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短編小説「左手の赤とんぼ」


 一羽の赤とんぼが、麦わら帽子の淵に留まっていた。

 金色の稲の海の波間を、僕は先行く祖父の後に付いて自転車を漕いでいく。夕日が雲を赤く染める頃合いに辺りを見渡せば、空中にはたくさんの赤とんぼが舞っていて、所々幾重にも隊列を組んでいる様だ。しかしながら僕は、祖父の被った麦わら帽子に不時着して羽を休めているただ一羽の赤とんぼが、特別に愛しく思えたのだった。

 夕焼け空に突き刺さる長い釣り竿。1年前、祖父が裏山の竹林から見つけてきた丈夫な竹で拵えてくれたこの世でたった一本の僕の延べ竿だ。釣り竿の先からゆらりと垂れている糸が赤い日の光を弾いて酷く綺麗だった。僕は竿を抱える祖父の大きい背中を後ろから見つめながら、あることをふと考える様になっていた。

・・・いつか祖父ちゃんが居なくなって、家族や親戚、僕の知る人達みんなが居なくなって自分だけが残されてしまったら、僕はどうするのだろう

 無意識に自転車のハンドルを握り締めると、かちりと変速ギアが1段重くなった。

「あれを見てみ」

 不意に、祖父の声が聞こえた。自転車を漕ぐのを止めて顔を上げると、祖父が遠く夕焼け空を指差している。太く萎れた指が差す向こう。紫色になり始めた空の端っこから『へ』の字が飛んでくる。

鵜の鳥うのといだ」

 祖父がそう言った。

「うのとい?」

 唇の端から零す様に僕がそう訊ねると、

「渡って行っとこよ」

 と祖父が言った。ゆっくりと僕らの頭上に近付いてくる『へ』の字によく目を凝らしてみる。なるほどそれは一羽ずつの黒い鳥で構成された編隊である。

「首が長いね」

 鵜の編隊を見上げながら僕がそう言うと、祖父は笑っていた。

「お前は目が良かね」

 羽ばたく音も聞こえない。鵜達はそれ程までの高い所を飛んでいるのだな、と僕は思った。
 気付けば辺り一面で羽虫が鳴いている。太陽もすっかり山の向こうに帰って行ってしまわれた。再び祖父は黙って自転車をこぎ始めたので、僕も急いでそれに付いて行く。
 『へ』の字はすっかり遠ざかり、僕は一度だけ彼らに手を振った。分かる筈もないし、届く筈もない。ただ、僕の左手の甲に張り付いていたオイカワの鱗が、きらりと夜の初めの光を弾くばかりだった。

・・・・・・・・・

 子供の頃の記憶を辿っていけば、必ずと言って良いほど祖父と家の近くの河川に魚釣りに行ったことを思い出す。春は鮒の産卵を盗み見て、夏の終わりから秋にかけては毛鉤でオイカワ、冬には肥えたウグイを釣った。まだあの頃は流れる時間がゆっくりで、一年が途方もなく長かったのを今でもよく覚えている。

 二人掛けのソファに腰を下ろしていた僕は、組んだ足をゆっくり解きつつ左隣に座る祖父の横顔を見た。あれから20年以上が経ち、祖父の頭髪はすっかり白に染まっていたが、昔と変わらぬ寡黙で切れ長の目は僕の知らない遠くを見据えている様だった。
 リビングに置かれたTVで『全国戦没者追悼式』の様子が放送されていた。あの戦争が終わってから、この国は間もなく80年を迎えようとしている。戦争終結当時、10歳だった祖父は今年で86歳になった。体格の良い祖父の左肩と背中には、今でも大きな傷痕が残っている。
 追悼式の放送をまばたき一つせず見守っている祖父から、僕は今まで何度も戦争の話を聞いたことがある。それは、この国の敗戦が色濃くなっていた1945年の頃の話だ。

