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【ユカシカド 経営者インタビュー】 創業者のCEO美濃部/CTO寺田と「ユカシカド」9年の歩みを振り返る。現在の想い、そして未来の仲間に向けて。(後編 創業~現在・採用に関して)

誰でも手軽に栄養改善ができる世界を目指して、様々なプロダクト・サービスで実現しているユカシカドには、様々なスキルやバックグラウンドを持つメンバーが集まっています。
今回は特別編として創業者のCEO美濃部とCTO寺田にインタビューを実施しました。前編と後編の2回に分けてお届けしていきます。

前編(出会いから創業まで)はコチラ

■代表取締役 CEO/美濃部 慎也 Shinya Minobe
2006年3月関西学院大学卒業、株式会社リクルートに入社し求人媒体の営業、商品企画を担当。その後オイシックス株式会社に出向し事業戦略を担当。株式会社ごちまるへの出向を得て、2013年3月株式会社ユカシカド設立。代表取締役就任。
■取締役副社長 CTO/寺田 大輔 Daisuke Terada
2003年6月株式会社デジタルアライアンスへ入社しEC開発等を担当。2013年3月株式会社ユカシカド取締役就任。


創業前夜「パーソナライズニュートリションを実現する事業・組織をつくると決意」

ーいよいよ起業してからのことを振り返る前にいくつか質問させてください。創業者のCEO&CTOが並んで経営のトップを担われていますが、2トップで走ることにどのような想いがありますか?

美濃部)3トップでも4トップでも良いと思っているよ。だけど、CTOが中々良い人がいなくて失敗しているスタートアップ企業は多いんだよね。そういう意味で言うと、一般的に想像するCEO像・CTO像に自分と寺田はすごく近いと思うし、結果としてそこに着地していると思う。客観的に見てもうまくいきやすいんじゃないかな。

CEO兼CTOとか、結構大変だと思うな。テクノロジードリブンすぎて、マーケティングとか弱くなると思う。逆に俺だけがトップだったらエンジニアは働きにくいだろうし、寺田だけだったら多分エンジニア会社になるから、事業は絶対うまくいかないし。

寺田)アハハ!意外にやるかもしれないよ(笑)

美濃部)絶対できないから(笑)そのバランスじゃないかな、違うところを補填しあっているから、そこはすごく良いと思う。

ー起業する前からVitaNoteの構想があったかと思いますが、他に検討されていた事業もありましたか?

美濃部)ないかな。パーソナライズニュートリションという観点で、最初から今の事業構想だったよ。健康状態を可視化して、適正なものを売ること。そこに関しては今と何も変わっていないね。

ーエンジニアの寺田さんの中ではやりたい事業構想はあったでしょうか?

寺田)やりたいことというよりは、めちゃくちゃ考えて、めちゃくちゃ諦めずに、理想の会社を作りたいという想いがあったかな。

美濃部)寺田は俺と出会っていなかったら、起業という選択肢はあったのかな。

寺田)父親も起業しているから、家系的には起業していただろうね。

美濃部)俺との出会いもなくて、やりたい事業もなかったら、当時のスキルだとどんなことをしていた可能性があるんだろうね。

寺田)時代背景的に怪しい商売も含めて、インターネットビジネスは燃え上がる直前だったんだよね。気づかないうちに怪しいビジネスに足を突っ込んでいたりしたのかな。


1期目「VitaNoteはまだ世の中に出せない研究レベル」

技術が完成するまでの間、やりたい事業に繋がることで自分たちが得意なことをやろうって、とにかく勇ましく生きていた。

ーここからは創業時からの振り返りをお聞きしたいと思います。創業当初はホテルの一室で3名でスタートされましたが、オフィスを初めて構えた時はどのような心境でしたか?

寺田)自分から進んで泥船に勢いよく乗った心境だった。全くサステナブルではなかったから、明日沈むのか来週沈むのかなって。最悪の場合は実家暮らしで続けるかもって、母親に話していたよ。

だいたい起業する人は、それなりに仕事を獲得してからやるけど、俺たちは収入源なしでスタートしたからね。この話だけで言うと悲壮な感じはするけど、やっと始まったからワクワク半分・ヤバイぞ半分って気持ちだったかな。

美濃部)当時は会計や財務もやったことないし、バックオフィス部分の仕組みがわからなかったから、簿記の本とかで勉強していたよ。準備はしていたけど、活かせる部分と活かせない部分がわからなかったんだよね。だから、お金を使いすぎないようにしようと思った。意外に「よっしゃ、やるぞ!」というよりは、どれだけお金を使わないようにするか作戦だった。ホワイトボードも手作りしたんだけど、このホワイトボードが寺田の頭の上にひたすら落ちてくるんだよね(笑)

ちゃんとした物を買ったのは、コピー機だね。自分のnoteにも書いているけど、すごくテンションが上がったな。

寺田)机は美濃部が自分の家から持ってきてたしね。

美濃部)他のスタートアップと違って助かったことは、ホテルの清掃の人が掃除してくれて、ゴミを捨ててくれること。そこだけはすごく良かったな。

1期_コピー機

ー創業当初に一番大変だと感じた出来事はありますか?

