して、話を聴いて理解しようとしているだろ。オレはオマエを料理人として尊敬しているからな・・・オレは一応、創作方面のプロなんだからさ、オマエの考えと違うとしても、オレの言う事を一応は受け止めて理解しようとするのは、人としての礼儀じゃないのか?オレは創作人としてそんな風に観てもらえて無いって事なのか?それとも、他人の意見なんて聴かないのが自由で芸術なのか?オレはそういうの、分からんなあ・・・】

【にへーさんは、そんなだから中途半端なんすよ。そんな理屈言ってないでもっと常識から開放されなきゃ芸術家になれないすよ!俺はにへーさんには本物の芸術家になってもらいたいのにどうしてそういう理屈ばっかり言うんすか!】

【おいおい、オレは自分を芸術家と名乗った事は無いぞ。それにオマエの言う“そういう芸術家”になら、なりたくないしな。笑】

・・・なんて話になって・・・

「うわあ、芸術という言葉の前に思考停止になる典型的なタイプだなあ・・・めんどくせえ・・・」

と思ったものです。

「自由だと念仏を唱えても自由になるわけではない。そして事実として自由の状態にあると自由という言葉を必要としない」

こういう当たり前の事が知られていないんですよね。

シェフは料理ではちゃんと創作性を出せているのに「芸術」という言葉を前にすると、思考停止して、短絡的で古臭い呪文のような理屈(?)をこね回すようになってしまう。

私から見ると「意味の分からない理屈をこね回しているのはオマエの方で、オレは観察結果の説明と、その実証をしているだけ」となるのですが、一般社会ではそうはならないようです。

だから、私は芸術という言葉をあまり使わないように会話するのですけどね。芸術という言葉は、人を思考停止、感受性停止にするのです。私の経験だと。

で、お店を出た後、一緒に食事をした古道具商が、帰りの電車のなかでこんな事を言う・・・

「あの話さ、オレはシェフの言う事の方が正しいと思うよ。芸術は自由だよ・・・にへーさんはいろいろ理屈言うけどさ、芸術は自由じゃん・・・」

・・・・「オマエもかっ!」

私は、こういう事が起こる度に、心底、一般社会的な意味における「芸術」なる言葉と概念の忌まわしさを感じるのであります。

あらゆる世代、あらゆる分野の人から、この手の主張を聞かされ、絡まれ、説教され、ウンザリしているわたくしなのであります。

ほんっと、めんどくせえ(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?