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なぜ台本は遅れてても容認されまくってるのか

脚本が締め切りまでに上がらなくて本人に締め切り言わせてもさらに破られること数度、というのが1人や2人ではなく結構な数今まで遭遇してきたんですけどはっきりいってもうこれ重罪だと思う。世の中は「締め切り守れ」とかっていってるけど「自称・アーティスト」の締め切り守らない病ってなんなの。ましてやもっと重大な納期である「公演」が立ちふさがっているのを前にして、だ!

台本の締切だけなぜ治外法権なのか

まあこれは私が制作担当だからというのと、主に小劇場では劇団の主宰者=脚本・演出でありその公演に対する最終的な決定権を持っているからということがすべてなので、たとえこちらが進行管理をしていて催促したところで「だって自分が責任とるから」という謎理論でまかり通ってるからである。

おまけに世の中には台本が仕上がらなくて初日が遅れたとか、◯◯さんは台本が遅くても売れてるし面白いといういわば、「蜷川幸雄は稽古場で灰皿を役者に投げつけていた」から自分もOKという主張をされるのだが、でもだいたいそういうことが起きている現場はどっかで誰かがなんとか幕が開くように胃に穴が開くぐらいの思いをして調整してるからなんとかなってるだけであってそれをお前がやっていいって云う理由にはならんだろ!!!!

台本が遅れてる、出来上がってない2パターン

まあ大体台本トラブルにはパターンがあって

◯ 修正稿・決定稿が上がらない。とりあえず初稿はある

のと

◯ そもそも初稿が上がらない

の2パターンかなと思う。そしてびっくりしたのは「そもそも初稿が上がらない、要するにいつまでたっても書き上がらない」という事象が結構遭遇するってことだよ!!!!お前ら、他人にやれすぐレスしろだの締切少しでもすぎたら 鬼電するようなくせに「いつまでに上がりますか?」って聞いて自分で「**までにはおくります」って言ってその締切平気で破るのってダブルバインドにもほどがあるからね?

台本ってどのタイミングで必要?

「台本は初日までに上がればいい?」
そんなわけないだろう。キャスティングする段階では正直なところ初稿は欲しい。ある程度オチまで書きあがってて、そのストーリーの方向性は変えないで欲しい。

キャスティングで個人的に声をかけるにしても、オーディションで募集するにしても、『わからないもの』というのは避けられる一つの理由になる。ある種、既存の古典作品などのほうが反応がいいのも自明。作品だけじゃなくて作者も有名であれば様々な事前情報にアクセスしやすい。
「◯◯さんと◯◯さんに声かけてるから」って、自分が声をかけたから出てくれること前提の人も結構いたけれど、「◯◯さんとこの企画だったら絶対」って思ってもらえるのは1回や2回では無理だし、作品のクオリティがさらにものを言わすと思う。何より、出演すると決まったらその作品に2ヶ月は軽く拘束される。稽古期間もそうだけど、自分のプロフィールに書く作品として、本当にこれに出演するのって大丈夫か?と考えるよ。
ましてや事務所所属のタレントさんに出て欲しい!と思うのであればなおさら企画内容台本確認したいって言ってくるはず。お互いに選びたいとは思ってるだろうし、「断る権利」というのも対等なものなんだから。

台本が仕上がっていないことで被る不利益って何?

どんな仕事も、全部のセクションが歯車でどこか一つが不具合を起こすと全体が不具合を起こしていく。仮に動いていたとしてもすごく負担がかかっていたりして、その原因になってる人って気が付いてないと思う。

まず台本が上がらないことで過去に実際にトラブルになったのは美術・衣装プランが物理的に動けない。実際に製作するものがあったり、手配するものがあるセクションはとにかく一番不利益を被る。ましてやクオリティにも直結する。
制作からしても、オチがわからないので広報が動けない。おまけにいつ完本するのかわからないってことは上演時間が最終的に読めないってだいぶまずいと思うんだけど。ましてや、台本が完成しない=稽古が進まない=演出がつかない ということによってそのまま実際に劇場に入った時にロビー客席等の受付導線や干渉する物事が全く見通し立たないって怖すぎる!

ある程度見通し立ってて劇場に入って変更になるのと、ほぼほぼぶっつけ本番っていうのとの違いは全然違うからね!?!?

そして何より、役者がその公演に対して損切りをする。

役者の仕事はチケットを売ること、手売りでチケット売ってこい!というのであれば、チケットを売るための材料というのははっきりと提示するべき。
それは宣伝用の素材とかあらすじテンプレートを整備するとかじゃなくて、

「この作品に参加していて、この作品だったらぜひ見て欲しい」

と思わせるための話だよ。それはいくら制作が場を整えたからって、できる話じゃない。

そして何より、「他人の時間を拘束していること」という意識が希薄すぎるということ。
稽古期間が短かろうと長かろうと、時間を調整してそこに集まって作品を作り上げようとしているのに「台本が上がっていない」というのは作品を共同で作るという意識が脚本家だけが欠落しているということ。

稽古場を借りることだって無料じゃないけれど、それ以上に「時間をあけることだって無料じゃない」大人数になればなるほどスケジュール調整は困難になるし、その上で擦り合わせているにも関わらず無意味な時間を過ごさせられる。稽古にならない、着地点がわからないから自分の演技プランもできないし、小道具だってまだ増えるの?衣装はどうなるの? 稽古時間が無駄になる、この時間他の仕事を入れられてたらそれは稼ぎになったのに。

他人の時間を空費することは、重罪ですよ。


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