紫がたり 令和源氏物語 第二百六十八話 藤袴(三)
藤袴(三)
玉鬘は八月の中旬に喪服を脱ぎましたが、来る九月というのは入内には忌む月なので、宮中に上がるのは十月と正式に決定されました。
それが世間に知らしめられると、求婚者たちは諦める者もいれば、なんとか九月中に姫と結婚したいものだと熱心に申し込まれる方もおりました。
髭黒の右大将も然りで玉鬘を妻にしたいと柏木に詰め寄ります。
右大将は柏木の直属の上司なので、無下にもできず、柏木は密かに父である内大臣と大将を引き合わせました。
「どうか私に玉鬘姫を下さい。必ずや幸せにいたしますので」
右大将は内大臣に懇願しました。
内大臣としてはこの右大将が婿になることになんの異存もありません。
右大将は東宮の母君である承香殿女御の兄上なので、今上(冷泉帝)にも信頼され、東宮が即位された暁には間違いなく政治の中枢を握る人物であります。
親として玉鬘の幸せを考えても宮仕えなどで気を遣いながら生きるよりもこの人の北の方として大切にされた方がよいと思うのです。
「しかし御身には北の方がすでにおられよう。源氏が気にしているのはそこであろうな。北の方は紫の上さまの姉君なので、式部卿宮さまに恨まれたくはない、というのが源氏の本音でしょう」
「その点はどちらも立てるよう致しますので、ご心配なく」
武官の威厳もどこへやら、額をこすりつけんばかりに頭を下げて懇願する髭黒の右大将が気の毒で、できれば婿に迎えたいと思う内大臣ですが、源氏には諸々の恩義がある手前、一存で許しを与えることもできないのです。
こうなったら玉鬘姫自身に訴えるしかあるまい、そう髭黒の右大将は弁のおもとに頼ることにしました。
近頃玉鬘の信頼も厚いあの女房・弁のおもとです。
右大将にはようやく辿り着いた貴重な手蔓なのでした。
「あの方が宮中に上がられる前にどうしても直接お会いして私の心を知ってもらいたいのだ。弁、頼む」
「源氏の大臣は文の取次ぎもするなと警戒しておられます。とても姫とお会いすることなど無理ですわ」
弁のおもともさすがにこの願いは叶えられまいと諦めています。
「私はどうにかなってしまったようなのだよ、弁。なまじ一度あの方を見てしまったばかりに仕事も手につかず、朝も夕もあの美しい御姿が忘れられない」
右大将は男泣きして、弁のおもとはいたく責任を感じました。
それはまだ夏の初めの頃、あの時もこのように懇願されて玉鬘姫が夕べには端近に庭を眺めて過ごすことを漏らしてしまったのです。
そして右大将は弁の導きで庭の隅から玉鬘姫を垣間見たのでした。
噂以上の美貌に、少し憂いを含んだ伏し目がちの目元がなんとも艶やかで、その姿は右大将の心に焼き付いてしまったのです。
「姫を想って私は毎夜眠れずにいるのだ。このまま宮中に上がられたら焦がれ死にをしてしまうよ」
大きな体を縮めて泣く髭面の中年男の姿はあまりみっともよいものではありません。
それでも弁のおもとはこの右大将の純情さに心を打たれました。
髭黒の右大将といえば近衛府の頭です。
勇猛果敢、勤勉実直で知られるこの御方がまさかこのように恋にのめり込むということは世間の誰もが思いもしなかったことでした。
病気の北の方を見捨てることもなく世話をしている律儀な御仁なので、もしも玉鬘姫を得られれば、言葉通りに大切にされることでしょう。
「せめてこの心をこめて書いた手紙を姫に届けておくれ」
弁のおもともこの手紙だけは姫にお渡ししようと受け取りました。
次のお話はこちら・・・
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