ーー§ーー

 1945年3月18日。
 その日、初めて祖父が住む地区に空襲警報が轟いた。家の近隣を流れる河川まで友人らと遊びに来ていた祖父は何事か、と驚きにしばらく身を固めていたが、機転の利く親友・和実かずみの指揮で堤防の土手に身を伏せ、数十機という爆撃機がごうんごうんと轟音を引き摺りながら上空を飛んで行くのを見上げた。編隊を組んだ爆撃機は祖父の住む地区からやや離れた市内上空に差し掛かると、一斉にキラキラと陽光を弾くものをばら撒き始めた。

「なんや、あれは?」

 と伏せていた上体を起こそうとした時、おぞましい爆発音と衝撃が空気を一瞬にして引き裂く様にこちらへとやって来た。

「頭を下げ! 爆弾や!」

 そう言い放った和実から頭を草むらに抑え付けられた祖父は、地面を伝って来る地響きを全身で感じていた。花火の何十倍、いや何百倍も恐ろしく凄まじい爆発音と衝撃が辺り一面に轟いている。地面を伝って来る地響きはまるで、地獄の鬼達が門を開いてこの世に押し寄せて来ている様でもあった。

「飛行場を壊す気なんや」

 鳴り止まない爆撃の僅かな間隙に聞いた和美の声が、祖父は今でも忘れられないという。
 空襲が終わり、爆撃機が遠ざかった後に空襲警報が解除された。堤防の土手にゆっくりと立ち上がった祖父ら数人の少年達は、市内から立ち昇る黒くて大きな煙の群れを唯々呆然と見ていることしか出来ないのだった。

 1945年4月24日。
 その日の深夜、再び空襲警報が鳴り響いた。初めての空襲があった3月18日以降、市内の軍事工場や飛行場を標的とした空襲が二、三度続いていたが、夜中に空襲警報が鳴るのはこの日が初めての事だった。寝床から飛び起きた祖父は防空頭巾を頭に巻いて、家族共々近くの防空壕への退避を急いだ。近隣から避難してくるお年寄り達に手を貸している途中、真っ暗な空の向こうに聞き覚えのある轟音が蠢き始めた。爆撃機がやって来たのだ。

「・・・来おった」

 その瞬間、ぱっと闇夜の空に目も眩む程の閃光が煌めいた。祖父はその眩しさに思わず目を細めつつ額に手を翳し、光りがゆっくりと市内の上空に落ちて行くのを見ていた。

「何をしとるか! 早よ、こっちに来い!」

 近所に住む元軍人のおじさんの怒鳴り声が防空壕の方から聞こえた。ハッとした祖父が躓いて転びそうになりながらなんとか防空壕に駆け込んだ時、おじさんに重い拳骨げんこつを一つ貰う羽目になるのだった。

「・・・あれは閃光弾じゃ」

 静かにそう零した元軍人のおじさんには左腕が無かった。

「夜中に爆弾を落とすんかね?」

 と祖父が訊ねると、おじさんは首をゆっくりと横に振った。

「街を焼け野原にするつもりなんじゃ」

 その日の空襲で、市内には大量の焼夷弾が投下された。
 翌朝、防空壕で夜を明かした祖父が外に這い出ると、空は薄暗い雲に覆いつくされており、あらゆるものの焼け焦げた匂いが風に乗って漂い、辺り一面に立ち込めていた。市内を少しだけ見渡せる高台まで駆け上った祖父の瞳には、何もかも焼け屑となった平らな土地の広がりが映り込んだ。山に囲まれた盆地の街は元軍人のおじさんが言った通り、一晩の内に焼け野原となっってしまっているのだった。

「何もかも無くなってしまっとる・・・」

 
 1945年6月11日。
 それは突然の襲撃だった。昼時に腹を空かした祖父が貴重な焼き芋を庭で親友の和美と分け合って食んでいると、突如空襲警報が鳴った。慌てふためいた祖父らが地べたに腰を抜かして座り込んでいる間に、上空に現れた数基の戦闘機が一斉に民家に向かって機銃掃射を開始した。
 ガガガガッと機関銃が唸り声を上げる度に、家屋の屋根瓦や板壁、窓硝子をも容易に貫く恐ろしい弾丸が幾重も容赦なく室内へと撃ち込まれる。
 それから戦闘機は上空で弧を描くと、今度は違う民家の方へ滑空して行きバリバリと機関銃を撃ち放ち始めた。祖父と和美は転がり込んだ土間の座布団を頭に押し当てつつ、草履ぞうりを脱ぎ捨て座敷に上がった。座敷の隅では祖父の母や妹たちが突然の事に身を固めて蹲っていた。

