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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十一話 梅枝(二)

 梅枝(二)
 
源氏は女君たちに遣いを出し、香を持ってこさせるように伝えました。
「ところで兄上、腰裳を結われるのはどなたですか?」
「いや、親ばかと思われるかもしれないが、秋好中宮さまにお願いしたのだよ。後々このような習いができてはよろしくないのはわかっているのだが、自分の娘のこととなるとどうにもね」
そうして娘への溺愛を恥ずかしそうに表す源氏の面は若々しい。
「中宮のご幸運にあやかりたいというわけですね。まこと親心ですな」
そう宮も慕わしげに笑いました。
女房たちによってしずしずと香が運ばれ、源氏の香は夕霧がうやうやしく御前へと差し出しました。兵部卿宮はそれぞれの香をまずはひとねめ、美しい所作で香をくゆらせ判別していきます。
深さ浅さがそれぞれに違い、まさに調合したその方の人柄までもが偲ばれるようです。どれもそれぞれに優れているもので、宮はご自身の琴線に触れた逸品をお選びになります。
「黒方」は朝顔の斎院と源氏、紫の上が整えましたが、なかでも斎院のものが正統派で奥ゆかしく、しっとりとした風情がこの香らしいものでした。
源氏と紫の上が調合した「侍従」では、源氏が整えたものがなまめかしく高雅な趣があります。
紫の上がもうひとつ整えた「梅花」に宮はうなりました。
「紫の上さまは現代的で鋭敏な感覚をお持ちですな。『黒方』も『侍従』もそうした新しい要素が垣間見られて非常に艶やかです。その感性がもっとも活かされておりますのが、この『梅花』でしょう。今の季節にはこの香に肩を並べるものはありますまいよ」
宮の言葉に源氏も思わず笑みを漏らさずにはいられません。
花散里の姫はお人柄通り控えめでただ一種「荷葉(かよう)」のみを整えました。しかしながらしめやかであわれ深い、心がほのぼのとさせられる趣があります。
宮は花散里の姫を心優しい人なのであろうと推し量りました。
明石の上は実の娘の裳着ということもあり、ありきたりの香は得心がゆかぬと思いもよらない香を整えてきました。
その名も「百歩(ひゃくぶ)」と呼ばれる香です。
その昔、源公忠(みなもとのきんただ)が宇多帝の秘法にさらに工夫を重ねたもので、その雅やかな香りは百歩の内に漂い渡るという幻ともいうべき名香です。
宮はまたも唸りました。
「なんとまぁ、どのようにしてこの秘法をお知りになったのか。まさかここでお会いできるとは思いませなんだ。こちらもまた逸品ですな」
宮は明石の上が身分賤しい出ゆえにこのような香で負けじとしているのだろう、とばかりに侮っていたのを見事に覆されたので、これまた大した女人であるよ、と感嘆されました。
「いや、兄上。参りましたね。それぞれに素晴らしい」
「はてはて、宮はどちらにも花を持たせるので、困りましたなぁ」
源氏は少しも困っていない顔で朗らかに笑んでいます。
「兄上がうらやましいですよ。これほどの女人たちがおられるのですから」
これは宮の素直な感想なのでした。
源氏は宮が玉鬘を得られなかったことをいまだ悔しく思っているのであろう、と気の毒に思いました。
思えば玉鬘の姿を垣間見せたり、残酷ないたずらをしたものです。
「玉鬘のことは申し訳なかったね」
源氏も苦しい想いをしたもので謝罪の言葉もすんなりと出てきます。
「もうよいのですよ。運命ではなかったと諦めます」
「宮に相応しい北の方がきっと現れるでしょう」
「そうでしょうか」
宮は少し明るく顔を輝かせました。
ふと庭に目を移した兵部卿宮は亡き北の方を思い出しておりました。

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