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[#アニメ感想文] THIS IS JAPAN! 第10話 ~This is 仕事!~

このTHIS IS JAPAN!のシリーズは、日本の少し変な文化を紹介する漫画で、基本は海外の読者向けです。それの日本語訳版です。英語は横書きなので、左→右の順に読んでください。

そして追加のおまけ漫画です。

こちらが元の英語版です。

日本人は基本的にみんな仕事人間ですよね。人生のほとんどの時間を仕事に費やしていて、仕事のランクが人間のランクという空気感がありますし、逆に仕事をしていないとだめ人間認定されます。そうなってしまった理由の一つには学校での偏差値教育、そして部活があると思います。どちらも競争で、我々は子供時代を競争原理の中で過ごし、それをベースにした人格が形成されます。学校や成績のランクがその子のランクみたいな所がありますし、部活(特にスポーツ系)では先輩や監督に絶対服従ですし、自分自身を集団の利益のために殺します。言い換えるとこれらは全て「外部からの評価が自分の評価になる」ということです。子供時代にその考え方を養成されるので、その延長である大人になってからも、自分にとって過酷な労働環境でも仕事を優先させるようになり、時には病気になるまで働いてしまいます。日本人の大きな特徴ですよね。おそらく学生時代に勉強や部活を頑張った人ほどその傾向が強く、大人になってから「今まで真面目に頑張ってきたのに何でこんなに苦労してるんだ…」となりやすいのではないでしょうか。勉強も部活もやらなかった私ですら体を壊すまで働いてしまったので、この社会の流れはとても強い力を持っているんだと思います。

https://note.com/yuki1192/m/mc91e32b10c3b

ところで、1990年代から2000年代にかけてブームになった新世紀エヴァンゲリオンというアニメをご存じでしょうか?これはすごく画期的なブームでした。なぜならエヴァはそもそもは、オタク的なアニメだったからです。当時のアニメの多くは、子供が観るアニメ以外は、オタク系の人が観るSFやファンタジー系のマニアックな作品と認識されていました。現在で言う深夜アニメというカテゴリーも無く、それに該当するカテゴリーはビデオ販売のオリジナル作品でした。なのでオタクの人以外の若者がアニメと関わる機会はあまりなかったんです。そんな世の中で、あんなに暗くて小難しい雰囲気で、ボディラインがすごく出るピチピチスーツを着た可愛い女の子が出て来る、しかもアニメ、それがブームになるのは明らかに新しかったです。今はどんなアニメも、絵柄が可愛らしかったりというオタク要素がありますが、その流れを作ったのは明らかにエヴァンゲリオンでした。

https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=514

ではなぜブームになったのでしょうか?私はそれは主要キャラクターが全員、日本人あるあるの「外部からの評価が自分の評価になる」という心理造形になっていたからだと思っています。つまり一見オタク向けアニメで抵抗があるんだけど、観てみたら「あれ?この人たち自分と共通点多いぞ」となって夢中になる人が多かったんだと思うのです。主人公の碇シンジ君はお母さんは死んじゃってお父さん(碇ゲンドウといいます)にはネグレクトされて施設に預けられて、その後社会的に偉い存在になったゲンドウに「エヴァンゲリオンというロボットに乗って宇宙人ぽい敵と戦え!」と命令されます。一回自分を捨てたひどいお父さんにそんな勝手な事を言われたら、普通はむかつきますよね。しかも敵は強いので、ロボットに乗って戦ったら死んじゃうかもしれません。でもシンジ君はブツブツ言いながらも乗っちゃうんです。しかも乗って戦ってゲンドウに「よくやったな」と言われると結構喜んじゃうんです。完全に「外部からの評価が自分の評価」になっていますよね。まるでブラック企業の先輩と部下のようで、どれだけ先輩に毎日鬼詰め人格否定をされても、たまに「ま、なんだかんだお前には期待しているからな」と言われれば「先輩にほめられた!!!」とウキウキになってしまうのと一緒です。(洗脳の手段もこれと一緒だったと思います。)

