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世界一周は「小6の僕とオトンの一言」があったから。

「独りでブラジル行くか、サッカー辞めるか、どっちがいい?」

オトンが僕に放った一言が、結果として、僕を世界一周へ行かせることとなった。

それは、小学校6年生の冬。
中学校に行っても クラブチームでサッカーを続けたいと言った僕への一言だった。


ただのサッカー少年期

僕は4歳でサッカーに出会い、高校卒業までの14年間をサッカーに費やした。

しかしながら、小学校の頃から決して上手い方ではなく「大声, 体力, 根性」という、まるで昔のスポ根アニメのようなキャラクターで、背番号も11 番をもらい、なんとか試合にも出ていた。

ここで小話を挟むが、
小学校4年生、ある大きな大会。
その大会では、数十ページにもなるパンフレットまで用意され、全チームの選手情報、さらには、キャッチコピーまで書かれていた。
子供ながらに、どんなかっこいいキャッチコピーを付けられているか、チームの皆んなで一枚のパンフレットを掴み合い、読み上げたいた。

「9番 〇〇 “フィールドを駆けるファンタジスタ”
「10番 □□  “サイドを切り裂くストライカー”

いよいよ僕の番...、

「11番 久米   “元気印”

僕は、人生ではじめて「なんとも言えない」を味わった。それと同時に、自分はこういう人生なんだと悟った瞬間でもあった。  



夢は、ほんとに「サッカー選手」?

そんな僕でも、将来はサッカー選手になりたいと思っていた、いや、言っていただけなのかもしれない。

そんなある日、オトンがこう言った

父「将来どうすんねん?」

僕は言った。

僕「サッカー選手になりたい!」

すると、強烈なパンチラインが飛んできた。

父「んな、独りで"ブラジル"行ってこい。
  家は探したる。」

ぼくは呆然とし、頭が真っ白になった。
リアルに固まって動けなかった。

すると、オトンはこう続けた。

「ほんまにプロなるんやろ?
そのまま上がっても今の実力じゃ、プロは無理やと思わんか?」

小学校6年生の僕は、「自分がプロになれそうかどうか」にうっすらと気付きはじめていた。

ただサッカーは楽しかった。夢中になれた。

結果的に、僕はオカンにオトンの説得をお願いし、中学校でも地元のクラブチーム入ることになる。  


「もしも、ブラジルに行ってたら。」

そこから月日は流れていくのだが、僕は心のどこかでずーっと「あの時、ブラジルに行っていれば…」と考えていた。

もっとハングリー精神を持ち、生き抜く力をつけ、どんな困難にも打ち負けない強い男になれていたんじゃないかと。

そして、大学2回生まで時は流れた。

ある夏の夕飯時、ふと付けたテレビで「世界の絶景特集」みたいな番組を目にする。

「いまだ、世界一周に行こう。」

テレビという小さなきっかけが、僕の中にあった何かに火をつけて、その数分後には

「オカン、来年休学して、1年間 世界一周行ってくるわ。」

そう話した。オカンは軽く聞き流していたそう。

その数日後に、僕は世界一周に行くという旨を綴ったブログを書き上げた。

その理由も、やりたい事が決まったのに行かなくなる自分が怖くて、行かなければならない状況に追い込むために、ブログを書き、SNSで拡散し、LINEでも友達にも送りつけ、行かないとダサくなる状況に身を置いた。

その半年後、忘れもしない。
2017 年 3 月 22 日。

僕は、1年間の世界一周へ出かけるのであった。


今思い返すと、小学校6年生の僕は「なんでしたい事させてくれへんの?」とか「1人で行かせるとか守ってもらえへんやん?」とか思っていたけど、

最上級の「可愛い子には旅をさせよ」だったのかもしれない。

あの頃は理解できない一言だったが、今の僕を大きく変えた一言に、今は感謝している。


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