くめ / SEKAI HOTEL Fuse 支配人

どうも、大阪の下町 布施で "まちごとホテル" の支配人をしてる人…

くめ / SEKAI HOTEL Fuse 支配人

どうも、大阪の下町 布施で "まちごとホテル" の支配人をしてる人です。 1997年生まれ。20歳の時に、スポンサー5社を獲得し世界一周へ。ヒッチハイクで1万キロ、80軒ホームステイしながら、35ヵ国を旅した。 旅で学んだコトや、地方創生について書いていきます。

最近の記事

  • 固定された記事

「お互いさま」が、まちと僕をつないでくれた話。

僕は、大阪の布施というまちでSEKAI HOTELというちょっぴり変わったホテルの支配人をしています。 そんな僕が、このまちで学んだ「地域との関係性で大切なモノ」について、恐縮ながら書いてみました。 簡単に「SEKAI HOTEL」とは? 私たちは、「旅先の日常に飛び込もう」 をコンセプトに、地域のありのままの日常を楽しんでいただくホテルです。 SEKAI HOTELは、旅先の日常を楽しんでいただくために、まち全体にホテルの機能を分散させた「まちごとホテル」となってい

    • 逢いに行く、でも逢えない。だからまた逢いに行く。【高岡市】

      高岡市との出逢い。この街との出逢いは、2020年。 会社の社長から「高岡はいいよ〜」という話を聞いた。 富山県は、高岡市。 食、酒、ローカルなお祭りに絶景、たまらないキーワード達がたくさん。 いつか行きたい、そう思っていた。 そんなある日、ひょんなことから"仕事"で訪れることになる。 はじめて逢いに行く。初めて訪れたのは、2021年6月。 私の住む大阪からサンダーバードに揺られること4時間。 澄んだ空気とカラッとした暑さが出迎えてくれた。 高岡駅前に降り立った僕は

      • 帰りたくなる "まち"は、いくつあってもいいじゃないか。

        僕は、「さよなら」が言えないホテルマン。 いや、言わないホテルマン。 「いつでも帰ってこれるように」 だから、言わない。 2020年から今日まで、 コロナウイルスをはじめとする様々な要因によって「観光」に対する価値観が多様になったと思う。 今回は「これからの観光とホテルの在り方」について僕の思うことを書きました。 繋がりは、人を豊かにする。 だから、帰ってきたくなる"まち"、 そして、ホテルでありたい。 そんな想いを綴っています。 ホテルを選ぶ。目的の多様

        • 「名もなき一日」の中にこそ、小さな幸せが詰まってる話。

          「名もなき一日」 それは 「当たり前のように過ぎゆく日常」を示す。 あなたも、ふと振り返ってみてほしい。 この1週間でどれくらい 「名もなき一日」があっただろうか。 いま、考えてみてほしい。 あなたの「名もなき一日」では、 どんなことが起こっていただろうか。 もしかすると、あなたは 例をあげる事につまずくかも知れない。 では、 もっとゆっくりと 思い返してみてほしい。 大きく深呼吸し、 息を整えて、 天井でも眺めながら、 あなたの記憶を遡ってほしい。

        • 固定された記事

        「お互いさま」が、まちと僕をつないでくれた話。

        マガジン

        • 読みたい
          0本
        • マーケティングについて
          1本

        記事

          旅先では「迷子」になった方が、絶対にいい。

          僕は「迷子のプロフェショナル」だ。 たぶん僕は、一般的な人よりも「迷子」を多く経験していると思う。 また、「迷子」というモノに魅力を感じているひとりである。 僕の迷子経験は、ほとんどが "旅先" にある。 僕は、18歳で単身ニューヨークへ、19歳でアメリカを横断し、20歳で世界一周の旅へ。 約35ヵ国をわたり、約11,000km (およそ地球一周の4分の1) をヒッチハイクで移動しながら、約80世帯に方々のお家に泊めてもらった。 そんな旅の中では、数えきれないほど「迷

          旅先では「迷子」になった方が、絶対にいい。

          雨の日にこそ「お互いを想う時間」が増える話。

          僕は、雨の日にこそ "まち"を想う。 それは、雨の日の方が「お互いを想う時間」を作れるからだ。 僕は、SEKAI HOTELという "商店街のど真ん中にあるホテル” の拠点支配人を務めている。 このホテルでは、「ありのままの日常」というのを旅行体験として楽しんでいただくために、あえて" 商店街" という立地でホテル運営を行なっている。 場所は、大阪 "布施" というところ。 まだまだ大阪の下町文化が残る、本当に居心地のいい"まち"だ。 だからこそ、「ありのままの日常」

          雨の日にこそ「お互いを想う時間」が増える話。

          今日も「日替わり弁当」から、ドラマがはじまる。

          「今日の "日替わり弁当" って何ですか?」 僕は、毎度と言っていいほど「日替わり弁当」を注文する。 なぜなら 「日替わり弁当は、ドラマチック」 だからだ。 「旅先の日常」と、 すごく似ている。 今日は「旅先の日常に飛び込もう」というコンセプトを掲げる SEKAI HOTELで拠点支配人を務める僕が "旅先の日常"と"日替わり弁当"が似ている論 について述べようと思う。 「日替わり弁当」は、予測不可能。 ローカルっぽいお店さんに行ったとにほぼ "日替わりメニュー"

          今日も「日替わり弁当」から、ドラマがはじまる。

          「小さなトラウマ」を調教せよ。

          はじめに この記事での僕のトラウマ体験は、 比較的小さなモノだと思います。 強いトラウマを抱えている方にとっては、 理解しがたい・不快に感じる可能性があると思っています。ご了承下さい。 また、あいつがやってきた。 「トラ」と「馬」が融合した 恐ろしいモンスター。 あいつの名は「トラウマ」。 狩りの王様である「トラ」と、俊足で大地を駆ける「馬」という、いかにも逃げ切れないようなコンビネーション。 だが、実はそんなことはない。 今回は、僕自身がトラウマ級に怖かった体験

          「小さなトラウマ」を調教せよ。

          世界一周は「小6の僕とオトンの一言」があったから。

          「独りでブラジル行くか、サッカー辞めるか、どっちがいい?」 オトンが僕に放った一言が、結果として、僕を世界一周へ行かせることとなった。 それは、小学校6年生の冬。 中学校に行っても クラブチームでサッカーを続けたいと言った僕への一言だった。 ただのサッカー少年期 僕は4歳でサッカーに出会い、高校卒業までの14年間をサッカーに費やした。 しかしながら、小学校の頃から決して上手い方ではなく「大声, 体力, 根性」という、まるで昔のスポ根アニメのようなキャラクターで、背番

          世界一周は「小6の僕とオトンの一言」があったから。