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ドラマチックに若死して伝説となったモーツァルトを聴く日、のための曲 #05

今日にぴったりな、今日のための音楽を紹介

W・A・モーツァルト(1756–1791) /   交響曲第40番 ト短調

シューベルトやモーツァルトみたいに(中略)潤沢な才能を短期間に威勢良く使い切って、ドラマチックに若死して美しい伝説となってしまうという生き方

これは村上春樹さんのある著書の中に書かれている一文である。(小説家ランナーとしての自伝の中で”才能”について語っているシーン)昨日の夜にちょうどこの部分を読んでいた。


ドラマチックに若死して美しい伝説となったモーツァルト、を讃えるための曲

今日はそんな彼の作品で3大交響曲(第39番、第40番、第41番)のうちの1つ、第40番を紹介する。
とその前に、彼の成功は本当に輝かしい才能のおかげだけなのだろうか。ということについて。(モーツァルトのWikipediaを見たことある方はいるだろうか?彼の名前の紹介には別名:神童とあった。思わずにやりとしてしまって試しにベートーヴェン(楽聖)シューベルト(歌曲王)も検索してみたがそんな記載はなかった。おそるべし、神童)

そんな彼はご存知のとおり、スパルタお父さんのもとで3歳の頃から音楽を教え込まれた。初めて作曲をしたのは諸説あるが5歳といわれている。
むかしは、すごいなあ才能に溢れていて幸せだったんだろうなあ、だからこんなに明るい曲ばっかりなんだろうなあ、、と思っていた。わたしは明るい曲を演奏することが心底苦手である。
そんな頃、”旅先でモーツァルトが書きためた手紙”の小説を読んだ(恋心を抱いていた相手への手紙などもあるが、少し内容が、濃い)彼がいた時代の作曲家というのは完全職業のため、もちろん自分好みの音楽を追求し続けることはできない。彼が明るいロココ調の音楽をばかりを作っていたのはそういったワケがあったのだ。しかも職業として作曲家というものは儲からない。苦しい生活を送る時期も多かったはず。そして彼は亡くなる少し前に、”自分の才能は小さい頃から他の誰よりも多くの時間と膨大な思考をかけて努力してきた結果を意味する”  といっている。

そして35歳で亡くなったのだ。死因も諸説あるが幼少期からの数多くの旅により悪化した病、もしくは毒殺。である。

さて彼は本当に才能のおかげだけで、250年以上も先の未来にいるわたしたちにも感動を与えているのだろうか?

とにかくある意味、死に方はとてもドラマチックである。(村上春樹さんはクラシックがお好きなようでよく本の中に音楽の話が出てくる)

モーツァルトの作品は先ほど述べたように明るい曲ばかりなので、ほとんどが長調で作られている。今日は数少ない短調の作品。ト短調。
当時人気であった明るく甘美な彼の作風とは少し違い、内面的なしかしロマンチックさを残した悲観的すぎない響きが新しい。この作品の中でも有名な第1楽章の主題は、『ため息のモチーフ』ともいわれている。(わたしは単に落胆したような”ため息”ではないと思っている。もっと深い)


ということで、神童32歳の頃の作品

そしてこちらが先ほどの小説。モーツァルトの手紙


村上春樹さんの小説も。



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