寺田)外部の人と話すとき、それ以上エスカレーションする先がないから、発言内容に細心の注意を払わなければいけないことが怖かったかな。

美濃部)リクルートという肩書きがあるかないかって意識はしていなかったけど、銀行を始め全く相手にしてもらえなかったよ。怪しい会社でしょって。ここでは言えないくらいに扱いもひどかったよ。会社としての実績が無いときって「無」だから。結果を出していないし、どんなに説明をしても「無」だから無理なんだよね。

寺田)あとはお互いの会社経験が違うから、これはこうあるべきでしょって話し始めたら、夕方になっていたこともあった(笑)

美濃部)最近逆転してきているけど、俺は先々を考えて準備したがったんだよね。でも寺田が言ったのは「今必要なものだけを作ろう」って。俺は大手企業にいたから、必要になるものはさっさと整えないといけないと思っていたんだ。寺田はどちらかというとベンチャー畑だったから、必要なものを必要なタイミングでつくろうと。今はスタートアップの型を知っているから、不要なものを作るべきではないってわかるんだけどね。

真逆同士なのに最終的に落ち着いてきたのは、たくさん議論してきたからだね。議論は徹底的にするというのは、一つの文化かもしれないね。

ーユカシカドはすごく風通しが良い環境だと感じていました。それはお二人が当初から「とことん議論をする」ということを徹底されていたことがベースにあるんですね。

寺田)話せば良いのに話さないことは悪だと思っているし、それが前提になっていることは良いのかもしれない。

美濃部)起業って面白いもので、創業者たちは全て丸裸。家庭や相手のお金のこととか全部知っているもんね。マネジメント上でもなんでもそうだけど、一般的に触れたらいけないレベルの話まで、全部触れていると思う。そこまで徹底してやらないと駄目だなって、人生と向き合ったんだと思う。

寺田)当初3人しかいなかったし、プライベートと仕事が完全に一致しているから、病気や怪我をしたら仕事がストップしてしまうからね。

美濃部)ユカシカドの中で目的志向って重要で「何のためにやっているの」って、俺らが共通して言っていて、絶対に意味を考えるんだよね。「これは何のため」っていう議論を徹底したもんね。

寺田)起業する前は、理屈よりも言い方や誰に言うかの根回しとか、正しい問題設定と正しい解決策よりも優先されるものがあるから大変だったけど、それが一切なくなったから楽になったよね。

美濃部)自分たちが考えて結論付けていること以上のことは、絶対できないんだよ。組織作りにしてもそうだけど、徹底的にやっていたと思う。社名を決めるときも、時間をかけて言葉の意味を考えていたよ。とにかく気になったら全部聞いていたな。

「トイレの蓋なんで閉めないの?」とか(笑)本当に細かいけど「閉めない意味はなに?」って。普通は恋人でも言わないけど、それをほったらかしにしたらいけないと思って。だから丸裸(笑)


2期目「いつ倒れるかわからない。それでも生き抜くために」

未来を創ること、形を作ることに集中した。

ー取締役会でVItaNoteの事業構想を美濃部さんが決議をとられたと聞いたことがあります。反対されるかもしれないという不安はありませんでしたか?

美濃部)構想を5-6枚くらいのスライドにしてプレゼンしたんだよね。さっき話した通り、徹底的に疑問点があったら詰め合うからさ。NOって言われたらそれ以上は進まなくなるでしょ。不安というよりか、無理だったら解散すると思ったよ。VitaNoteの事業モデルは資金も必要だし、成し遂げるには果てしないことだとわかっていたから、この決議をとるときは緊張したね。

ー例えば反対されたとしたら、ユカシカドを辞めて新たに起業してその事業モデルをやる選択肢もあったのでしょうか?

美濃部)そんなことは考えていなかったけど、多分どんなことをしてでもやらせたかな。だからこそ、反対されたら困るなって思っていたよ。ねこまんまの時みたいに(笑)当時はパーソナライズニュートリションをやっている会社なんてないし、あるとすれば普通の健康診断くらい。世の中に無いものの説明・空想の世界を語ることって難しいんだよね。でも、少しは同意してくれるかなとは思っていたかな。

ー寺田さんはVitaNoteの事業モデルを初めて聞いた時、どのように思われましたか?

寺田)普通の人として誰もが思うような「すごいアイディアがあったとして、すごいアイディアは本当にすごいのか?」って。「すごいのならとっくに誰かがやっているだろうし、誰もやっていないとしたらできないでしょっ」ていう感想だったかな。だけど、VitaNoteの事業モデルの話を聞いて、「美濃部がやりたいと思っていて、一番モチベーションを持てて諦めずにできることを見つけたこと」が、俺にとって一番大事だったから。

反対というよりは、やってみないとわからないし、やるしかないよねっていう前向きでも後ろ向きでもない反応だったと思うな。

美濃部)俺が気合いを入れて挑んだのとは真逆で、寺田は良いんじゃないって言ったくらいだったと思う。

ー2期目ではサプリメントTURFの工場も完成し、原料となるパセリの収穫までお二人が行っていたとのことですが、なぜ自分たちでゼロベースから作ることにしたのでしょうか?

