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伝統の技術や知識は一度身につけたら価値が変わらないというものではありません

伝統文化系は、一度厳しい修行?で身につけたら「全く目減りのしない資産」であるとし、それを身に付けた自分は一般人とは違う文化的に優位な人物としてその知識や技術を下々に下賜すれば良い、それを身につけた事自体が伝統文化の伝承であると思っている人がいかに多いか・・・と思う事があります。

真に伝統文化を愛し敬意があるなら自分が厳しい修行で身につけたものを、現代に最もその伝統が活かせるように更新し社会に発信する努力を、自分がその伝統を身に着けた際の大変さ以上のエネルギーでもってするべきではないのか?

それを自らに課す厳しさこそ、伝統の伝承や継承ではないのか?

・・・と、私は思うのですが、社会からの認定の無い私が何を言ってもやっても無駄と言えば無駄で、残念ながら殆ど世の中には響きません。

でも分かっちゃいるけど、発信はやめられない。

私には学歴も修行歴も無いですし、師匠はいないし何の認定も受賞歴もありません。私にあるのは「創作だけで実際に家族と弟子を抱えて東京都市部で30年食ってきた実績だけ」です。しかし、これはどうしても権威や認定には信用面では勝てません。

しかしながら私は主に日本の伝統文化に関わる事で食わせてもらっているのだから、伝統の種籾を少しは預かっているわけで、それを次世代に渡さなければなりません。別に誰にそうしろと言われたわけではないけども、私は伝統に関わる当事者としてそうしたいと思うからそうするだけです。例え話ではなく“実際に”伝統に食わせてもらっているのだから。

受け取った種籾を自分で食い尽くしてしまうなんて出来ない話です。理屈ではなく体感的にそれは出来ません。

何か、伝統の恩恵をたっぷりと受けて、それで食わせてもらっていながらその恩を返さなかったら・・・無間地獄に落ちそうで。

ウチではサラリーマンのような月給を支払って雇う形式の事は出来ませんが、後進の育成は出来る限りしております。色々な相談にも細かく乗っておりますし、色々な技法や方式も公開しております。私がそういう事をしていても、たいして結果は出ないかも知れない。しかし、最初からやろうとしない、あるいは後継者育成にかこつけて教室経営や助成金のネタにするのは全然違うと思うのです。また、ちょこっと若い人を入れて、ちょいちょい教えて未完成なまま世に放って、食えずに途方に暮れる弟子を量産し、オレは沢山の弟子を排出していると師匠顔する人もどうかと思います。それはある意味文化公害です。

一見、伝統文化を広めているようで、実際には公害を広めている場合もあります。

ただやれば良いというものではない。なかなか難しいものでもあります。


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