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「オケバトル!」 13. ねずみ対、今度はウクライナの軽騎兵


13.ねずみ対、今度はウクライナの軽騎兵



 前回に続いての敗北を真摯に受け止め、Bチームでは指揮の山寺とコンサートミストレスの阿立が自らの脱落を申し出たが、指揮に関してはムードメイカーでもあるミッキー氏に再びご登場願おうではないか、ということで、指揮者は脱落は免れる。
 指揮の制御もむなしく先導を切ってオケを走らせてしまったコンミスの阿立のみが責任をとることになった。そして脱落彼女のお供候補としては、
 ファンファーレで下手っぴだったホルンの三番手、
 キンキンが鋭すぎて耳障りだったピッコロ、
 しょぼすぎるソロで、ノリも不安定だったイングリッシュ・ホルン、
 と、審査員から名指し批判を受けた三名が筆頭にあげられたが、今はまだ、一人一人が貴重な管楽器から脱落者を出すのは危険すぎる、との判断で、お三方には今後のチャンスが与えられた。
 ただし晴れてBが勝利した暁には、より優れた奏者をAチームから引き抜き、代わりに自分らのダメ奏者を脱落させるという事態も今後充分あり得るので、一人も落とせない貴重なパートだからと甘んじないよう申し送りがなされる。
 結局もう一人の脱落者としては、なんの罪もない弦楽器の中から貧乏くじを引き当ててしまった哀れなヴィオラ奏者が、コンミスの道連れとされた。



 スケールやロングトーンといった基礎練をひとしきり終え、リハーサル室の前で一杯ひっかけ ── 酒ではなく、滋養強壮ドリンクで ── ひと息ついていたトランペットの上之忠司は、番組スタッフが両腕に水平に抱えてきたパート譜の入った袋に記されたタイトルをすかさずチェックし、はっはっはー! と笑った。
 スタッフのためにどうぞ、とリハ室のドアを開けてやった後、室内に向けて高らかなファンファーレを一発吹き鳴らす。

 それを聞いたBのメンバーは、次の課題曲がスッペの〈軽騎兵序曲〉だと悟った。

 殆どの者は持ち場についており、順番でコンサートマスターの隣、つまりアシスタントコンマスの位置に怯えながら座っていた会津夕子と、今回、オーボエ二番手の倉本香苗は、はっと目を合わせ、

── ミッキーのオーケストラ! ──と、目だけで語り合った。

 これまた往年のディズニーアニメでは、ミッキーマウス率いる楽団が、壊れた楽器や代用品による演奏でラジオ収録をする羽目に陥り、そのはちゃめちゃぶりに大失敗と思いきや、聞き手には大受けで大成功を収めるという、おバカで楽しい内容となっている。
 我々はディズニーのノリで失敗したのではなく、審査員の一人から高評価を得られ、勝利に向けての一歩を踏み出せたのだと前向きに解釈し、いこうぜ! ミッキーのオーケストラ! と気鋭を上げて、Bチームのリハーサルは開始された。




 今回、お試しということで先攻を選択したAチームでは、責任逃れの醜態で、皆から軽蔑のまなざしを一身に受ける憂き目に陥ったピッコロ女性をこの際追い出し、Bチームから夢見るオブリガートがあまりに素敵だった美少年のフルート奏者を引き抜こうか、との過激な案も出されたが、万が一、その後こちらが負けて、せっかくさらった奏者を奪い返されでもしたら、曲によっては主要パートが足りなくなって完全アウトになりかねないので、そうした駆け引きはナシにする。

〈ウィリアム・テル序曲〉に引き続きエキストラは不在とのことで、再び同じ二人の青年ボランティアがパーカッションを受け持ち続けることになる。前回はシンバルとトライアングルだったが、今度はシンバルと小太鼓。ヴァイオリン奏者にとって、大きなシンバルは結構重いので、ボランティアどうし交代したいところであったが、トライアングルをやった方が遙かな小学生時代、鼓笛隊で小太鼓の経験があったため、交代は見送りとされた。
 パーカッションの助っ人が板についてきた二人。弦楽器に属する限り、Bチームのように罪なき者がいつ何どき無情に落とされるか知れないので、とりあえず今後も役立ちそうなポジションを、良く知った曲が課題に出されているうちに身につけておこうという考えもあってのこと。

