はたらく、ってなんなんだろう

「馬車馬のように働く」という言葉があるけれど、馬車とか馬とかが日常にあまりいないのでピンとこない。

「24時間戦えますか」というのは初出が1988年らしいので私が生まれた年なのだけれど、30年経っても24時間365日臨戦態勢でいろ、と考えている人たちが多いのはこの頃新人だった人たちが管理職になったり、親になってそういう姿を見せてきていたから考え方は伝播しているんだなと正直名ところ思う。いくら働き方改革といってもね。

昭和生まれで平成を独身で過ごしたまま令和にHey!Say!JUMPするわけですが、周りにはやはり出産、産休育休を経て復職している知り合いも世代的に多いんだけど、ものの見事に時短勤務は女、保育園の送り迎えはどちらも母親、育休を少しでも取ったという父親は本当に少数派である。そんな私達とは年も変わらず育ってきた環境もさほど変わらないであろうと思うのに、ステレオタイプな旧態依然としたやり方なのである。

産休はともかく育休で1週間も休めないのか、とかルーティーンの送り迎えはまだしも、保育園のお迎え訓練などのイベントとして決まってるものでさえ結局母親が行ってるんだもの。緊急事態があったら「いつも俺が迎えに行ってないし」で行かないつもりなんだろうか、甚だ疑問である。

それと同時に、時短勤務というのは出産したり、また介護などをすべき「特別な事情がある」人のためのもの、という位置付けなんだなと思った。この人たちが時短勤務できる裏には法制度どうこうじゃなくて、もともと日本の前提として、会社員はすべからく9時から5時まで月曜日から金曜日まで24時間365日会社のためにフルコミットして働くものであるというインパール作戦的な思想ありきなのである。

「育児介護関係なく」選択的時短勤務もできたらいいのに

まず正社員というものは9時から18時まで(もはや現代では17時までというのは幻想なんじゃないかしら)毎週5日月曜日から金曜日までは最低働いて、土曜日も出勤し、日曜日でも呼び出しがあれば馳せ参じろというのが当たり前で契約書以上のことを当然やって当たり前というのが大変不思議なんですけど。でもそういうのが当たり前だったからこそ、産休なんか取れずにどころか結婚した段階で即退職、女は家庭に入って夫のための家政婦となり奴隷として暮らしましたとさちゃんちゃん、なんて感じなんだと思う。私から見たらよ。そういう会社に対しての隷属的関係と、家庭に対しての隷属的関係になるわけですよ。そういうのをみて育つと、大人になってなんで男や子供に対しての奴隷にならなくちゃいけないのかと特にちゃんと教育受けてきて自立できる人間だと。

この社会人たるものフルコミットして当たり前という前提条件がそもそも歪んでるし更なる歪みも出てきて崩壊寸前なのに、小手先だけの育休促進ってなんなんだろう。そもそも、「なんで全員がフルコミットしか選択肢がないの?」というところに疑問を持つべきだと思う。スペシャルな事情がなかろうと、男だろうと女だろうと勤務形態をもっと選べたらいいのに。
でも残念ながら、時短正社員というシステムはあっても打ち出し方は「ママ向け転職サイト!」とここでも「育児は母親のもの」というジェンダーバイアスかかりまくりでウンザリ。
もしくはアルバイト扱いばっかりですね。ホンマなんなん。

生存戦略としての選択はもっと認められる時代になってほしいので、言い続けるしかないですね。やれやれ。

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