「早よ壕へ逃げ! 次が来るで!」

 祖父はそう言って母と妹達を座敷の隅からつまみ出すと、自分は和美と共に民家の間を走り抜けた。

「あんまり突然じゃし、逃げきれん人もおるやろ」

 そう和美に呟いた祖父が民家の隙間から上空を見上げると、旋回した戦闘機の後を追う別の戦闘機の姿が見えた。

「零戦じゃ!」

 和美が、そう声を上げたのを祖父は聞いた。
 家屋の影に隠れて空の様子をよくよく覗いてみると、六機の敵の戦闘機に対して二機の古びた零戦が応戦していた。空中戦が繰り広げられている間、民家への攻撃は静まる。
 祖父は、

「後ろへ廻るんじゃ! 後ろじゃ!」

 と空に向かって声を張り上げている和美の襟首を引きながら、他の民家の人達の退避を促しに向かった。
 戦闘機の影が素早く横切る小道をこっそり進んでいると、小道の横の側溝に自転車ごと倒れ込んでいる人の姿を見付けた。恐る恐る近付いてみた祖父が目にしたものは、とても恐ろしく、生涯忘れられない光景だったそうだ。

 小道の横の側溝に倒れ込んでいたのは、近所に住むあの元軍人のおじさんだった。おじさんの背中には二つの小さな穴が開いていて、洋服に赤く血が滲んでいた。

「おじさん、やられたんか?」

 と祖父が声を掛けつつその身体を掴み起こした時、既に息絶えたおじさんの胸とお腹にはぱっくりと大きな穴が口を開けていた。
 思わず悲鳴を上げて尻餅をついた祖父は、ショックのあまり頭が真っ白になった。

「・・・は、腹が吹き飛んどる」

 後々に聞いた話で、弾丸に貫かれると人の身体はそうなるらしいことを祖父は知った。血の気が引いてがたがたと体が震え出した祖父は、エンジン音が唸り声を上げる上空を仰いだ。そしてその時、一機の零戦が挟み撃ちにあって撃墜され、近くの田んぼの方へと墜落するのを目撃したのだった。

 その後、もう一機の零戦を追いつつ去って行った敵の戦闘機が地区上空に引き返してくることはなかった。静けさを取り戻した地区で、恐怖に身を潜めていた住人達が恐る恐る家の中や壕の中から這い出て来た。
 祖父と和美は、しばらく元軍人のおじさんが倒れている側溝の近くで気力を失ったまま身を寄せ合っていたが、危機が去ったことに胸を撫で下ろした後、次第に田んぼの方へと流れ始めた住人達の歩みに合わせてそっと彼らの群れに加わったのだった。

 しばらく道を歩いて行った先で、墜落した零戦がひしゃげた形のまま田んぼの真ん中に突き刺さっているのを見付けた。
 集まった皆の手で弾痕の多く残った零戦の横腹を解体すると、操縦席で若い操縦士の青年が息を引き取っていた。若い操縦士は胸と腹と首、それに太腿を弾丸で貫かれていた。住民の皆が静かに手を合わせている中、祖父は下唇を強く噛んだまま若い操縦士の眠った顔をジッと見詰めているのだった。

 
 1945年7月28日。
 その日、数機の爆撃機が空高くを飛んで行った。しかし、空襲警報は鳴らない。長く尾を引く様な飛行機雲が夏の空にくっきりと浮かんでいた。
 祖父は暑い日差しに目が眩んだが、額の上に手を翳してそんな飛行機雲をじっと見上げているのだった。
 その時、

