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紫がたり 令和源氏物語 第二十八話 若紫(二)

 若紫(二)

その日の昼下がり、例の庵から一人の僧都がやってきました。
聖の弟子で、噂に名高い高貴な御方をもてなしたいという旨です。
あの美少女の素性が気になることもあり、源氏は快く招きに応じました。なんとも心定まらぬ若き君ゆえ、色々と惑わされることが多いようです。

夕暮時に庵を訪れると、西日が薄く差し込んでいる中に香の煙がうっすらと漂って、荘厳な静けさに自然と背筋が伸びる源氏の君です。
僧都はまず仏の話など・・・と、人の世の無常なことや仏の戒めなどの説話を語り始めました。
源氏はそれらを噛みしめながら己の罪を反芻しておりました。
人の妻を盗んだことや夕顔を死なせたこと、そして父への背信である宮とのことは命ある限り我が身を苛むであろうと思うと胸が締め付けられるようです。
その美しくも神妙な面持ちに几帳(布で作られた間仕切り)の向こうから様子を伺う女房達はいささか緊張しているようでした。

僧都と二人になると酒など饗されて、源氏はそれとなく尼君のことや少女のことに水を向けました。
尼君は僧都の妹で亡き按察大納言(あぜちのだいなごん)の北の方。少女は一人娘が遺した孫娘ということでした。
何より驚いたのは、娘に通っていたのが兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)であったとのこと。兵部卿宮は藤壺の宮の兄君であられるので、かの美少女は宮の姪ということになります。
道理で面差しが似ているはず。
この事実を知ると、少女が生い先宮のように輝くばかりに美しくなるであろうことが想像され、益々執着が募るというものです。
僧都が妹の尼君が亡くなればこの少女の行く末が不安である、そうしんみりと漏らされるので、気の毒と思いつつも源氏の心は無性に騒ぐのを禁じ得ません。
少女の亡き母は兵部卿宮の身分高い北の方に度重なる嫌がらせを受けて、思い悩むうちに儚くなってしまいました。
父宮は姫を引き取りたいと申し入れてきましたが、継子として気性の荒い北の方の元へ渡すのは忍びないのだと尼君は考えているようです。
しかし自身は病に蝕まれているので姫の将来を考えると嘆きが増すばかりで、と僧都が悲しげに言うので、源氏は目を潤ませました。
「なんとお可哀そうな姫でしょう。私も母の顔を知らず、祖母も物心ついた頃に亡くして肉親の縁が薄い身の上です。とても他人事とは思えません」
そのように慮る源氏の姿に僧都はありがたいことと、頭を垂れました。

平安時代の貴族はもともと身分が高くても、世話をする親がいなければ人並みの生活を望むのは難しいのです。機転の利く賢い姫ならば身分を捨てて女房となり、他のお邸に勤めに出たり、帝の目につかなくともお世話係などで宮中に出仕することで生計(たつき)を得ることも出来ますが、人知れず飢え死にしてしまう姫も珍しくはなかったのです。
僧都はそんな姫の頼りない行く末を案じているのでした。

源氏はそれを聞いて逡巡しました。
このような申し出を立派な僧都が何と受け取られるか···。
「これも何かの縁と思われます。私に姫をお世話させてはいただけないでしょうか?」

思い切って僧都に切り出しました。それは自分でも思いも寄らない大胆な提案です。そのような色めいた心意気ではなく、そこまで好きものかと取られれば恥ずかしく、帝の皇子たる身の程に疵がつくかと思うばかり。そのように恥を忍んでも、
「いやいやまだ年端もゆかぬもので・・・」
そうはぐらかされたので、それ以上は何も言えませんでした。

僧都は妹の尼君に源氏の仄めかしたことを伝えましたが、姫がもう少し年齢がいってしっかりしておればこれほどよい話はないでしょうに、と深い溜息をつくのでした。

次のお話はこちら・・・


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