美濃部)途上国の貧しい人たちの多くが農村部に住んでいるんだよね。農村部の課題は、冷蔵機能やチルドでの物流が難しいことから、必要なのは乾燥。乾燥して作れる栄養価のあるものを作りたいと考えたとき、まずは自分たちでやってみないとわからないから、作ることにチャレンジしようって思ったかな。

作り方も含めて、その工程を学んでみないとわからないことがあるから。これはVitaNoteの構想の一つで、検査結果の後に届ける栄養の製品を先に作ろうと思ったんだよね。

寺田)パセリ農家の人に聞いた話で印象に残っていることがあって、「一生懸命作っているけど、飾りって思われているんだよね」って悲しそうに言っていたな。

育ちすぎたパセリは出荷できないから廃棄するしかないんだけど、栄養素は変わらないから、「好きなだけ収穫して良いよ」って言ってくれて、初めてのパセリ収穫をした。

2期_パセリ


3期目 「栄養をサポートするTURFの原料を理解するため、生きるため」

研究に必要な資金を蓄えるため、がむしゃらに色々なことをやった。CEOは自ら白菜を売ってレジを打ち、CTOは初めて本格的な開発に挑む。

ー研究を続けるために、まだ現在の事業とは関係のないことをされていたと思います。どのような事業をされていたのでしょうか?

美濃部)出荷できない白菜になんとか価値をつけて売れないかって話があって、市場と連携して白菜を売っていたね。刻んだ白菜に昆布とごま油を和えたものを作って試食してもらったり、試行錯誤しながらたくさん売ったよ。何百束ってあったから、家の中も白菜まみれ(笑)初めてレジ打ちもしたんだけど、一気にお客さんが来てたくさん売れたから、すごく手間取って、それでお客さんが帰っちゃったこともあった(笑)

なぜここまでやるのかっていうと、TURFの原料となるものを理解するためと、生きるため。研究を続けていくには資金も必要だからね。

寺田)俺はシステム開発の受託を請け負っていたんだよね。今まで経験はなかったけど、面白そうだからチャレンジしてみようと思って。当時まだそんなに使われていなかったんだけど、サーバーサイドのJavaScriptとして開発されたNode.jsっていう処理系があって、初めて本格的に開発をしたんだよね。Node.jsは今ではとても使われるようになっているから、この時チャレンジして良かったって今に繋がっているよ。

ーこの頃はどのようなお気持ちでしたか?

美濃部)創業前から事業の構想を含めた研究をしていたけど、近いことを考えているビジネスモデルが少しずつ出てきたんだよね。すごく焦った。だから早くやりたいって想いがあった。先行者優位もあるし、やっぱり最初にやった人が一番強い。今でこそプロダクトの強さはあるけど、当時は実態がないからね。とにかくただの真似でしょって思われてしまうことが嫌だった。ただ耐えて時間が流れただけだったな。この頃はとにかく焦っていたと思う。

ー3期目のユカシカドは、ECの運営代行もされていましたよね。

美濃部)販売していたせんべいが予想以上に売れ、梱包を終えて配送会社さんに受け渡したんだよ。その時事件が起こって、契約外の大きさに梱包してあるので引き受けれないと・・。その時、ちょうど旅行中で温泉に入ってて、温泉から上がったら寺田からの着信履歴まみれになっていて、折り返すと寺田が「出荷できへん・・・」ってなってテンパってた。

寺田)全部やり替えて送料負担も増えて、結局儲からなかった(笑)

美濃部)この時期は現在の事業とはすごく離れていたよ。VitaNoteは検査センターを作らないと成り立たないとわかっていたから、資金を蓄えるのに必死だった。

3期目には黒字化しているんだよね。何でも色々な仕事をやりながら、徹底的に技術を作っていくことに集中したよ。

3期_たこせんべい(美濃部さん寺田さん)

ーそしていよいよ本業にふり絞る準備ができて、関西から東京への移転になるんですね。

寺田)それで俺も結婚を決意した。

美濃部)え、ここで結婚決意したん?!東京に行くってことで?

寺田)そう、あとは結婚するだけだなって。ここまでは先のことが見えな過ぎたんだよね。

美濃部)結婚式を決めるスピードも早かったし、かなりバタバタだったよね。普通は半年~1年くらいかけると思うんだけど、1ヶ月くらいだった気がする。

寺田)違う、1時間半だね。全部の準備が1時間半(笑)

美濃部)結婚式では一番喋ったの俺だよね。友人代表のスピーチをして、最後の締めのスピーチも俺が喋って、二次会も俺が場を仕切った。

寺田)面白いね(笑)


4期目「VitaNoteの技術完成も目前、いざ東京へ」

検査センターを作るため費用が掛かり、キャッシュ残高も残りわずかという危機。少しでもコストを削減するため、美濃部家・寺田家は同じトラックでの引っ越し。そして見え始めた開発成功への道筋

ー関西から東京へ移転されたことは、ターニングポイントでもあったかと思います。この時はどのような心境だったでしょうか?