 前回のコンサートマスターで自信と勢いをつけた浅田氏は、順番では最後尾のプルトに回るはずであったが、指揮者不在で弾きながらでは中々伝えきれなかったもどかしさも手伝ってか、今度は自分が指揮台に乗りましょう! と名乗りを上げた。セカンドの首席が回ってきた有出絃人に背中を押されての立候補でもあった。
 そして安部真里亜が順当にコンサートミストレスの地位につく。隣には、真里亜さんたっての希望で、彼女と息も合い、信頼できるルームメイトの山岸よしえ。

 次の課題曲のパート譜が各自に配布され、中央付近では、セカンド首席の有出と指揮の浅田が、リハーサルの段取りを話し合っていた。
 普通ならコンサートマスターと指揮者が段取りを話し合うのが筋であろうが、前回からの仕切り役の引き継ぎのようなもの、と割り切り、真里亜は余計な嫉妬心や疎外感を抱かないことにして、目下のコンミスの役割として、必要な箇所にてきぱきとボウイングを書き込む作業に集中してゆく。
「チャールダシュの、ここのとこのボウイング、迷うところなんですけど」
 と、真里亜が二種類のボウイングを軽めに弾きながらよしえに尋ねた。
「どっちがいいかしら」
 真里亜としては適当に決めてしまいたかったのだが、自分の目の前には、うるさ型の有出とベテランの浅田がいる。隣のよしえもコンミス経験豊富なようだし、自分の決めた案に対して、後からこうした連中にクレームを入れられるのはかっこ悪いので、素直に尋ねることにしたのだった。
「他のパートにも聞いてみたら?」
 とのよしえの意見を受けて、
「じゃあ、弦だけそこをやってみましょう」
 浅田が音頭をとる。

 音楽的にも視覚的にも、効果はどちらも大差なかったが、有出絃人が、
「チャールダーシュの踊りだったら、こんな感じでしょ?」
 と、さらっと身体を動かして見せる。
「なので最初にやったほう、オーソドックスな弓順の方が自然ですね」

 絶妙なひねりも加えた素晴らしきその瞬間芸を見逃した皆さんのために、「もう一度お願いします!」とリクエストしたかった真里亜だが、ポーカーフェイスで「分かりました」とうなずくのみにしておく。
 浅田に「バレエでもやってたんですかい?」と、目を見張られる絃人。
「まさか。ただ、チャールダーシュだったら、そうしたものかと」と、軽く交わす。
「では、ボウイングに迷ったら、踊ってみればいいのね」
 と、真里亜は本気の冗談で彼らに調子を合わせゆくのだった。



 リハーサルも滞りなく終え、今回は先攻だからと、くつろぎタイムは諦めて早めに舞台袖に移動したAチーム。
 舞台セッティングは整っているものの、きっかり四時になるまでは、舞台に照明は点されない。楽譜は既に舞台の譜面台上。各々静かに集中するも、譜面が手元にないとなると、どうしても口を開きたくなってしまう人種が存在するのは仕方ないこと。脇に佇む初コンミス、安部真里亜さんの緊張をほぐすべく、あるいは士気を高めるべくか、山岸よしえがさりげなく口にする。

「フィギュアのヴィクトール・ペトレンコ、知ってます?」
「もちろん」と真里亜。「でも、生では観たことないかな」
「彼がシニアデビューしたばかりの頃、この〈軽騎兵〉で滑ったの」
「まあ素敵」
「86年度シーズンの、ショートプログラムで」
「いったい何年前の話?」
「私が純朴な乙女だった頃の話」
「ペトレンコも確か王子系? でしたよね」
 ヴィオラの沢口江利奈も話に加わる。
「現役時代はね」よしえはふっと笑う。

