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好きなカフェを紹介することに意味はない

instagramで好きなお店やカフェをアップすることがよくある。もちろんそういう仕事だし、カフェが好きだからそれが楽しいんだけどそこに何か意味があるわけではない。

特に承認欲求があって、とか自分の好きなお店を押し付けたい、とかでもない。(自分の好きなお店にもっといろんな人が行ってくれればいいな、と思ってアップしている面はありますが)

さっきこういうツイートを見つけてとても面白かった。


つまりこの方(僕は知りませんでした。すみません)のフォロワー数は多いけどその人たちはこの人の情報が欲しいだけでこの人には興味はない。
この人から得れるだけの情報を得てしまえばこの人を支援する理由がない、ということ。

だから僕が好きなカフェをアップしたり、お勧めのお店を書いたりすることにあまり意味はないんです。

写真やお店の情報以外は大体こんなことを書くようにしている。

もうモノでも体験でもない、次は人を売る時代で、要は世界観ビジネス、のような段階に入っている。
僕もそうなんですが、やってる側はわりと疲弊している気がして、いいものは勿論なんですけど、関係性とか親近感とか、そういう醸造にちょっとうんざりしてきている感じがこの1.2年です。
改めて「分かる人にだけ分かればよい」っていうところに向かおうという感じがあって、それに対して時代の装置が(SNSだったり、僕がやってるnoteだったり)マッチングし始めているのを感じます。
今一度、お店(商品でもサービスでもなんでもいいけど)は大きなダイナミズムの部分で選択されるべきだし、そういう風になったらいいなぁと思います。
人、つまり世界観やストーリーがないと「その他大勢」でしかなくて、しかもそれは「誤差」にすらならない。
第一印象でかっさらっていけるようなエネルギーが欲しいなぁと今改めて感じます。

写真は確かに好きなものかもしれないけど内容は”そのお店に行った瞬間からどんなインスピレーションを受けて、何を感じ、考えたのか”を書くようにしている。
だから写真そのものよりも「キャプション」の方が大事。
これなら(僕は数はめちゃめちゃ少ないけど)熱心な100人のファンは「カフェ情報」が手に入らなくなっても離脱していくことはない。その人が欲しいものは「僕の頭の中」になっているからです。(こういうこと書くと宗教っぽいけど)

今の時代は誰もがいろんな情報にアクセスできる。
でも唯一「誰かの頭の中」にアクセスすることはできない。だからそれを”活字化”することに価値がある。

ストーリーテラーの方が求められている時代なんだな、とそのクラウドファンディングに失敗したインフルエンサーの話から感じました、改めて。

僕が好きなカフェを紹介すること、そのものに価値は全くない。
価値があるのは個人の思考で、個人が体験したり感じることは世界にたった一つだよなぁと思う。

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