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レース“文様”の和装についてあれこれ

当工房では、アンティークレースをモチーフにした和装の「文様染め」をしており、それは当工房のスタンダードラインのひとつです。

25年ぐらい前・・・1998年ぐらいから作り始めて、今に至ります。

技法は、全く和装染色の伝統技法で、糸目友禅(ゴム糊)とロウの文様染で染め上げます。

そのレース文様の作品を制作していると面白い体験をするのですが、

「お客さまが、レース使いの洋服はあまりお似合ではないのに、着物や帯のレース文様はとてもお似合いになる」

なんて事が起こるんですね。

当工房で行っているのは、あくまで日本の伝統技法を用いた文様染であり、本物のアンティークレースを着物や帯に縫い付けているのではありません。(良く勘違いされますが!)

そして日本的空間、日本人に合うように調整して和装の図案を組んでいるので、そうなるのは当然・・・ではあるのですが(そうでなくては困ります)しかし、制作した自分であっても、実際にそれを目の当たりにすると「なるほど、そういうこともあるんだなー」と感心します。

古今東西の伝統柄を元にして新たに和装文様を作り出す際には、自分自身の創作というよりも「題材にしたものがより良く生育するように作者は力を尽くす」感じになります。

例えば、同じ伝統柄を二人の人が使うとします。それは伝統柄ですから、それ自体を大きく変更する事は出来ません。そうしたら、それは別物になってしまいますから・・・そのような場合「それぞれの文様“扱い方”に個性が出る」のです。

それは例えるなら、バラ農園の人が、ある品種のバラを育てる場合、最もその品種のバラらしく、かつ美しく咲かせる努力をしますが、バラの花自体に直接加工するわけではありません。「そのバラの咲かせ様が、その農園の人の個性になって表れる」わけです。

それ以上に変に個性を表に出すべきではありません。そういう場合の“個性”は全く不必要で余計なもので、非常に野暮ったい恥ずかしいものになります。

創作といっても、何でもアリでは面白くなく、制作する人が作品の開花を後押しする感じが強いタイプの仕事があります。その制約によって、逆にその作品がより広く深くなるのです。


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