彫刻学科について考える。

「彫刻学科は全員同じ課題を作るの?」
振り返ると油絵科の先生がいた。
「えぇまぁ。今年の1年生は今のところ共通課題ですね。」
「彫刻学科の授業は冨井さん(主任教授)が決めてるんだよねぇー?」
「はい、恐らく。」
先生の眉間に皺が寄った。
「私は彫刻家じゃないからさー、あんまり言えないけど、おんなじ課題っていうのはねぇ、うん、」
言葉を濁す先生、その顔のまま立ち去ってしまった。

今日は彫刻学科の教育内容について考える。
彫刻学科と近い領域として名前が上がる工芸と学科比較しつつ、油絵学科との関係性から導き出される彫刻学科に求められる教育内容について考えていく。 

彫刻学科と工芸学科との違いについて教えてください。

岸本悠生

彫刻学科は素材や技法による表現方法を深く追求するのに対して、
工芸学科は素材の特性を活かした多様な制作手法を学ぶことができます。

GPT-4

一度図式化する。(これは僕の癖です。)
彫刻学科=素材or技法∴表現方法の追求
工芸学科=素材の特性△∴制作手法の学習

彫刻と工芸の共通項である素材の扱い方に大きな差が見られる。
素材「で」表現するのか。
素材「を」活かすのか。
という点だ。これを意識しながら
前期、彫刻学科の1年生に開講された授業を例として素材の扱いに注目して、岸本悠生の主観をアウフヘーベンしていく。

一期概要
「ムービングモデルさんを元にダンボールを用いて彫刻しなさい。」
この課題は、ダンボールという素材に「触れる」という点で非常に前述の定義に即しているように感じるが、具体的な技法指導が行われたのは中間講評までに一度だけであったと記憶しているので「技法による表現方法を深く追求する」という点はあまり重視されていないように感じるが、恐らくダンボールという素材が身近であったためであろう。

また、ここで想起したのは中間講評と最終講評での指導観点である。講師陣は主に「作品の質」に関して言及していた。
では「作品の質」とはなんだろう。

類義語として「必然性」という言葉が思い浮かんだ。
「必然」の性質。
友人の言葉が脳に響いた。
「その形態に意味があるように思えない。」
ずばり的を射ているのではないだろうか、彼女の局所的な孔子のような性質には、よく驚かされる。

必然性の理解。これも一つの彫刻学科教育のファクトであるようだ。彫刻学科の教育内容に追加しておこう。

改訂版が以下である。
彫刻学科は素材や技法による表現方法を深く追求することに加えて、作品としての必然性について探求する。

話が逸れたが、
一期の授業内容には定義との断層がみられる。彫刻学科の教育内容の定義によると素材は飽くまでも、表現のための「方法」とされているのに対して、一期課題では素材が規定されている。これでは「素材の特性」に容易に作品が曳航されることになる。「素材の特性」は工芸学科の担当領域なのではないだろうか。何か私が汲み取れていないファクトの存在を感じる。


続けて油絵科との関係性について考える。

油絵学科と彫刻学科との違いについて教えてください。

岸本悠生

油絵学科では、絵画の表現方法や色彩理論、構図などを学び、平面上での描画を中心に考えます。
彫刻学科では、空間感や質感、立体的な造形を学び、物理的な形状や立体的な表現を重視します。
これらの違いは、油絵学科と彫刻学科がそれぞれ独自の技術や表現方法を持つ一方、芸術的な創造力や視覚的な感性を共有しているという点で補完的な関係にあります。

GPT-4

加えて、本学(武蔵野美術大学)の
油絵学科油絵専攻は絵画系統とインスタレーション系統(芸術空間)に分かれ、
彫刻学科は、鉄、木彫、石彫、塑像、ミクストメディアへ分かれることから、
上記の感性の共有という点における補完的な関係は油絵科の領域侵犯により強固なものとなっており、油絵学科と彫刻学科の境目も曖昧である用に感じる。だが、授業内容は大きく異なる。油絵学科ではいくつかのクラスに別れ同時期に生徒ごとに異なった課題を制作する特性があるが、いづれの課題も素材の指定はない。例としては「延長拡大身体性」「擬態」「ハプニングペインティング身体を取り戻す行為」「アートブックのようなもの自画像としての本を作る」「特殊なものとしての美術作品」など、いづれもテーマの規定に留まる。

油絵学科を悪者にするつもりは毛頭ないが、油絵学科に彫刻学科の感性が追いやられ、工芸化に近い技法と素材によった授業となっているのではないだろうか。果たして我々は彫刻学科なのだろうか。

彫刻学科について考える。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?