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「語り野をゆけば」における場所の感覚
東北リサーチとアートセンターで開催されている「語り野をゆけば」展について(2018年1月18日~2月18日)https://artnode.smt.jp/event/20180104_2544。 会場には三人の語…
メモ(風間サチコ「肺の森」)
ボッティチェリ『プリマヴェーラ(春)』の中央部に描かれた木陰の「肺」と、風間サチコ『灰の森』の比較。
ボッティチェリ『プリマヴェーラ(春)』(部分)1482年頃
風間サチコ『灰の森』2021年
《二重のまち/交換地のうたを編む》における身体性について
2月にせんだいメディアテークで開催されていた小森はるか+瀬尾夏美「ほぼ8年感謝祭 あわいの終わり、まちの始まり」展で、《二重のまち/交換地のうたを編む》という映像作品を見ました。
「旅人」という設定で四人の若者たちが、見知らぬ街(陸前高田)を訪れている姿を記録した作品でした。特徴的だったのは外部から街にやってきた若者たちと、土地の人たちの交流を目的に開催されたワークショップを土台にした記録作品であ
風間サチコ展「ディスリンピア2680」
原爆の図 丸木美術館で風間サチコ展「ディスリンピア2680」が開催されています。会場に展示されている縦2.4m×横6.4mという作品の大きさには戦中の「写真壁画」(注1)を連想させるものがあり、思わず「木版壁画」と呼びたくなるようなスケール感がありますが、風間の作品の巨大化は2005年に発表された「風雲13号地」から見られる傾向であって、発表を重ねるごとに大きさを増していく巨大な画面は、観者の全体
もっとみる「ヤッホー!」中野浩二彫刻展から3Dで作品を見ることについて考える
ギャラリーターンアラウンドで「ヤッホー!」中野浩二彫刻展(2018/4/3~15)が開催されていた。会場にはゲオルク・バゼリッツの木彫を彷彿させる作品群が展示されていたが、新表現主義を代表するバゼリッツの荒削りの作品と比較すると、石膏を使用する中野の作品から受ける印象は激しさではなく多分に静的なものであった。静的ではあるが、作品には回転や歩行、或いは壁に寄りかかるといった動きが持たされている。それ
もっとみるダミアン・ハースト「Treasures from the Wreck of the Unbelievable」展
2017年にヴェネツィアで開催されていたダミアン・ハーストの展覧会「Treasures from the Wreck of the Unbelievable」(2017年4月9日~12月3日)について。
会場に展示されていた作品の大半は、「身体」をモチーフとしていましたが、西欧の美術史が「身体」の表象の歴史であることを考えれば、「身体」がメインとなることに不思議はありません。ただ特徴的だったのは
「二重のまちを読む」を聞く
せんだいメディアテークの「星空と路—資料室」に展示されている、小森はるかと瀬尾夏美の「二重のまちを読む」について。瀬尾の2031年の陸前高田を舞台とした物語、『二重のまち』をテクストとした作品で、タイトルに「読む」とありますが、「黙読」ではなく、「朗読」という身体行為を前提とした音声作品です。椅子の上に置かれた4つのヘッドホーンから複数の語り手たちの声を聞くことが出来ますが、特徴的なのは複数の語り
もっとみる「根をほぐす」を見る
小森はるかの映像作品「根をほぐす」(2018年、18分)は、長編映画「息の跡」(2016年、93分)の別ヴァージョンとして制作され、せんだいメディアテークの「星空と路—上映室」で発表された作品です。作品の枠組みとなる舞台は「息の跡」と同じで、陸前高田でたね屋を営む男性の日常を記録したものですが、特徴的なのは、その後の世界を新たに撮影記録したものではなく、既に撮影されている映像を再編集することで、同
もっとみる「語り野をゆけば」における場所の感覚
東北リサーチとアートセンターで開催されている「語り野をゆけば」展について(2018年1月18日~2月18日)https://artnode.smt.jp/event/20180104_2544。
会場には三人の語り手たちの言葉(映像、テキスト)と、それに付随する関連資料(地図、写真)が展示されている。展覧会の特徴は「語り継ぐ」というコミュニティ空間の形成にあると思われるが、ここでは「語り手/聞き
≪波のした、土のうえ≫論
On “Under the Wave, on the Ground”
1.理解することは猥褻か
小森はるかと瀬尾夏美による映像作品≪波のした、土のうえ≫を論じるにあたり(註1)、まず始めに確認しなければならないのは、小森と瀬尾、そして各映像作品に登場する人物たちによる三者共同という制作スタイルの妥当性についてです。≪波のした、土のうえ≫は3つの映像作品によって構成されていますが(註2)、そこで