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夏の味わいに対する準備と心構え

 日のランチをどうしたものか、というのは以前から変わらず存在し続ける悩みで、今日もまた何をどこで食べようか決めかねていた。何でもいいかなと思いながらもあんまり粗末なものは避けたいし、だからといって昼食だけのために買い物に行って帰ってくるのも面倒なことこの上ない。迷い悩んだ末、ときどき利用する隣の市のあのお店に行くことにした。前回がGWゴールデンウイークだったからわりと久々だ。別にリベンジとかそういうサツバツとした意識があるわけでもなく気が向けばたまに利用するし、何よりこの季節にはこの季節にしかないメニューが存在するのだから味わわなければ損というものだろう。今回の主な目的は夏限定のそいつと決めて、さっそく車を走らせた。その季節限定メニューというのが『かき氷』である。

 目調の内装と調度による落ち着きある空間の、今や見慣れた店内で陣取るのは隅にあるお決まりのテーブル席だ。今日も今日とて連れ添いがいないものだから、二人掛けのテーブル席にまた一人で座る。さて食事には何を頼もう。メニュー表をパラパラとめくりながら、今日この店を訪れた目的を改めて思い返す。あくまでメインかき氷である。食事を兼ねてかき氷を食べに来たのではない、かき氷を兼ねて食事も済ませようと思って来たのだ。いつものノリで普通に食事してしまうと、その後のかき氷が食べきれなくなる恐れがある。それでは本末転倒ではないか。
 普段はプレート・メニューやハンバーガーなどを頼むところ、今日は控えめにミニサンドを選び、付け合わせにポテトも注文した。ポテトならかき氷を食べながらでも途中でつまみやすい。ただし控えめといってもそれは『この店の他の献立の量と比較して』のことで、小食な人ならミニサンドだけでも腹八分くらいになるだろうし、一体いくつのイモが使われているのか大いに気になるポテトバスケットだけでも小食な人なら以下略。そしてコーヒーはたっぷりサイズで1.5倍、この量は是非とも確保しておきたい。コーヒーを少しずつ味わい、時おりポテトを挟みながらミニサンドを平らげると、いよいよお待ちかねのかき氷の登場である。
 ちなみに頼んだのはレギュラーとミニの二つのサイズのうちの、ミニの方だ。しかしミニサイズだからといって侮ってはいけない。たっぷりのコーヒーが注がれた大きめのカップ、その径のさらに1.5倍はあろうかという皿に、同じくその大きめのカップ2つ分の高さに匹敵するほどの氷が山と盛られて提供される。他のお店などでも食べ慣れているならまだともかく、知らずに頼めば圧倒されること請け合いだ。それが証拠に、向かいのテーブルに着いているご家族を見てみるがいい、

「ミニ?」
「はい」
「……ミニ??
はい

 ばれてきたかき氷(ミニ)の大ボリューム度肝を抜かれ、店員さんに同じ質問二度も繰り返しているではないか。かき氷とはデザート、スイーツ、甘味に類するものであるが、トッピング次第でランチ代金より高くつく場合すらあるが故か、小食な人なら一食分を置き換えざるを得ないほどの量になっている。まさに机上の氷山であり、宇治金時のフレーバーによって木々を思わせるミドリ色まで獲得した、常識破りの0℃の大山たいざんなのである。純粋にかき氷だけを楽しむならトッピングなしでも全然アリ、とはいえせっかく時間を割いたのだ。かき氷を通して過ぎゆく夏の名残まで味わうのが風流というものではなかろうか? てことで山盛りの氷にさらにソフトクリームを乗せて輝く氷菓子on氷菓、たっぷりのシロップと乳固形分でカロリーも意外とガッツリ乗っている。では、いただきます。