寺田)結局「いつ倒れるかわからない」っていう気持ちがまだ続いていたかな。だんだん今の事業とは関係のない仕事が終息していって、今までも本気だったけど、勝負すべきことにのみ集中して勝負するタイミングになった。だからこそ、自分も結婚するという結論もでた。引き返せない感じは、良くも悪くもあったよね。関西だと実家もあるけど、全くまっさらな場所で片道切符だし、家も変わって家賃もすごく上がったしね(笑)

美濃部)本当は関西で会社を続けていこうと思っていたけど、スタートアップ起業にとっての環境は東京が一番最適だと気付いたんだよね。久しぶりに東京に行ったとき、やっぱり動きが早いと思ったもん。原宿の狭いオフィスだったけど、色々動きやすくなった。交渉事があれば毎回東京に行かなければならなかったり、相手先も僕らが関西にいるから絶対に無理みたいな雰囲気もあったよね。

4期_東京移転後のオフィス


ー4期目からは検査オペレーションの検討が始まったかと思います。資金繰りも苦しい中、世の中にないサービスを形として作ることは大変だったと思いますが、不安と楽しみはどちらの方が強かったですか?

寺田)その時点の集大成だからすごく楽しかった。結局未知のものに向き合う日々だったから、「やっときたか!」って感じだったよ。この頃にVitaNoteという商品名も決めたんだよね。とはいえ「栄養検査のサービスってなに?」からスタートしているから、参考にすべきものを探したけど全く無かった。純粋な0→1はこの時だったかな。近いところだと遺伝子検査があったり、色々な検査やサービスを実際に体験したりもしたんだよね。おしゃれなフィットネスジムのような場所で怪しげな測定とかもしたね。

一方で大変だったことは、検査そのものの仕組みの検討。どうやってオペレーション化するかって。作り直しが効かないところだし、理屈上はできるけど、あくまで理屈上だからね。最後まで微調整が続いて、ギリギリまで検討したよ。そこは緊迫感が半端じゃなかった。

それに、食べたものの栄養状態がわかるものを世の中に出したら、偽物のサプリメントとか全部偽りだって言う人が出てくるんじゃないかと思ったんだよね。

ー自分の身体の栄養状態がわかることって、まさにイノベーションですよね。

美濃部)イノベーションってある意味既成産業を潰してしまうことでもあるんだよね。この部分は結構話し合った。栄養状態がわかるVitaNoteってあまりにも画期的すぎて、誰が敵になる可能性があるのかすらわかっていなかったよ。

寺田)栄養検査のビジネスをするって決定したときから、だいぶ現実味が増していたからね。逆恨みされるんじゃないかって。

美濃部)正しいものが売れるとは限らないという観点がよく言われているけど、俺はそうでもないと思っていて。本当に正しいものは、社会に対してもインパクトがあってうまくいくんじゃないかって。それが確信できたのは、顧問をしてもらっている大学の先生との会話からなんだよね。僕らだったらちゃんと成し遂げてくれると信じていてくれた。

サッカーに例えると、今まで頑張ってきた形を最後に仕上げる・シュートを打つっていうところで、シュートさえ打ったら、何とかなるかなと思って結構自信があったんだよね。

寺田)先生と話すと、気持ちも落ち着いたよね。

美濃部)福渡先生や柴田先生とか、俺のビオフェルミンだったもん(笑)

寺田)科学のことはわからないから、研究をしている人の話を聞くしかなかったからね。

美濃部)「これは合っているか」って確認していったら、「合っている」って全部言ってくれて、やっぱり俺ら合っているんだって思えたけど、「違いますよ」って言われたら終わると思ったよ。栄養学・生命科学において、成し遂げたいこととその実現の方向性が正しければ敵はつくらないし、マーケットは確実にニーズがあって成功すると思っていたかな。

ー東京ビッグサイトの展示会ではTURFを出展されていましたよね。

美濃部)TURFはEC販売だったから、リアルな声を聞く機会がなくて不安だったけど、展示会ではすごく反響が良かったんだよね。スポーツジムや百貨店の関係者も来ていて、いくつか商談もあって、ビジネスに繋がった会社もあったよ。

寺田)このときのTURFの唯一の欠点が、天然素材にこだわったが故に、必要な栄養量を摂取しようと思ったら、カプセルだけで30粒くらい飲まなければいけなかった。一方で展示会で話を聞いていたら、天然素材にこだわる人もいると聞いて、そういう意味ではやってみて良かったな。

美濃部)今当社で顧問をしてもらっている柴田先生の話で、天然が良いのではないかと聞いたら、「天然なんて意味ないよ(安心・安全が確保されていない)」と言われて、そこからは確かに合理的ではないと思って、TURFは天然ブランドを辞めたんだよね。

4期_展示会TURFブース


5期目「世界初となる、尿から栄養の過不足を評価する検査サービスVitaNoteをリリース」

Yahoo!ニュースのトップに掲載され、問い合わせが殺到。ビジネスとして、事業として成り立つと確信できた。

ーVitaNoteリリース後の反響はどうでしたか?