「おーい」

 そう呼ばれた気がして振り返ると、数人の少年達が陽炎の向こうから手を振っていた。

「面白いもんを見付けたけ、お前も来いよ」

 祖父は滲み出る汗を首に巻いたタオルで拭いつつ、彼らに導かれるままその後に付いて行くのだった。
 途中で親友の和美も誘い、祖父を含めた少年達が辿り着いた場所は、近隣の川の堤防の向こう側に広がる河川敷だった。そこには一つの大きな穴が口を開けていて、深さは一メートル、縦横の径は二、三メートル程あった。

「不発弾じゃ」

 少年らの一人がそう言った。
 恐る恐る祖父が穴の奥を見やると、真っ黒な金属の塊が深々と土の中に埋まり込んでいるではないか。

「掘り出してみようや」

 数人がそう言い始めたものだから、祖父と和美は「やめときや!」と言った。しかし、

「臆病もんは下がっとれ!」

 と吐き捨てる様に言った一人の少年が、ゆっくりと穴に近付いて不発弾を両手で掴み上げた。その時だった。

 祖父は気が付くと堤防の中腹近くまで吹き飛ばされていて、左側の肩から背中にかけて燃える様な激痛が走った。恐る恐る自分の左腕を見てみると、真っ赤に染まった左腕が視野の端に映った。
 ぼんやりとする意識の中で、血相を変えて堤防を駆け下りて来る大人達の顔や、泣き喚く血だらけの少年達、糸の切られた操り人形の様に近くに横たわる和美の姿も見えた。

・・・あぁ、なんてことじゃ

 薄れていく意識の向こう側で、祖父は何度もそんなことを考えているのだった。

 1945年8月11日。
 地区の小さな病院で治療を受けていた祖父は、激痛に何度も気を失いそうになりながらぼんやりとした意識の中で左耳の聴力を失っていることに気付いた。咄嗟に身を捻って左腕で身を庇った為、左腕及び左肩から背中にかけての火傷・裂傷と共に、左耳の鼓膜を損傷する大怪我だった。

「こん馬鹿たれが!」

 焼夷弾による市内空襲で家を失ってからというもの、近所に避難して来ていた整備工の叔父が涙ながらにそう言っていたのが今でも祖父は忘れられないらしい。そして、当時行動を共にしていた五人の少年達の安否を叔父伝いに聞いた。

 爆弾を掴み上げようとした少年は即死。
 内二人が祖父と同じく重傷。
 内一人は軽傷で、その少年が大人達の助けを呼んだらしい。
 そして最後の一人、祖父の親友だった和美は、爆弾の破片が首や頭、腹に命中し、その場で命を落としたとのことだった。祖父は痛みで身体を動かせないままにぼろぼろ泣いた。

・・・あの時、誘わんければ

 そんな思いが、いつまでも祖父の心を苦しめるのだった。
 入院中、痛みでなかなか夜も眠れない祖父が目蓋を閉じたまま右耳を澄ましていると、他の入院患者が小さく話をしているのが聞こえた。
 8月6日には広島、8月9日には長崎に新型爆弾が投下されたらしい。
 祖父は月の光が差し込む病室の端で、