 前に鎮座する凍れる大山を食すために与えられた武器は小型のスプーン一本のみ、その扱いには注意が必要だ。たとえば小さなジェラートを食べる時のように上から下へと動かしたのでは氷が崩れ落ちてしまう。また真正面から挑むのも分が悪い。見た目は豪快ボリューミーでもそこは口当たり軽やかなふわふわ氷に違いなく、下手な角度で先を突き刺せばこれもまた崩落の原因となってしまう。まずは氷山の頂に近い場所より攻略をスタートするとしよう。ヨコからスプーンをあてがい、絶妙な力加減をもって下から上へと氷を掬えばスプーンのくぼみ、『つぼ』とか『皿』などと呼ばれる部分におのずと収まってくれる。だがここで気を抜いてはいけない。繊細かつ流麗、それでいて素早い手と腕の連携によりできる限り氷が融ける前に口へと運ぶまでが一回のattackだ。うっかり落としてしまおうものならかき氷の持つ力学的エネルギーがテーブルや床に降り注ぐことになる。別にテーブルだろうが床だろうが動いたりはしないので落下したかき氷自体は仕事をしないが、店員さんの仕事が増えるのは本意ではない。食事中、また食事後に余計な汚さを残さないよう努めるのはそもそも食事のマナーであろう。

 やソフトクリームが液体へと変わる前に手早く、なおかつ抹茶シロップバニラの織り成す複雑にして濃厚な甘みをしっかり受け止めながら少しずつ味わう。スプーン捌きをマスターしたなら残る注意点はただ一つ、決して氷ばかりを食べ続けてはいけない、ということだ。どういうことか? ここでもう一度、向かいのテーブルのご家族を見てみよう。先ほどかき氷のデカさに驚嘆していた高齢のご婦人が、食べ進めながら「寒い」とこぼしているではないか。そう、冷たいものだけを食べ続けると体が冷えるのである。真夏とはいえ店内は空調が利いて快適な温度が保たれている、その中で氷を食べ続ければ寒さすら感じるのも当然の話で、これに耐えうるのは代謝が高く体温も高いものすごいマッチョくらいであろう。以前、うっかり大きさを知らないままレギュラーサイズを頼んでしまい、どんぶり飯みたいな器にモリモリ盛られた超ボリュームのかき氷に内心で頭を抱えたあの体験は一生忘れない。そしてミニがミニでないのは前述のとおり。だからこその大きいサイズのコーヒー、そしてポテトなのだ。温かさのある食べ物飲み物を合間合間に挟むことで体の冷えをできるだけ抑え、さらに舌の冷えで味を感じにくくなるのを防ぐねらいもある。何事も準備を怠ってはいけない。
 しかしここで予想外の問題が浮上する。かき氷を食べきるまでにコーヒーが足りなくなりそうだ。いちばん最初に運ばれてきたコーヒーは緩やかなペースながら減り続けていて、ホットを注文したもののすでに空調によって常温にまで冷めている。温度が下がれば口に含む回数もやや増え、まだいくらかのかき氷が残った状態ですでにカップの底が見え始めていた。ポテトはポテトでかなりお腹にたまるので、飲み物の代わりに食べるペースを上げるのはやや苦しい。どうしたものか。刹那の懊悩が脳裏を過ったとき、視界の端に透明なグラスが映った。水だ。テーブルの隅に追いやられたままのが残っている。熱いコーヒーが常温になったということは、冷水もまた常温にまで温まっているということ……!!

 うして、3つの品と水とを代わるがわる味わいながら無事完食し、十二分にお腹を満たして店を後にした。フツウのランチ代金に比べれば倍近い出費になったが、普段やらないレア体験、ひと夏のちょっとした思い出作りにちょっとした出費を惜しむのも野暮というものだろう。何事も楽しむときには全力を出さなければ楽しくない。おカネだって大人の力のひとつなのである。いやまあ、そんな大げさな額じゃないけど。
 ただなるべく注意していたものの、体はやはり冷えたようだ。店内にいる間に真夏の太陽光線で熱せられた灼熱の車内に身を置いても、しばらく汗をかかずにいたほどに。帰りに買い物に寄るつもりでいたのを取りやめ、真っ直ぐ帰宅の途につくことにした。家までは車で30分程度かかる。その30分のうちに、もしかしてお腹がゆるくなってしまっては大変だからだ……。
 結果としてはそれは杞憂に終わった。だがしかし、大ボリュームのかき氷にかけられた相応の量抹茶シロップ夜まで消化器官に居座り続けたことを、これも夏の思い出として記しておく。

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