美濃部)突然いとこから「これいいよ」ってLINEが来たんだよね。見てみたらYahoo!ニュースで、VitaNoteのリリース記事だったんだよ。いとこにはどんなサービスをやっている会社か話していなかったから、俺の会社だとは知らないで送ってきたんだよね。俺らはニュースに掲載されていることすら知らなかったから、すぐに寺田に電話したよ。

一気に注文がきて、問い合わせも殺到したんだよね。今まではこのサービスは絶対に必要だっていう想いでやっていて、事業として成り立つか不安もあったけど、Yahoo!ニュースの反響で確信に変わったよ。

ーリリースするまでに諦めようと思ったことはありますか?

美濃部)福渡先生たちと出会ってからは全く無いけど、そもそも栄養検査なんてできないんじゃないかと思ったことは何回もあったよ。別の方法も検討している中で、ある先生には絶対に無理と言われたり。悔しかったけど、できる可能性はきっとあるはずだと思ったんだよね。そう思いながら、次は別の大学に行って話を聞いて「資金も〇億円準備しています」と言ったら、金額が相手の想定より多すぎて、嘘つけみたいな顔された(笑)全く信用してもらえなくて、他のパートナーを選びたいと言われたよ。それでも諦めようとは思っていなかったよ。2期目に取締役会で決議をとって、そこからすごく邁進しているからね。


6期目「仲間への感謝」

エクイティの実施や共同研究など大きな決断が多かった1年。そんな中、本格的な採用活動が始まる。

ー社員数が増えてきた時、どのように感じていましたか?

美濃部)ありがたいことに入社を希望してくれる人がとても多いんだよね。限られた枠の中で採用に至った今一緒に働いてくれている仲間はみんな良い人ばかりだし、優秀。ユカシカドのミッションが創造したい世界に向かって走ってくれている姿を日々みていて、感謝ばかりだよ。

寺田)エンジニアの話をするね。技術者にはいろいろなタイプの人がいて、一つの道を突き進むことが好きな人もいれば、0から1を作ることが好きな人もいるし、作ったものの効果を最大化することが好きな人もいる。俺は特に再現性大好き人間で、うまくいったやり方を再現することが好きだったんだよね。この頃入社したエンジニアの一人は、ゼロから勉強して再現したいって言っていて、俺もゼロから勉強しているから、どんな風に再現ができるのか楽しみだったな。

6期_寺田・石田・櫻井・山本


7期目「未来のために今できることを」

世の中に発信するものの準備のため、みんなが必死で踏ん張った。

ー6期目から新たなメンバーも加わりはじめ、組織力を高める期間となった7期目。どのような考えや想いで取り組まれていましたか?

美濃部)7期目は歯痒い1年で、個人的には結構悩んだ時期かな。みんなが同じような熱量で、プロダクトとかを進めていけるのか気にしていたな。

寺田)結果として良い勉強になったけど、やることなすこと上手くいかなかったんだよね。

美濃部)今までの中でいうと、一番進捗がない1年だったかな(笑)結果として振り返って、7期目は結果が出るのを我慢する準備期間だった。人数が増えてきたけど、まだ仕組みが定まっているわけじゃないから、みんなが戸惑っていたし我慢したと思う。全員が同時に手探りだった。お互い求めていることが噛み合っていなくて難しかったよね。新しい子が入社してきて、どうしたら気持ちよく働けるか考えても、手取り足取り教えることも中々できないから。

難しいながらも、準備は進んだ。この期間がなかったら大変だったと思うし、ここは踏ん張ったと思う。

寺田)あと、年末にVitaNoteのアプリを作るぞって決断をした。VitaNoteQuickもだいぶ出来上がったんだけど、結構難しくて「できるわけないやん~」って言っていたもん。

7期_初詣


8期目「コロナ禍による環境変化へ。経営者の迅速な対応とメンバーの適応力」

2020年は新型コロナウイルスが流行し、日常生活が一転。経済にも大きな打撃があり、働き方にも変化があった1年となった。

ー当時収束する見通しもつかない中で、当社は対応方針の決定まで早かったと思います。どのような考えや想いがあったのでしょうか?

