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紫がたり 令和源氏物語 第二百九十二話 梅枝(三)

 梅枝(三)
 
月がほんのりと浮かび上がるように昇り、香のかぐわしい余韻に浸る源氏と兵部卿宮はそのまま別れることはできませんでした。
明日の管弦の遊びの下ざらいに多くの殿上人が控えているのをこちらに呼び寄せ、心の赴くままに奏でようではないか、とまぁ、気の向くままの趣向です。
管弦の才では特に秀でる内大臣の子息達もその中に混じっております。
兵部卿宮は琵琶を、源氏は筝の琴、柏木の頭中将は和琴を前に、夕霧の宰相が横笛を静かに吹き始めました。
まだ肌寒い夜気に笛の音が冴え冴えと鳴り渡り、それに合わせて楽が響き合います。
それぞれの名人が得意なものを奏でるのでその音色の素晴らしいことは言うまでもありません。
なかでも柏木の和琴の音色は父君の内大臣に劣らぬもので、源氏はこの控えめで美しい青年を気に入っております。美声が自慢の柏木の弟、弁の少将がまさにこの時期にぴったりの催馬楽(さいばら=古くから伝わっている歌を雅楽風にアレンジしたもの)『梅枝(むめがえ)』を朗々と謳いあげる様もなんとも趣のあるものです。
源氏も兵部卿宮も思い思いに声を合わせて、改まった催しではありませんでしたが、こうした内々のお遊びの方こそ風雅であると言えましょう。
宮は源氏に盃を差し出し詠みました。
 
鶯の声にやいとどあくがれむ
   こころ染めつる花のあたりに
(まるで鶯が鳴いているような歌声ではありませんか。そして花にもよせられて魂までも抜けだしそうにうっとりした宵ですね)
 
源氏はそれを受けて飲み干すと、柏木に盃を与え、詠みました。
 
色も香も移るばかりにこの春は
   花咲く宿を離(か)れずもあらなむ
(花の色も香りも御身に移るほどにこの邸へ足繁く通ってくださいよ)
 
柏木は恭しく盃を受け、夕霧へ差し出し、詠みました。
 
鶯の塒(ねぐら)の枝もなびくまで
      なほ吹きとほせ夜半の横竹
(鶯のねぐらである枝がなびくほどに夜通し笛を吹いてくださいよ)
 
夕霧は、無理をおっしゃる、と口の端に笑みを浮かべながら詠みました。
 
心ありて風の避くめる花の木に
   とりあへぬまで吹きや寄るべき
(風さえ気を遣い避けて吹く花枝に、どうして笛を吹いて近づけましょうか)
 
一同がどっと笑うと弁の少将も詠みました。
 
霞だに月と花とを隔てずは
    塒の鳥もほころびなまし
(せめて霞が月と花を隔てなければ、塒で休む鶯も目を覚ましてさえずるでしょうに)
 
各々が詠んだこの歌はまさに“花鳥風月”。
雅な上に知識・教養を兼ね備えた趣味人たちの集いです。
明け方になり、春の暁を惜しむように宴はようやくお開きとなりました。
源氏は宮へのお礼に優美な直衣一揃えとまだ開封していない薫物二壺を差し上げると宮は冗談めかして仰いました。
 
花の香をえならぬ袖に移しもて
     事あやまりと妹やとがめむ
(頂戴した香を衣に入れて帰ったならば、妻が女の元にいたと勘違いするでしょう)
 
妻を持たない宮の茶目っ気に源氏も微笑んで答えました。
 
めづらしと古里人も待ちぞ見む
      花の錦を着て帰る君
(錦の着物なぞ着て帰れば、奥方もことさら珍しいと思われるでしょう)
 
「兄上には参りますなぁ」
宮は上機嫌に笑ってお帰りになられました。

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