「それはどんな爆弾なんじゃ・・・なんでそんなもんを、人の頭の上に落とすんじゃろね」

 と呟いているのだった。

ーー§ーー

『全国戦没者追悼式』の放送が終了すると、祖父はゆっくりと立ち上がった。

「・・・広島と長崎には、行ったことがあるんか?」

 杖を突きながら窓辺に立った祖父にそう訊ねられた。

「広島は修学旅行で行ったことがあるけど、長崎はまだ行ったことない」

 僕がそう答えると、「そうか」と祖父は呟いた。

「長崎にも行くといい」

 そう言う祖父の左耳は今、殆ど聞こえていないらしい。不発弾の爆発で受けた怪我の後遺症かどうか定かではないが、左足も年々動かし辛くなっている様だ。

「行ってみるよ」

 僕は祖父の真っ直ぐな目を見詰めたまま、静かにそう答えたのだった。

 大学生活最後の夏の帰省を終えた後、僕はその足で長崎へと向かった。
『平和の泉』をゆっくりと進み、右手は原爆、左手は平和、そして顔は戦争犠牲者への冥福を表す『平和祈念像』の前に立った。数羽の鳩が静かな羽ばたきを奏でる間、僕は暫く黙祷を捧げた。
 その後、長崎原爆資料館に向かい、焼けた衣服や溶けたガラス瓶、午前11時2分で時が止まったままの時計、被爆した方々の写真や壊滅した長崎市の写真など一つ一つを瞳の奥に焼き付ける様に歩みを進めた。
 物思いに耽りつつ原爆資料館を後にした僕は、そこからほど近い『平和公園』にある原爆落下中心地へと向かった。そこには1968年に建立された黒御影石の碑が原爆落下中心地の標柱として立てられている。
 僕は石碑の傍までゆっくりと近付いて行き、そこから空を見上げてみた。この凡そ五百メートル上空で原子爆弾が炸裂したという。夏の終わりは迫りつつあるが、その空は何処までも青く見上げる程に高かった。
 蝉時雨が降り頻る中、僕はいつまでも石碑の傍に佇んでその高い空を仰いでいるのだった。

 平和公園を出てバスに乗り込んだ僕は稲佐山公園へ向かい、ロープウェイで稲佐山山頂展望台に登った。そこからは長崎市を一望できる。
 僕は展望デッキの手摺にもたれつつ、傍らを吹き抜ける風に暫く身を預けた。長崎湾から内陸の方に目を向けていくと、先程訪れていた原爆資料館や平和祈念像、そして爆心地の場所を遠く望むことができる。
 今から80年近く前のその時、この場所で・・・。
 ゆっくりと瞳を閉じてみると、先程目に焼き付けたかつての夏の出来事が目蓋の裏に浮かび上がって来る。


・・・祖父ちゃん。
 僕が生まれた時、この国はもう平和だった。だから僕は戦争を体験していない。でも過去に何が起きていたのかを知れば、それは決して他人事などではないことがよく分かる。そして同時に、あの戦争が終わってまだ100年も経っていないということに僕は驚くんだ。

・・・祖父ちゃん。
 この先、世界はどうなるんだろう。人間の歴史を顧みれば、僕が生きているこの平和な時代はまだまだ短い様な気もする。これから先の時代を生きる僕に、一体何ができるんだろう。


 そんな問い掛けが自分の前に現れた時、祖父が言っていたことを僕はふと思い出す。

「・・・お前は目が良かね」

 それは子供の頃、祖父に戦争の話を聴いた後必ず何度も言われてきたことだ。

「その目をどうか背けんでくれ。その目をどうか閉じんでいてくれ。戦争をしていた時代があったということを・・・忘れんでいてくれ」

 かさかさと耳元で羽の擦れる音が聞こえたのでゆっくり目蓋を開くと、一羽の赤とんぼが風に乗りつつ僕の周りを舞っていた。気付けば辺り一面に大勢の赤とんぼが飛んでいる。秋がすぐ近くまでやって来ているのだ。
 そっと翳してみた左手の指先に、一羽の赤とんぼが舞い降りて来た。その時、僕はハッと子供の頃の記憶を思い出した。祖父の麦わら帽子の淵に留まっていた赤とんぼ、鵜の群れ、オイカワの鱗。

 祖父はあの時も、様々な記憶を胸に秘めていたのだ。
 祖父は魚釣りに行く時、僕が大きな穴ぼこに近付くことを酷く怖がっている様でもあった。母から聞いた話で、祖父は最近になって漸く左腕の傷を隠さなくなったという。

 左手に留まっていた赤とんぼをそっと空に返すと、彼は赤焼けた空を舞っていた大勢の群れの中に紛れて行ってしまったが、僕はその姿をいつまでも見失うことはなかった。

「忘れないよ、この先もずっと」

 長崎湾の何処か遠くから、船の汽笛がぼうと鳴るのが聞こえた。


〈終わり〉

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