美濃部)うーん。当たり前だけど、社員や家族の安全を一番に考えることが自然だと思っていて、国内での感染が少しづつ広がってきたこともあったから、経営幹部で緊急mtgを実施して「1週間後に完全リモートにする」と決めたよ。

寺田)やっぱり心配だったのは、コロナ禍の最中に入社した人や若い子たち。地方から新卒で就職するために上京している子もいて、一人暮らしで不安だったと思うし、寂しいだろうしね。どうしたらリモートでも働きやすくなるか試行錯誤したよ。オフィス放送っていって、冷蔵庫の上にカメラを設置しGooglemeetを繋げて、オフィス をずっと映してたりしたよね(笑)

どうなんだろう、どうしているんだろう、みんなちゃんと仕事できているんだろうかってずっと心配だったな。

ーここまで社員一人一人の背景を汲み取って心配をしてくださることって、中々ない環境だと思います。

寺田)この人数だと、みんなの顔がわかるじゃん。わかるからこそ、心配になるよ。ご飯食べてるかな、誰かと喋っているかなとか。もう心配で心配でたまらなかったよ。

特に若い人って、あまり自分のペースを確立できていないじゃん。急に連絡が取れなかったとして、1日取れなかった場合はどう動くべきかも話し合っていたかな。

ー以前からリモート勤務の制度はあったのでしょうか?

美濃部)俺は元々は大反対だったんだよね。働く場所ってすごく重要で、さっき寺田が言っていたコミュニケーションもそうだけど、それが組織っていうイメージが強かったからね。同じ釜で飯を食うじゃないけど、何故かその方がうまくいくって思っていたかな。東京に来てからはオフィスも良い環境を用意したいって意識していたし。新型コロナウイルスが流行する直前に、今の表参道のオフィスへの移転も決めていたんだよね。

寺田)引っ越しの日は、もう緊急事態宣言中だったよね。

ー実際にリモートワークになってから、美濃部さんはどう感じられましたか?

美濃部)いやー、めちゃくちゃ良いと思ったよ。QOLは、上げれる人にとっては上がるのかなと。オフィス出社とリモートワークを組み合わせたハイブリッドな働き方は、世界的にも主流になったからみんなが選択できるようになってきたんじゃないかと思う。

だから新型コロナウイルスが終息しても、職種によるけどハイブリッドな働き方ができるようにしたいなと。ユカシカドとしての基本方針は、働き方の柔軟性がある方が良いんじゃないかと思う。

寺田)生産性がちゃんと上がっていますよってことが確認できることとセットだと思う。わからない状態は良くないからね。

美濃部)うん。自律した人であれば実現できそうだね。

ー経済の打撃に関して、何か感じていたことはありますか?

寺田)当初スタートアップに対するバブルは崩壊すると言われたし、一気に経済不安を感じたよ。事業会社もそこにお金を使えなくなるだろうって。そういう情報しか出回らなくなって、決まっていた投資も急に軒並み止まってさ。

寺田にずっと「あとこれだけで潰れるよ、ユカシカド」ってカウントダウンしてたもんね。「いや、もうマジでやばいやばい。」っ言っていたよ。そんな中でも資金を集めることができて、何とかなったね。


9期目「理想とする未来・ミッション実現のために在るべき現在の姿」

総勢4,331件の応募があった中、前澤ファンドからの出資が決まった。今のユカシカドはどんな大波がきても乗り越えられる豪華船だ。完璧に整った今は、前進あるのみ。

ー組織をどのようにCEO・CTOが舵取りしていこうと思っていますか?

寺田)何かあったときに何かする力が必要だったときと違って、何かが起きないようにしないといけないと思っている。仕事の効率も上がっていかないから、そこが一番大事かな。

美濃部)組織はフェーズ毎に変わってくるから、今そこを調整しているかな。俺も寺田も役割が変わってきているし、変化していくことが大事だと思っている。ここらへんについてはまたどこかで。

ー前澤ファンドからの出資が決まりました。数ある起業がエントリーしている中から決まった瞬間はどのような心境でしたか?

美濃部)決まった瞬間の心境としては、noteにも書いているけど、前澤さんとはすごく相性が良いと思っていて。ユカシカドや自分が生涯かけてやりたいと思っているミッションに対する考え方がすごく近い。また、そのミッションを叶えるための最短な道を日本で知っている人って数人しかいないと思っているんだけど、そのうちの一人だから、本当に嬉しかったよ。

その場で決まって、まず一番は寺田に報告したかったんだけど電話に出なくて、何回も掛けたけど出てくれなくて(笑)その後会社に行ったら寺田がいて、「決まったぞ!」と報告して、「おーー!!」ってなった(笑)

ー創業から9年を改めて振り返って頂いた中で、一番印象深いことはなんでしょうか?