https://renote.net/articles/16985/page/3

もう二人の主要キャラクターである綾波レイちゃんと惣流アスカさんも同じようなキャラ造形があります。綾波レイちゃんはエヴァンゲリオンに乗る用の人造人間なので、もとから自分の評価はありません。そしてエヴァに乗って周りの人間と関わるうちに、自分が作られていきます。つまり、「外部からの評価で自分の評価が作られていく」キャラです。シンジ君よりは健康的ですが、ベースの「自分はエヴァに乗らないと存在している意味がない(そういう人造人間だから)」というメンタルはぶれないので、「仕事をしてなきゃ私はだめ人間だ」という日本人マインドと一緒です。惣流アスカさんは一番わかりやすくて、エヴァの操縦が上手いため、乗ればみんなに褒めてもらえるという理由で喜んで乗ります。みんなに対して「私すごいだろう」と言いたいのです。ストレートに「外部からの評価が自分の評価」です。エヴァに乗って敵と戦うのは危険な仕事なのですが、三人とも外部からの評価のために乗り、死にそうな目にも遭い、文句を言いながら、それでも最終回まで乗り続けます。日本人が、日ごろたまった仕事のストレスによって飲み会では吐くまで飲んだり、体を壊したり、時には過労死するまで、自分より外部を優先させるというメンタリティのもと働き続けるのと一緒ですよね。そこに多くの日本人がグッときて大ブームになったのではないでしょうか。

https://www.gamers.co.jp/pn/%E3%80%90%E3%82%B0%E3%83%83%E3%82%BA-%E6%99%82%E8%A8%88%E3%80%91%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%20%E6%9C%A8%E8%A3%BD%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E6%99%82%E8%A8%88/%E3%83%AC%E3%82%A4%26%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB/pd/10178233/

(次の段落には映画版のネタバレがあるので、ネタバレを読みたくない方は次の段落までスキップしてください!)

「外部からの評価が自分の評価」をずっと続けていると、自分が本当はどうしたいのか、自分にとっての幸せは何かがわからなくなります。そういう人は現代にすごく増えましたよね。何をするにも「自分はこれでいい」という気持ちが持てなくて、周りと自分を比べてその差異で自分を評価するような感覚です。学校の偏差値や部活での成績、ゲンドウに褒められるために嫌々だけどエヴァに乗るシンジ君、そして辛い仕事でもしがみついてしまいそれが世の中の当たり前になったため結局どの会社に勤めたところで辛めの会社ばかりとなってしまった現代、みんなつながっているように見えます。なんだかこのまま先に進んでもろくな事が無いように見えます。そんな中、エヴァンゲリオンの映画版の最後、シンジ君は真希波マリちゃんという女の子とくっついてめでたしめでたし的に完結するのです。マリちゃんは割と自由で自分を持っている女の子です。エヴァに乗る理由も、外部から評価されるためではなく、単純に自分が楽しいからなのです。毒親に褒められたくて乗るシンジ君、乗っていないと存在している意味がないから乗るレイちゃん、他人にマウントをとりたいから乗るアスカさん、主要キャラ3人と根本が違いますよね。この3人ともエヴァに乗る理由はネガティブで、実際本当は乗りたくないのです。楽しくなんかないのです。我々の仕事も多くは一緒ですよね。ブラック上司にほめられるため、仕事をしていないとだめ人間認定されるから、一流企業に勤めてて友達にマウントをとれるから、本当は辛くて仕方が無いのにその仕事にしがみついているような感じです。そこで、仕事自体が楽しいという人が現れたのです。完全なる新しい視点がやって来たのです。シンジ君はレイちゃんともアスカさんとも途中ちょっと良い感じになるのですが、結局くっつくことはなく、そして映画版でいきなり出て来たマリちゃんとカップル成立となり、めでたしめでたしになるのです。実際、歪に固まってしまったメンタリティをやわらかくほぐすのは、新しい視点です。歪な人同士でくっついても歪さにブーストがかかるだけで幸せにはなりづらいです。私と妻ちゃんも、妻ちゃんが都会&毒親&進学校育ちの一方、私が田舎&ゆるい親&ヤンキー学校育ちだったから良かったんだと思います。ちなみにエヴァの庵野監督に関連する本を読んで気づいたのですが、シンジ君は監督本人、マリちゃんは奥さんの安野モヨコ先生をモチーフにしているように感じます。どんよりした僕を違う世界に連れ出してくれた女性というような関係です。

https://annomoyoco.com/comics/kantoku/

(ここから次の段落です)

