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令和源氏物語 宇治の恋華 第四十三話

 第四十三話 恋車(五)
 
徐々に底冷えする山里の様子に薫はわびしさを禁じ得ませんでした。
「それにしても雪深いのですね、ここは」
「ええ」
匂宮と中君のことで頭がいっぱいの大君は心ここにあらず、といった返事をされます。
「ずっとこの山里で暮らすおつもりですか?」
「はい」
上の空の返事に薫はくすりと笑って大君に向き直りました。
「匂宮さまのことは中君と相談なさってください。当人のお気持ちが大切ですからね」
「それもそうですわね」
「私はできればお二人を京にお迎えしたいと考えております。八の宮さまのおられぬ寒々しい山里は若い姫君たちには辛く心細いでしょう。近くにいらしてくださればなんでも承ることができますし」
傍らの若い女房はまたもそっと喜色を浮かべました。
雪深い山里に好んで居る者は行者か山樵ばかりでしょう。
この境遇を抜け出して京に住めるとあらばこれほどよい話はありません。
大君は薫の申し出を親切心からだと思うものの、世間から見れば囲われ者と嘲笑されるという矜持がそれをよしとしないのです。
再び押し黙る大君に薫は先刻の歌に返して詠みました。
 
 つらら閉ぢ駒ふみしだく山川を
    しるべしがてらまづや渡らむ
(氷に閉ざされたこの山里に匂宮を案内する役を担うつもりでおりますが、まずはあなたにお逢いしたい)
 
大君はさっと顔を赤らめました。
薫はとうとう言ってしまった、という思いと、告げねば何も始まらぬという二つの心がありましたが、大君は強張ったようになんの反応もされません。
「私は長い間御身に想いを懸けて参りました。それにお気づきにならぬはずはあるまい」
「・・・・。」
「最後に八の宮さまとお会いした時に宮さまは結婚を許して下さったのですよ。しかしまさかあの折が最後になろうとは思いませんでした。私は父宮を亡くされた御身を慮ってずっとこの想いを封印して参りましたが、どうにもこらえきれずに告げてしまいました」
大君はじりじりと御簾の奥に下がって一言だけ返しました。
「急なこととて、なんともお答えのしようがありませんわ」
「不快なご気分にさせてしまいましたね。私はこれでお暇致します」
薫は自己嫌悪に苛まれて、深く頭を垂れると、顔色を見せぬようにすっと座を立ちました。
大君は胸の裡に湧き上がる様々な感情に惑わされて、その場を動くことが出来ませんでした。
 
薫は傷ついておりました。
簡単に心を許してくれる人ではないと知っておりましたが、思いもよらぬほど男として見られていなかったというのが気恥ずかしくて、穴があったら隠れてしまいたいと思うばかりなのです。
傍らに従う弁の御許も声をかけることは出来ませんでした。
「弁、八の宮さまがいつもおられた仏間を覗いてもよいかな」
「もちろんでございますとも」
そうして開けさせた仏間には八の宮さまが勤行された御台座などは片付けられて仏像にはうっすらと誇りが積もっておりました。
 
 たちよらむ蔭と頼みし椎が本
    むなしき床になりにけるかな
(私がこの宇治に立ち寄る頼りとした八の宮さまは空しくなられてしまった。この仏間もただの床となりはててしまったよ)
 
さみしげに佇んで詠むその姿はやはり当代一と言われるばかりに艶やかであります。
この御方の訪れあってこそわびしい山暮らしのささやかな喜びであったものを、足が遠のかれるのは悲しいことである、と弁の御許を始め、若い女房、下男に至る家人たちも嘆かずにはいられません。
薫は自分の荘園の者たちに変わらず用を承るよう命じ、こちらにはしばらく足を向けまい、と山荘を発ったのでした。

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