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人間の欲

「自分はこんなもの」
それは自分の中で生まれるもの。
自分がそれを採用してしまっているだけのこと。
または何かを恐れているのかもしれない。

これで十分だ。
今に満足している。

もちろん
欲深いと感じている私にも
その感覚はあるのだ。

あー…満たされている

今はもうすでに幸せだ

だって私の身の回りにはこんなにも豊かさに溢れているのだから

って。

それが、この現世で生を持った時に
決めてきたことであれば、そうなのだろう。
今ある恵みでどれだけでも豊かさや幸福、感じたいこと全て感じられるだろう。

でも、私は、
私という存在が、この人間という形で
思う存分に人間を味わいたい。

高い視座からみて、
既にある豊かさを感じるのはもちろん、
欲深い人間も味わっている。

欲深い人間は、ここで人間として生を受けなければ味わえない。

ただ、そうは言っても私にも恐れがある。
人間には7つの大罪と呼ばれるものが存在すると言われている。
私も詳しくはないが、キリスト教(特にカトリック)で使われる。
人間を罪に導く可能性があるとされる欲求や感情のことらしい。
(これを題材にしている漫画や映画作品があるから知っている人もいるはず)
ただ、それらを抑制し、感情を転換させることが目的な訳ではないのではないか?
と、改めて調べてみると感じる。

キリスト教の信者ではないので個人的見解が強いのだけれども、
人間として、それらを持っていることを否定し抑圧するのでなく、
認識し、自覚し、受け止め、受け入れることで、
それらに隠された、自身の中にある「本当」を自身で理解する、
そしてそこから、人間としての罪が美徳へと変容を遂げるのではないか、と。

そう思うと、なんだかとてもすごいチャレンジをしている感覚にもなる。

「自分はこんなもの」
と、そこで終わっては
私自身が納得しないだろう。
(本当に恐ろしいのは自分自身だよな…笑)

この地球で、人間としての生を思いっきりトライしている私のお話。

(出典;「Wikipedia」七つの大罪より)