美濃部)いくつかポイントがある。一つは、Yahoo!ニュースのトップにVitaNoteのリリースが掲載されたことは大きかったかな。反響がすごかったから、世の中の人たちは待っていると確信できた。その感触がなかったら結構怖かったよね。さっき話したけど、イノベーションを起こすことによって、敵意を剥き出しにしてくる方が出てくる可能性があると思ったけど、それは違かったんだよね。栄養の世界の方は非常に好意的に受けとめてくれて、安堵感はあったかも。

寺田)俺は長いこと一人で開発していたけど、今はめちゃくちゃ助けてもらえるようになった。良いチームができたっていうのが一番嬉しかったな。

美濃部)そうだね。ようやく戦えるベースとなるプロダクト・組織も整ってきたよね。船で例えると、スタートアップ企業って小さい手漕きのヨットを作って、2人くらい乗せて、波が来たらだいたい転覆してしまうんだよね。それだとまずいから、補正をしてエンジンをつけたり、チューニングをして少しずつ沖にでていくんだけど、ユカシカドが何をやったかというと、いきなり豪華船を作ったんだよね。それを海に浮かべるところまでやってこれた。

少しずつ一緒に冒険してくれる優秀な船員である仲間も乗ってきてくれているのでしっかり航海したいね。

ー振り返りの最後にズバリ、お互いの共通するところや尊敬しているところを教えてください。

美濃部)お互いやりきるところは、共通しているかな。決めたら絶対やる、是が非でも。そしてストレスにも強いと思う。レジリエンスという言葉があるんだけど、スタートアップの経営者や従業員を含めて、すごく重要だと思っていて。

要は回復するための耐性のようなもので、経験を蓄積していく力だと俺は理解しているんだけど、そこがお互い強いと思う。だから、グリッド&レジリエンスが共通しているかな。

あと、俺は本当にやばくなったときは絶対寺田に相談するんだけど、絶対に助けてくれる。なんかそこはもう好きとか嫌いとか、尊敬とかじゃなくて、すごく救われているよ。

寺田)世の中の起業家やスタートアップ経営者は人に意見を聞かない人の方が多い印象だったけど、議論によってより良い結論を出したり、合意形成を重視するっていうのは今でも新鮮な気持ちで美濃部のことをすごいなって思うことがある。

あとフィジカルもメンタルも異常なまでにタフだから、安心してぶつかりあえるのが助かっているかな。

ー出会ってからのエピソードなども含め、今までお話を伺っていてお二人にはとても固い信頼関係があるんだと感じました。

美濃部)そうだね、信頼って言葉は本当に重要。人のことは信じるけど、信じて頼るところまでできる人って多分相当少ないと思う。信用してるだけだったら、別に頼らなくても良いからね。

寺田)俺が一番ありがたかったのは、話したり言葉にすることとか、納得し合うことって大事じゃんって言っても誰にもわかってもらえなかったし、伝わらなかったこともあったんだよね。

美濃部は唯一伝わる相手だったし、喧嘩みたいになっても結局最後は話し合って結論を出すところまでいくから、喧嘩で終わらない。結論が出ないのは嫌じゃん。感情をぶつけ合うけど、結論感情に収束しないことが良いよね。

起業する時に絶対に諦めない美濃部が俺には必要だったし、その通りにやってくれている。自分だけタフでも駄目だし、相手だけタフでも駄目じゃん。これほどのタフな人間がいたら、どれだけ日々諦めずに集中してやっていけるかっていうのは、みんなにも体験してもらいたいくらい。

8期_FACTORY集合写真


<採用に関して>

ー創業者のお二人から見た、現在の組織としての魅力を教えてください。

美濃部)さっき言った船の例えの通りで、強いプロダクトがあって、そこに良い船員も乗ってきて、それに使えるガソリンである資金もある船に乗れることが魅力かな。それでいて自由度も高く、大手企業で働いているより意思決定のプロセスも短くて早い。スピーディーに物事ができるし、安心して働ける環境があると思う。

エンジニアはエンジニアのことだけに向き合える環境があるし、商品開発は商品開発に徹底的に向き合える環境があるから、とても良い環境なんじゃないかと思う。

寺田)ユカシカドがやりたかったこととして、特にハードのアセット面では、工場や開発体制とか一旦出揃ったんだよね。これからユーザーの栄養問題を解決していくという目標に対して、ワンストップでやっている手前、どの仕事も手触り感だけど、改善したことは感じられる仕事だと思っていて。

良くも悪くもやったことの結果を感じながら仕事ができるっていうのは、合ってる人にはすごく楽しいんじゃないかな。

ー組織として今後の課題はありますか?

美濃部)組織的課題イコール経営陣及び幹部の責任であるから、ルールがまだまだ少ないことも一つの課題。スポーツで置き換えると、ルールはある方が戦いやすいでしょ。野球で例えると、一塁に走ることがルールだけど、今は三塁の方に走っても良いみたいになっているから、それをカオスと思って楽しめる人は良いけど、一塁側だけにちゃんと行くんだよっていうルールがあった方が良いと思っているよ。今取り掛かっているけど、組織内の最低限のルールを作ることが課題かな。

寺田)俺も観点としては近くて、のびのび働けるようになっていないと思っているんだよね。そのために必要なことっていろいろあって、今は何をすべきで、この後何をすべきでっていうのは、いつでもちゃんとわかるようにする。

共有されるべきことは、スムーズに共有されるべきだし、人がどんどん増えてきているけど、その時点で一体誰と何を話したら良いのかっていうことが今はパっとわかるようになっていない。のびのび働けるような仕組みを作ることが課題かな。

ー将来的に取り入れたい福利厚生や社内制度の構想はありますか?

