見出し画像

母の権利獲得

父と完全別居が叶った母から、児童館でのアルバイトが決まったと連絡がきた。すごくうれしかった。(両親の週末別居時代の記事はこちら

母は教師としての自分のキャリアは早々に辞めて自営業の手伝いをしていて、父の理不尽な怒りの矛先になることも多かった。(接客は向いてたし断然父より商売上手だったのに。) あんなにITオンチと父に蔑まれてたのに、別居してからは自分でなんでも検索するようになって、ついにNetflixの契約も自分でしたとのこと。大好きな韓国ドラマを満喫できてると聞いて、ほんとうに嬉しくって。

ふと思う。

「夫婦が一緒に暮らして、家族みんながしんどかったあの日々って何だったんだろう。」と。

「お前は疎いから、Wi-Fiの契約や携帯の契約ができない」と決めつけられて、いつも主導権は父。好きな携帯を選ぶことも、好きなドラマを見る権利も奪われて、それしか選べなかった職種を、しかも無賃金でやらされて。
「できない」というレッテルは、いつしか、無能な父をなんとか立てるための最後の砦になっていた気さえする。そんな関係性で、どうして家族を継続しなきゃいけなかったのか、今でも疑問だ。社会的な見え方を母は気にしていたけれど、不健全な関係性を続けるくらいなら、心地よい関係性にシフトすべきだったと思う。

そうして、今。

別居して初めて母に主権が与えられた気がする。自分で探して再度社会とつながる仕事を手に入れた。この世代って、親世代の古い価値観と、娘世代の新しい価値観の狭間で大変だったといろんな記事で見かけた。本当にそうだと思う。でも、こうやって自分の人生を再構築できる母が誇らしいし、その母を受け入れてくれるキャパがあった社会側にも、とてもとても感謝している。

そしてもう一つ。

母は昔から子供が苦手だったと言っていた。それは幼いながら私も感じていたし、圧倒的に子供との遊びは下手くそだった。(猫撫で声を気持ち悪いと一蹴したし、病院の待合室で遭遇した教育ママの熱心な読み聞かせの横で、「あんなのお行儀良すぎて変じゃない?」と仰せだった。私は読み聞かせして欲しかったんだけどなあ)

「自分がかわいがられたい」という欲求を子供である私が横取りするように見えていたのだと思う。まだまだ母も若かったのだ。(今ならわかるよ。きっと母もその母も、ずっとずっとその「愛」がほしかったんだよね。そんな「愛がほしいのにもらえなかった」の負の循環は私がわたしで終わりにするようにがんばるよ。)

でも今はきっと違う。子育ても終わり、改めて自分の子育てを振り返って、自分以外に目を向ける余裕がたくさんできている気がする。母はもう一度新しいメガネで世界を観れると信じている。新しい文化をどんどん吸収する母。どんどんイキイキする母。きっとあなたの未来はまだはじまったばかり。

がんばれ母。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?