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 【人はいつから"好き"に蓋をしちゃうの?】

 私は自分の中に"好き"がたくさんあります。
それこそが、私を私を私らしく、「私」にしてくれているものです。
これは誰もが持っているものです。

 しかし、自分の"好き"がわからないという生徒が何人もいます。

 自分の"好き"がわからないなんてもったいない!そう思いましたが、でも、なぜ?"好き"がわからなくなるのでしょう?

 人間は生まれてから"好き"を探しながら生きていて、大人のなんらかのアプローチにより自分の"好き"を発見できなくなっていくのではないかと仮定します。

 子どもは親を選べません。
親の教育観によって学ぶ環境が変わります。三者面談をするとわずか30分、1時間の中で親子間のコミュニケーションの状況や、保護者の教育観が垣間見えます。高校はだいたい同じような偏差値層の子たちが入学するためか、本校の保護者たちの高学歴志向は共通して多くの親子から感じるところですが、
そのような中でも、「子どもに任せています」とおっしゃる保護者がほとんどだった高1の三者面談があり、そこから高2、高3に進むにつれて親子ともにその時点の学力より、できればより高い大学への志望をするようになります。
さらには、「子どもに任せています」ではなくなり、「GMARCH以上ならばどの学部でも」と言う保護者が急増。←ほんとに多い!私学だし、保護者の期待に沿わなければならないのが商売なのは学校の立場からしてもわかるのですが、
私からは、保護者の前であえて生徒に、「何が好きなの?何を学びたいの?どんな分野に進みたいの?」と尋ね続けますが、高2後半からは面談も生徒の意志が不在のまま保護者主導になっていることに違和感を感じます。
担任としては、それまでの2年間、3年間の探究活動で見せてくれた生徒それぞれの興味分野からは、なぜかかけ離れる選択をする親子が増えるのです。
 しかし、担任としてはご家庭の方針に立ち入れない部分があるので、泣く泣く違和感を閉じ込めて面談を終了してから本人との二者面談で本音を探りながら後悔のない選択を応援するのがやっとです。しかも、本人もその頃には自分の"好き"に蓋をしてしまい、"好き"がわからないと言いだし、自分の"好き"迷子になってしまうともうダメです。

 これが日本の子どもたちが自分の"好き"を選択し辛い実態なのかもしれません(涙)

 年度初めのロングホームルームで必ずしているのが自分の"好き"を発散させるワーク。

This is me!

 高3の年度初めでさえもこんなに素敵な"好き"が並べられているのに、
「GMARAHならどこでもいいです」とか、
「就職に有利そうなので経済が経営でいいです」とか、「とりあえず大学でやりたいこと探すので学部はどこでもいいです」とか、「安定した仕事に就きたいから公務員を視野に法学部で」とか言ってくると、悲しくなるのは間違いなのでしょうか?

 人はいつから"好き"を進路に選べなくなるのでしょうか?もちろん"好き"の種類によっては仕事と直結しない"好き"はたくさん存在します。しかし自由に"好き"を発散していかないと自分の人生を豊かにしてくれる仕事を見落としてしまう気はしませんか?世の中にはたくさんの仕事があり、どんどん新しい仕事が生み出される時代です。
今ない仕事を生み出す力は、それぞれの"好き"から派生して生み出されるのではないでしょうか?

子どもたちが"好き"に蓋をしてしまうのは、保護者や学校の罪だと思ってしまうのは私だけ???

 100本ノックするとなると、こういった日々のモヤモヤを出す機会が増えそうですが、私の心の動きを共有していただけたら幸いです。

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