美濃部)まさに今考えているんだけど、3つあるかな。1つ目は、社内からこんな制度やこんな福利厚生がほしいって声が上がってきたらできるだけ取り入れたい。自分が組織を作っているからこそできることはフェアさを保つことだから、理不尽はなくしたい。だからフェアであるんだったら良いかなと思う。

2つ目が、給与=報酬は高くしたい。ユカシカドでは3倍の生産性で働くことを大切にしていて、頑張った分正当な対価をもらってほしい。

3つ目は、手当。それぞれのライフステージ、例えば結婚・出産・介護とか、様々なシーンにおいて、人生における転換期だから、そこはサポートしたい。例えばだけど、家事代行の費用は一部負担とか、そのフェーズに行った人だけに負担が掛かることだから、サポートしてあげたいな。介護や妊活も大変だろうし。

大したことない福利厚生は作るべきではないと思うけど、必要なものは作っていきたい。昔からよく言っているのは、ちゃんと実態に伴って変な背伸びはしない。不要なものはつけない。

寺田)経済上の心配が無くなるようなものが良いよね。それが無くなれば無くなるほど、やるべきことや仕事に集中できるからね。その延長線上に、週休3日や4日でも良いんじゃないっていうところまで、生産性を高められたら良いことしかないと思う。それを仕組みとして成り立つようにしていきたい。

ーお二人の仕事に対するモチベーションやモチベーションの保ち方を教えて下さい。

寺田)あまり良い話ではないけど、もっとうまくできないかなという怒りが日々あって。怒りが常にモチベーションなんだけど、こんな事を書くと怖いよね(笑)「パズルを完成するための最後のピースを探している途中で諦めないだろう」というのは本音の話だから、完成するまでモチベーションは消えないかもしれない。

美濃部)昔ながらな考えで良くないかもしれないけど、ストレスが溜まったら何で解消するかに近いね。仕事に対するモチベーションは、結局は結果でしかなくて、仕事に対しては仕事で返すべきだなと思っている。

モチベーションが下がったとしても、モチベーションを高めるのは仕事でしかない。人間関係でモチベーション・メンタリティーが下がったなら、良い組織を作って、モチベーションを高めるしかない。

全部コインの裏返しだと思っているから、下がった原因を解消するしかないかなって思う。俺の考え方だけどね。

ーどのような人物が当社に合うと思いますか?

寺田)アバウトな身も蓋もない言い方をすれば、合理性を説明できて、行動する人。

美濃部)大事なことは、行動できる人だね。痛いほど経験してきたよ。実行できる人って結構少ないんだよね。あとすごい抽象的だけど良い人。

ープロダクト企画、マーケティングや商品開発などのビジネス開発などの職種において求めることや期待することを教えてください。

美濃部)どの職種も共通しているけど、事業フェーズによって求められるスキルなどは変わってくるんだけど、今のフェーズで必要だなと思うのは「自分を信じ、目の前にある課題を自ら解こうとする意欲」「変化に柔軟な対応で実行する力」だなと思う。

ー技術系のエンジニアに求めることや期待することを教えてください。

寺田)これもエンジニアに限らずだけど、やっぱりものすごく勉強しないといけないし、ものすごく挑戦しないといけないし、自分の時間を費やすことになるから、挑戦に値する課題解決に挑みつつ、それに対して安心して働けることが理想。

一緒に働くエンジニアに求めることは、ミッションやプロジェクトに共感してもらうことが一番で、そこら辺は自分の振るうに値すると思ってもらって、一緒に切磋琢磨できることが求めることかな。

ー長くなりましたが、これが最後の質問になります。スタートアップ企業のユカシカドに入社したい未来の仲間に向けて、メッセージをお願いします!

美濃部)会社って基本的にはみんなで集まって、何かを成し遂げるツールなんだよね。そのツールの中でユカシカドは飽きない環境だから、それを楽しめる人が当社には向いているんじゃないかと思う。

ユカシカドは、ミッションに向かって走っているので、ミッションに対して自分もやりたいなと思うようであれば、ぜひ一緒にチャレンジしてほしいと思います!

寺田)栄養状態を把握できていなくて、食事が悪くて病気になったり、亡くなったり、それがいつかは改善する未来があると思っている。

どうせやるんだったら、自分たちの手で一緒にやりませんか。共感してくれた方からのご応募をお待ちしてます!

ー本日はありがとうございました!

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ユカシカドでは、ミッションの実現に向けて、一緒に駆け抜けてくれる仲間を募集しています。
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代表取締役CEO 美濃部のnote
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取締役CTO寺田とシステム開発部メンバーによるテックブログ
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