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「お互いさま」が、まちと僕をつないでくれた話。

僕は、大阪の布施というまちでSEKAI HOTELというちょっぴり変わったホテルの支配人をしています。

そんな僕が、このまちで学んだ「地域との関係性で大切なモノ」について、恐縮ながら書いてみました。

簡単に「SEKAI HOTEL」とは?

私たちは、「旅先の日常に飛び込もう」
をコンセプトに、地域のありのままの日常を楽しんでいただくホテルです。

SEKAI HOTELは、旅先の日常を楽しんでいただくために、まち全体にホテルの機能を分散させた「まちごとホテル」となっています。
商店街の中に客室が分散していて、近所の喫茶店でのモーニング、地元の銭湯が無料で使えたり、提携しているお店さんがあったり、まち全体で「ホテルステイ」を楽しんでいただくホテルとなっております。


会話の出だしはいつも「すいません」。

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僕が布施にきたのは、2019年7月。
SEKAI HOTEL の二拠点目としてオープンし、一年を過ぎようとする頃で、その日から、SEKAI HOTELのスタッフとしての日々が始まった。

まず僕は、お越しいただいたゲストに「まちの日常」を楽しんでもらうために、自分が地域を知ることから始めた。

毎日布施のまちを練り歩いた。

すると、近所の方もSEKAI HOTELという名前くらいは知ってくれていたし、提携してくれているお店さんもあった。もちろん、仲良くしてくださっていたり、応援してくれている地域の方々もいた。

しかし当初は、まだ知名度も低く、近くにホテルがないことから"ビジネス利用"のゲストさんも多く、なかなか「まちの日常を楽しんでもらう!」ということができていなかった。

そんな日々が過ぎる中で、僕の心の中では、地域の方々に対するある感情が生まれていた。

「協力していただいてるのに送客できず申し訳ない。」
「協力している意味や楽しさを感じてもらえてないのではないか?」
「期待に応えられていないんじゃないのか?」

そんな小さな "申し訳なさ"にはじまり、いつしか "後ろめたさ" に変わり、気づけばいつも「すみません」が口癖のようになっていた。


「なんで協力してるか分かってる?」の一言。

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そんなある日、僕は提携している近所のたこ焼き屋さんにふらっと夕飯を買いに行った。

僕 「お疲れ様です。最近、お客さんを呼べてなくてすみません。」

いつものようにポロっと出た一言に、店主のお兄さんが言葉を返した。

店主さん 「なんで ”すみません” なん?」

僕は、固まった。
そして、店主さんはこう続けた。

店主さん 「僕はお客さんを呼んでもらう為に、SEKAI HOTELさんと提携してるんじゃないよ?
もうこの町で15年以上やってるし、新しいお客さんがいなくても僕は自分の商売をできてるし、楽しくできてるよ!他のお店さんもみんなそうだと思う。
僕はただ、 "一緒に頑張っていきたい” と思えたから協力してるだけやで?」

僕は、目を丸くした。そして、その言葉の意味をしっかりと考えた。

この”まち”には、長年続いているお店さんがたくさんある。僕たちの力なんかが無くたってやっていけるお店さんばかりで、その人たちが求めているのは「お客さんを呼ぶこと」じゃないと気付かされた。

だれも、なにも、求めていなかった。

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その夜、仲良くして下さっている地域の方々の一言一言を思い返してみた。

「SEKAI HOTELのさんと一緒に、少しでもこのまちを盛り上げたいので!」と言ってくれる唐揚げ屋のお兄さん。
「みんな孫みたいで可愛いから」と言ってくれる隣のスナックのママ。
「俺はここのスタッフに惚れたから、なんでも協力したいんや!」と言ってくれる蒲鉾屋さんのご主人。
「お前ら、おもろいから!」と言ってくれる強面の日用品屋さん。
「皆さんを見ると本当に元気がもらえるので!」と言ってくれるBarのマスター。

他にも、たくさんの言葉たちが押し寄せてきた。

そこで僕が思ったのは、たぶん協力してくれることに、"見返り" なんて求めていない。

僕らがお店さんのことを考えれば考えるだけ、お店さんも僕らのことを考えてくれるんだと思った。

それが連鎖して、紡がれると、「お互いさま」になっていく。

「お互いさま」だから、一緒に頑張れる。
「お互いさま」だから、一緒に考えてくれる。
「お互いさま」だから、一肌脱いでくれる。
「お互いさま」だから、無償の愛をくれる。

きっと、上でも、下でもない。
きっと、損でも、徳でもない。

対等、かつ、損得勘定のない関係性。
だからこそ成り立つ「お互いさま」を胸に、今日もぼくは、まちを歩く。

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