世界ってのは、そんなに遠くにあるもんじゃない
体育や保育、教育関係の仕事に長く就いています。
「世界で活躍できるように」
「世界に羽ばたく人材を育てるために」
「世界に通用するスキルを身に付ける」
などという言葉を今の時代よく聞きますが、その「世界」というのはやはり、海外や異国のことでしょうか?
英語や第2言語を身につけて、グローバルに仕事ができること?
留学したり、外国に住んだり、世界中を旅すること?
国際的な広い視野で物事を考えられること?
オリンピックに出場したり、世界ランカーになること?
目標を大きく持つことを否定する訳ではないです。
ある程度の教育を受け、自分で考えられる年齢になって自分の意思で目指すのならばいいのです。
しかしあまりに早く、子どもの頃から本人の気持ちや才能の有無とは関係ないところで、親や大人や先生たちがそれを言うのはなんだか違うなあと思う話です。
①まずは身近な世界から
自分のことや家族、近しい人や目の前にいる人を大切に・幸せにできない人が、遥か遠い異国の人のことまで考えられますか?
言語も文化も歴史も環境も大きく違う人たちのことや、顔も名前も分からない誰かを考える前に、まず今自分の周りにいる人たちのことをよく知って理解し合ったり感謝を伝えたり、大切に関係を築くことがスタートだと思います。
「きょう、だれかを、うれしくできた?」
まさに、そゆこと。
家族や身近にいる人を喜ばせたり、happyな気持ちになれることを考えたり、思いやりを持って接することがまずいちばん。
私は現在保育士をしていますが、子どもたちに伝えたいのはこういうことです。国際的に活躍するとか、世界的に有名なビッグネームになることなんて、別に期待していません。(そもそも単なるイチ先生にそんなことはできません。)
そういうのは親や大人や先生が望むものではなくて、子ども自身がみずから望めば応援していくものだと思っています。
まずはその子自身が幸せになってほしい。毎日笑って過ごしてほしい。好きなことややりたいことを見つけて頑張る楽しさを知ってほしい。
そこが根っこなんですよね〜。
②80億分の1の幸せ
以前、有名な絵本作家さんの研修を受けたときに印象深く残った内容を紹介します。
いや~~。深い。なんかじーんときた。
つまり、私が今日好きなことをできたり、優しい気持ちになれたのならば、世界は80億分の1、良くなった。
夕飯を作って、私と夫の空腹が満たされたのなら、世界の80億分の2を、幸せにできた。
職場の子どもたち30人を、今日笑顔にできたのなら、80億分の30、世界を平和にできた。
こう考えると、素敵な話だなあ。と、思いません?
自分から半径数メートルの範囲の世界だって、世界です。少し良くなれば、幸せが増える。社会貢献は、私にだってできている。
さらに言うと、私が子どもたちを園で預かっているから、その保護者さんたちは社会で働くことができる。
安心して預けられるからこそ、幼い子を持つ親も仕事ができる。その親の仕事の向こう側にもまた多くのお客さんがいて、たくさんの誰かの役に立っている。
我が子の成長を園のお陰と感じた親がいたとすれば、それは、子どもと親と私の、3人(両親なら4人)の幸せ。
こう考えれば、私もちゃんと、世界をより良くすることができているんじゃないかなと思えます。
80億って人間の数だけのことだから、他の動物や生命や自然環境も含めれば、分母はもっともっと地球規模で大きくなります。
③私にできることは何だろう?
先生が褒めてくれた
今までできなかったことが初めてできた
気持ちを分かってくれた・気付いてくれた
一緒に遊んでくれた・おもしろかった
自分のことを見ていてくれた・話を聞いてくれた
手を繋いでくれた・手伝ってくれた
泣いてたら抱っこしてくれた
困っていたら助けてくれた
ありがとう・がんばったねって言ってくれた
大丈夫だよって言ってくれた
などなど。(子ども目線で書きました。)
保育士として先生として、私が子どもたちにできることは、まだまだ他にもめちゃくちゃいっぱいあると思うのです。特別な才能や突出したスキルがなくても。
目の前にいる人を少し幸せにすることや笑顔にすること・嬉しい気持ちにすることは、実はそんなに難しいことではありません。
別に、教職でなくとも仕事のお客さんのことでなくとも、身近な誰かのためにちょっとアクションをするだけでいい。電車で席を譲るとか、お礼を言うとか、ごみを拾うとか。
世界ってのはそんなに遠いところや遥か彼方海の向こうにあるもんじゃない。世界を良くすることは、実は誰にでもできる。
まずは80億分の1の自分から。
あなたが今日食べるものや着るものに困らなくて、雨風しのげる家で暖かい布団で眠ることができて、健康な身体があって家族もいて、やりたいことや好きなこともできているのなら。これを幸せと思える心があるのなら。それは幸せ。
そこから始まって、それから広がっていくもの。
つまりは秀でた才能がなくとも、誰だって社会貢献はできるってことを言いたいのです。
そう考えながら、私は今日もお仕事に行こう。可愛い子どもたちが待っている。いってきまーす!
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