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紫がたり 令和源氏物語 第三百九十七話 鈴虫(六)

 鈴虫(六)
 
宴がお開きになった後、源氏は秋好中宮の元を訪れました。
この斎宮の姫に想いを懸けたこともありましたが、義理の娘のような存在なので、如何に過ごされているのか、不自由なことはないかと伺うのが礼儀というものでしょう。
中宮は変わらずにおっとりと穏やかにお暮らしでありましたが、どうやら心に懸かることがあるご様子。
なかなか言い出せぬそのこととは亡き母・六条御息所のことでした。
源氏は御息所の御霊が悪しき行いを重ねるのを極力漏らさぬよう努めておりましたが、例の紫の上に憑いた際に憑子(よりまし)の童が語ったことなどはどうにも耳にする者があったようで、いつしか世間には御息所の仕業と知れ渡っているのでした。
人伝てにそれを聞かれた中宮のご心中や察するにあまりあります。
中宮は御身が出家されて母君の罪障を軽くすべく仏道に邁進したいと思召されておられるようです。
しかしながら冷泉院は中宮のご出家を赦されぬでしょう。
相談できる相手といえばこの源氏の院しかおらず、間に立ってもらえば望みも叶えられるかもしれませんが、母・御息所は源氏の大切にしておられる紫の上を苦しめているわけですから言いだし辛いのです。
それでもこの機を逃してはまたいつ源氏に会えるかどうか、中宮は恥辱に苛まれながら重たい口を開かれました。
「亡き母上の罪障の浅くない様子を耳にすることがありまして胸を痛めております。わたくしは母と死に別れたことばかりを悲しく思い、後世の供養などを怠っていたわが身を責めているのでございます。長く斎宮として神に仕える身ではありましたが、それだけに仏道を怠っておりましたので、せめて今からでも仏弟子となり、地獄の焔に焼かれる母上をお救いしたいと思うのです」
源氏はお気の毒のあまり言葉を失いました。
どのように伏しても事実は世間に知れ渡り、人知れず御心を痛められていたのだと思うといたたまれなくなります。
夕顔、葵の上に女三の宮、源氏は未だ人に知られていない御息所の悪業を思い返すも、並々の祈りでは御息所の御霊は救われぬと慮るところです。
それにしてもその業をすべて子である中宮が引き受けようというのも如何なものか。
「お気持ちはよくわかりますが、多かれ少なかれ誰しも罪障というものからは逃れられぬでしょう。あの目連は優れた行者であったので母を救うこともできたでしょうが、御志は劣らないにしてもその先例に倣うことは難しいと思われます」
源氏の言う目連とは目連尊者と呼ばれたお釈迦様の弟子のことです。
修行によって神通力を得ましたが、その天眼をもって亡き母を見たところ渇きの地獄にて苦しんでいられたのです。目連尊者は母の生前の行いを知り、母に代わってそれを償ったことで地獄道から解放されたというお話です。
 
もしも中宮がその罪を被ることとなれば中宮ご自身も地獄道にて大変な辛苦に遭われるに違いありません。
源氏はそのような業を中宮には課せられまい、また御息所に親としての心があるならばそれを望むまいと考えました。
「後々に出家されるのは良いとして、今は追善供養を心を込めてなさいませ。御息所の御霊も慰められることでしょう」
あまり多くを語れぬのも不憫で、世の中には知らなくてもよい真実というものがあるのです。今更御息所がかつて為されたことなどは中宮の御耳にお入れすべきではない、と口を噤みました。
確かに中宮に入内を勧めた折には、御息所のご供養の為に御仏にお仕えする心をあったものを、自分の政治の駒として入内させたことは間違いであったかという念が頭をよぎりました。
「入内されたことを後悔なさっておられますか?」
中宮は少し考えられるときっぱりと答えられました。
「いいえ。冷泉院にお会いしなければわたくしの女人としての人生はどれほど乏しいものであったでしょう。きっと人知れず埋もれてゆく運命であったと思われます。中宮にまで叙されたのは亡き母君も喜ばれているのではないかと信じております」
源氏はすうっと胸が軽くなりました。
もはや愛をもってして御息所を供養できはしませんが、哀れと思い、改めて御息所の為に祈ろうという気持ちになるのでした。

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