お笑いが好きだけど、誰かを傷つけるお笑いは嫌だ。でも自分がおもしろいと笑うものが誰かを傷つけるお笑いかもしれない。
「おもろい以外いらんねん」 大前粟生 読書感想文
「誰かを傷つけるお笑いへの違和感を小説に」というネット記事を読んで、この本を買おうと思った。ちなみにこのネット記事もぜひ読んでほしいです!ネット記事→https://book.asahi.com/article/14162382
私はお笑いが大好きだ。劇場へ何度も行ったことがあるし、新喜劇も漫才もコントも大好きだ。
けど、ここ数年で容姿いじりや誰かを馬鹿にしたりするものはどうなのか?という流れに変わっている。
実際に私自身もそういうものは嫌だと感じるようになった。特に独身女は不幸みたいないじり方がすごく嫌なので、そういう発言をする人の番組は見ないようにしている。
とはいえ、「ハゲやないか!」「デブやないか!」みたいな容姿いじりがおもしろいという感覚も自分の中には少しあるし、自らの容姿いじりをする芸人さんも面白いと思う感覚もある。
誰かを傷つけるお笑いはよくないし、でもどんな感じのものはだめなのかというのも難しい、どこまでの皮肉はいいのか、その判断が難しいだろうなと思う。
お笑いが好きだけど、誰かを傷つけるお笑いは嫌だし、でももしかしたら自分がおもしろいと笑うものが誰かを傷つけるお笑いかもしれない。
そんなことを特にここ1年くらいもやもやと感じていて、この本に出会った。以下感想です。
”「いま、なにを笑ったん。あんたのそういうとこ笑えへんで。まああんただけとちゃうけど、そういうひと腐るほどおるけど」”(本文より引用)
これは、高校の先生が滝場と話したときのやりとりだ。「滝場くんは女の子からも男の子からもモテる」と先生が言うと、「男から?」と笑った滝場に対して、先生が言った言葉だ。
こういうやりとりに、「誰かを傷つけるノリ」がぎゅっと詰まってるなぁ。こういうLGBTQを笑うやりとり、本の中の滝場はきっとLGBTQの人たちが心底大っ嫌いとか馬鹿にしたい気持ちがあるわけではないと思う。ただ、軽い気持ちで「男なのに男からモテる?ゲイってこと?ウケる」みたいな感じだろう。
でも、その何も考えずに軽く発した言葉が誰かを傷つけるかもしれない。
”「女やん!そろそろこのくだり終わっていい?あんま続けてると炎上してしまうから」”(本文より引用)
これは、作中の芸人たちがトークをしている中で、男芸人が冷え性です、ヨガしてますなど発言してそれに対してMCが「女やん」とツッコんでいく流れができて、その最後にMCが言った言葉だ。
こういう感じの発言はすごく苦手だ。「本当はこのノリ続けたいけど、差別とかうるさい人たちがいるから炎上しないために不本意ながら終わらせます」という意図を感じる。
けど実際にこういうような発言をする人は作中だけでなくテレビでもいる。「昔のほうがやりやすかった」とか。
実際にこの本の作者の大前粟生さん自身もお笑いが大好きで、でも誰かを馬鹿にするような笑いに違和感を持っていたそうだ。だからこそ、内容にとても共感したんだと思う。
作中の登場人物のやりとりが「実際にこの流れ、バラエティか何かからそのまま取ってきましたか?」ってくらいリアルだし、そのやりとりの中身も「うわ、こういうの嫌だ」と思った。きっと作者自身が嫌だなと感じていることが反映されてるんだろなぁと思った。
この本を読んで思ったのが結局なぜ差別がなくならないかって「こんなことで傷ついたとか大げさ笑」「え?何マジになって怒ってんの?」「このくらいの冗談スルーしないと」という人たちのほうが多数派だからかもしれない。
それと、冒頭にも書いたけどどこまでがセーフでどこまでがアウトかの判断はとても難しいということ。どこまでがセーフかは人によって違うし、言い方やその場の雰囲気などでも言葉の印象は変わってくる。
そう考えるとお笑いって奥が深くてめちゃくちゃ難しい。
お笑いだけでなく、実生活でも同じだ。
本人にとってのイジリは誰かにとってのイジメかもしれない。それを「ノリ悪いなぁ笑」で済ませてたら、コミュニケーションもクソもない。
でも本を読むほど、作者の考えにとても共感できるから胸が苦しくなって、「傷つけない笑いとは。どうすれば…」なんてもやもやぐるぐるしてた。その時、このもやもやを少し解消してくれそうな言葉があった。まあ、これも冒頭で紹介した作者のインタビューだから本の内容ではないけど、これも紹介させてください。
”お笑い芸人さんに対して「おもろい」以外のことを言うのは失礼なんじゃないかと思っています。まず「面白い」が最初にあって、その上で「傷つけない」なら良いと思うのですが、「傷つけない」ということばかりをフィーチャーするのは、芸人さんに失礼なんじゃないかな、と。
傷つけようとしないことが前提になるのはいいことだし、誰かを蔑む笑いはきついなと思うけど、「傷つけない笑いをしているからすごい」というのには違和感があります。”(好書好日の記事より引用)
あぁーたしかに。しっくりくる。これって美人すぎる○○と同じだよね。たまに女性で専門的な仕事とか女性が少ない仕事で美人な人がいると、美人すぎる○○ってスポットを浴びる。本人は美人かどうか関係なくその仕事に誇りをもって取り組んでるのに見た目でもてはやされる。(まあ、本人があえてブランディングとして自分の外見を武器にしてるなら良いと思うけど。そうではなく、本人の意思に関係なく周りが勝手にもてはやすのはちょっと、ということです。)
お笑いもそもそもは、おもしろいかおもしろくないかがベースにある。だから誰かを傷つける内容の笑いがあったときは、「それはどうなのか?」と議論されるべきだけど、「この芸人さんは傷つけない笑いだからすごいよね!」はちょっと違うということか。
そして、もう1つ、ネットで傷つけない笑いについて調べた時、芸人さんが書いた記事も参考になった。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5eea05a6c5b6e63de82cb41b
特に以下の部分です。
”何せ僕たちは面白かったらなんでも笑ってしまうわけです。友達同士のコミュニケーションなどで、「これ笑っていいのかな」とか思いながら笑ってしまったことはありませんか。爆笑してしまったあとで「ちょっとさっきの笑っちゃいけなかったな」などと反省したことはありませんか。
「人を傷つけない笑い」を目指すとき、僕らは意外となんでも笑ってしまう、なんでも面白がれてしまうということを認めるところから考えねばならないと思うのです。面白くても引く、という判断が必要なのです。
「人間は倫理的なんだから、そんな非倫理的なもので笑ってはいけない」ではなく、「人間は非倫理的なものでも笑ってしまうのだから、倫理的にならねばならない」と考えるとき、はじめて「人を傷つけない笑い」を目指すことができるのだと思います。”(ネット記事より引用)
あ〜〜〜!なるほど。「(傷つける笑い)でもおもしろいからいいじゃん」でも「傷つける笑いをおもしろいと思ってしまう私はひどい人だ」でもない。「傷つけるものでもおもしろいと感じちゃう」からこそ、傷つけてしまわないかを考えないといけないのか。
芸人じゃなくても、日常生活で冗談のつもりで誰かを傷つけてしまうかもしれない。私はお笑いとかおもしろいことが大好きだ。大好きだからこそ、傷つけることなく傷つくことなく笑って、爆笑して毎日過ごしたい。うまくまとまってないけど、おわり。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?