 少年の面影から青年へ、そしてプロを長く続けるうち、麗しの王子は次第に肉付きもよくなり、やがては弟子も増え相当な貫禄も出て、たいていは王様になってしまうもの ── ごく稀に永遠の王子、あるいは女性の場合は美魔女姫なる奇跡の生物が存在するようだけど ──。
 まあ自分だって今や「ヤバおばさん」あるいは「水の妖魔」扱いなのだ、と認めよう。

「ウクライナ出身の美少年だったけど、当時ウクライナはまだ独立してなくて、旧ソ連からの出場で」
 忘れもしない、東京で世界選手権が開かれた時のこと。
「フィギュア観戦に目覚めたばかりで熱心に公開練習まで観に行ったのだけど、ペトレンコ少年は、その日はウォーミングアップのみに徹したかったか氷の上をただ滑るだけ。それなのに、一度もジャンプを飛んでないのに、とにかくスケーティングが素晴らしくて。『彼、将来、間違いなく世界チャンピオンになる!』って確信したわけよ」
「ジャンプ、飛んでる姿、見てないのにですか?」
 と江利奈は不思議そう。
「しかも他の選手の曲がかかってても、その音楽にさりげなく動きを合わせて踊っちゃう。それがまた完璧に決まってて」
 と、よしえは弓を持つ方の腕を優雅っぽく動かして見せる。
「ヴァイオリンだってそうでしょう? さわりの音色を聞いただけで、この人すごい! って分かっちゃったりしますものね」
 聞きたくなくてもよしえの発言が耳に入ってしまう周囲の面々は、逆もまたしかりと、宮永鈴音の情けない音色をついつい思い浮かべてしまう。
「彼の勇姿が観たくて、翌シーズン、神戸で開催されたNHK杯にも行ったのですよ。その時のショートが……」
 よしえは30年以上も前のリンクの光景をうっとり思い起こした。
「軽騎兵?」と、真里亜。
「それはもう」
 話が止まらなくなるよしえであった。
 金糸に赤い衣装の勇姿。ファンファーレに乗って流れるスケーティングからのトリプル・ルッツ。メイン・テーマでの勇ましいサーキュラー・ステップ。フレーズの合間でさえ、こんな風にすっと腕を伸ばしてシンバルの合いの手に合わせて、ふっとあごを上げて見せたり、すべてが音楽的で……。

「では、みんなでウクライナの王子にでも思いを馳せてみますかね」
 指揮の浅田も、熱きフィギュアおたくのオバさん方に調子を合わせてやる。

 なんですかー? そのウクライナって? スッペの軽騎兵ってオペレッタ、ドイツが舞台じゃなかったですかあ? と、周りからの突っ込みを受け、
「その昔、ウクライナの王子系スケーターがこの曲に乗って、かっこよすぎる軽騎兵を演じたのだそうで」
 浅田が親切に説明する。
「でも、王子ともなると軍隊では将校クラスで、軽騎兵にはならんでしょう?」
 とは、よくわかっていないファゴットおじさん。
「だから『王子が演じた』ってことです」
 浅田とよしえが仲良く口をそろえた。

 前回の、猟師に扮したスイスの貴公子の次は、はいはい、ウクライナの軽騎兵ならぬ王子ってわけですね。これまた格調高き、美しきイメージでいけばいいわけね。何でまた、いちいちフィギュアネタなんでしょうね? まあ、アニメのノリよりはいいでしょう。と、皆も「ちょいヤバおばさんトリオ」に歩調を合わせてゆくことにする。



14.「疑惑の潜入工作員」に続く...


★ ★ ★ 今回の脱落者 ★ ★ ★

Bチーム

阿立〈ウィリアム・テル〉コンサートミストレス

阿立の道連れの、名もなきヴィオラ奏者




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