最後に、ちょっと話が飛びますが、日本は長く続いた封建社会(殿様が支配する社会)が、ペリー来航からの明治維新で、民主主義社会に変わりました。第二次世界大戦の時もギリギリまで粘りましたが原子爆弾を落とされて降参し、それまで続いていた軍国社会が終わりました。社会が大きめに変わる時は、自分で変えたというよりは外部から何かをされて変えたという事が多いです。日常レベルでもそうじゃないでしょうか。みんなで深夜にファミレスでぐだぐだしてて、みんな本当はあー疲れたなー帰りたいなーと思ってて、でも自分からは言い出さないで誰かがそろそろ帰るべと言うのを待ってて、結局店員にもうラストオーダーですと言われたのがきっかけで帰るみたいな事です。仕事が忙しすぎる国になってしまったのも同じだと思います。本当は多くの人がそれぞれやってらんねえ的な気持ちを抱えていて、でも自分からは動けなくて、明日宇宙人が来て会社を破壊しないかなーとぼんやり考えて、そしてやたら発達したサブカルチャーで麻酔を打って明日もがんばっているのではないでしょうか。どちらも日本人あるあるだと思います。私も同じく前の仕事は、取引先の経費削減で強制的に打ち切りになりました。自分から体壊したので取引やめますとなったわけではないのです。ペリーも原爆もファミレスの店員も経費削減も、「何かを変えた外部」という意味では、みんなマリちゃんなのかもしれません。原爆はたくさんの人が亡くなったので、ブラックマリちゃんという感じですが…。何にしても結局我々は昔も今も「外部依存」の思考パターンからは逃れられない民族という気がします。だからこそ、購入者や視聴者、読者という「外部」を楽しませるサブカルチャーが発展したのですし、外部より自分を優先できないから犯罪率も低いんだと思います。物事には必ず良い面と悪い面が存在するので、日本って良い国だな~と思う時には、同時にその裏の面にも目を向ける事が大事なのかなと思います。

…と、いう事を考えていたら、ちょうど友人(ブラジルのコミック作家です)も似たツイートをしてくれていました。日本社会の裏表を知れる漫画!と、おすすめしてくれています。ありがたいですね〜😁


[おまけ(ここもネタバレがあります)]
エヴァンゲリオンが流行った時代から、歪な親子関係がクローズアップされる機会も増えました。現代の毒親ブームにつながる流れで、親が子に愛情を与えられないという現象です。碇シンジ君は自分を捨てたお父さんにひどい命令をされても、なんだかんだ言いなりになってしまう、これは実際の毒親と子の関係でも多いのです。親から虐待やネグレクトを受け、見捨てられる不安を持ってしまった子供は、自分の側から親を切り離すことがとても難しくなるのです。その理由は、哺乳類の幼体は弱い存在なので、成体から見捨てられるのは自然界では死を意味するからです。絶対見捨てられてはいけない!自分のほうから捨てるなんて絶対むり!という本能が備わっているのです。(なので正しく愛情を受けて育った親子ほど親離れ子離れができ、歪な親子ほど大人になっても離れられず、よりお互い病むという悪循環になりやすいです)。惣流アスカさんも実は端的に言えばお母さんからネグレクトされたキャラなので、みんなに褒めてもらえるからエヴァに乗ると思いきや、実はお母さんに気づいてほしいから乗るという描写があります。親から認められるためにエヴァに乗る、シンジ君と基本は一緒です。そして実際庵野監督も、障害者だった父親の世話をする子供時代だったそうです。ネグレクト…とはちょっと違いますが、親の機能が不全だった家庭という意味では共通しますよね。本当に心に響く作品には説得力があります。生々しさとも言えます。そしてそれは実体験がベースになる事が多いのかもしれません。辛い経験をしたからこそ、多くの人の心を動かす作品が生まれた、これもまた良い面と悪い面ですね。

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