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映画「トゥルー・ノース」が問う、どう生きるか?ということについて考えてみた

政治の話はしません。そのかわり「物語」を話します。

アメリカのトーク番組、「TED」の舞台で話す
1人の脱北者の青年のシーンから始まる。

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©2020 sumimasen


「トゥルー・ノース」

北朝鮮=ノース・コリアの収容所について綿密にリサーチをして10年かけて製作された本作。

英語では「トゥルー・ノース」とは「絶対的な北」要は道に迷ったときでも「北」だけはブレないので、自分の確固たる指針、というような意味でつかわれる。

本作は、その「北朝鮮」「確固たる指針」という2つの「トゥルー・ノース」の意味をどちらも取り込んで「生きるとは何か」というテーマに挑んでいる。

政治的な面で語られることが多いこのテーマを「いち家族の物語」として綴った本作は、北朝鮮の悲惨な現状を知ることができるとともに、その中で生きる人々と「生き方」について考えさせられる作品だ。

「トゥルー・ノース」の意味については

こちらのブログの説明が非常に良かったので引用させていただく。

地軸上の真北を意味する。船舶などが針路を定める時や、方向感覚を調整する時に不可欠な基準値だ。

今の世の中、誰もがトゥルーノースを見失っているように思う。進むべき方向。目指すべき到達点。従うべき指針。それらが分からなくなって、右往左往するばかり。そんな状態に陥っている組織や人々が、多くなっているように見える。


北朝鮮の収容所と言う最悪中の最悪な場所が舞台で、自分とは無縁の場所のように思えるが、本作が描く「いかに生きるか」という普遍的なテーマは、この世の地獄のような場所でも、今の世の中でも共通のテーマだ。

同じ人間なのに私腹を満たして人を人とも思わない横暴な上官、庶民はそれに振り回されると言う構図、そしてその私服を肥やす人にゴマをすって自分が成り上がろうとする人たち、収容所もこの世の中も人間界の構造はあまり変わっていない。

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©2020 sumimasen

歴史を学べば、支配者の歴史。

今の時代に強制労働や人を人とも思わない理不尽な収容所を作ることに関しての批判は多いが、それを批判している人たちだって数百年前は奴隷を使うのが当たり前だったのだから、おおっぴらに批判もできない気がする。

そもそも歴史を学べば、誰がどの国を支配した、という支配者の歴史ばかりで、庶民は常に庶民だ。身分を決められ、生まれたら一生変わらない最下層の身分で人生を終えた人、雇われ兵として歩兵で人生を終えた人、奴隷として劣悪な環境で人生を終えた人、ほとんどがそういう人たちなのだ。だがそういう人たちの命に焦点があたることはほとんどない。

そして私自身がどちら側の人間かというと、当然この焦点の当たらない側の人間だ。

支配者も庶民も一人の人間だ。なのになぜ人は人を支配し、人とも思わない扱いをしてしまうのだろう。

国レベルでなく、家庭内でも、学校内でも、小さな単位で起こっている。

結局人間とはそんなもん、なのかもしれない。

けれどそんなもん、な人間の中にも、優しさや愛が垣間見えるから人間はいとおしい。

その名もなき人々の存在はほぼ綴られない。だが、いつ、どんな時でも、その一人一人に人生があり、物語があり、ドラマがあったはずだ。

本作は収容所の厳しく悲惨な現実を描きつつも、この施設に入れられた一人一人の人間を描いている。

どんな立場の人も、もとは心ある人間だ。スター・ウォーズのストームトルーパーのごとくロボット兵士のように監視役を務める官僚だって、やはり人の心を持っている。さまざまな背景があり、その心を封じてその任務を全うしている。

理不尽に収容所に連れてこられた人たち。常に飢えているような状態で、強制的に過重労働をされている。ノルマが達成されなければ袋叩き、言い返しても袋叩き、はむかえば拷問、自殺すれば家族がひどい目に遭う。

自由が八方ふさがりの中で、なんとか少しでも多く食料をもらうため、密告でご近所さんを売る。飢えさせ、疲れさせ、思考能力を奪ったうえで他人同士で足の引っ張り合いをさせ、憎しみを増長させて人々を支配し、管理する典型的な例だ。

そんなひどい状況の中で生き抜くために主人公のヨハンも迷う。迷って間違いもおかすが、それでも「自分」に還ってくる。その強い意志に胸を打たれるし、「あなたはどう生きるのか?」と問われている気がする。

「今起こっていること」を描く勇気

この作品を作った勇気をまず賞賛したい。

ナチスドイツ、日本軍の問題など過去についての過ちについては割と多くの資料や映画があるが、「今この瞬間起こっていること」について生々しく描くことはとても勇気がいると思う。いつ消されるかもわからない。

わたしだってこの映画を観るのに、誰かスパイが観客の中にいて、これを見たら拉致されたらどうしよう、とか考えてしまうほど、意味不明なことが起こっているのである。

本作のすごさは、その重いテーマを掲げているにも関わらず、ヒューマンドラマとしてグイグイ引き込まれる秀逸なストーリーテリングだが、

それよりなにより、まずは、今この瞬間にも行われている北朝鮮の強制収容所の実態を、10年もかけて取材して映画と言うメディアに乗せて発信したこの勇気をまず讃えたい。

アウシュビッツのように「過去の失敗」として取り上げるのと訳が違う。その事実は国家として「ないもの」とされているのだから、下手なことを言ったら何をされるか分からない。

名前を出して表に出ること、インタビューされたものとして名前を出す事は身の危険も感じたことだろう。そのリスクを覚悟の上でこの映画を作ったことに敬意を表したい。

それほどまでに自分の身の危険を犯してまで伝えたいことがあると言うことだ。



凄惨なシーンを和らげる「あえての」粗いポリゴン


扱うテーマが重すぎるため、実写でやると直視できないようなものが出来上がってしまうし、PG12やR15など見られる年齢にも制限が出る。生々しさをあえて消し、できるだけ多くの人に観てもらいたいという監督の意図通り、

実写ではなく、この若干粗めのポリゴンアニメーションで、動きもあまり滑らかではなくすることで、少しリアル感がぼやかされる。さらに、本編が英語で上映されているため、あの独特の韓国のどぎつい感じを和らげてくれて、英語という世界共通語で上映することで、どの国の人にも観やすい作品になっている。

ポリゴンやキャラクターの動きは、ゲーム世代にも受け入れられやすいよう動きで、誰でも見やすいように仕上がっていると思う。

粗いポリゴンアニメーションだからといって、表情がないとか伝わってこないとかそういうことはなく、むしろ表情の作りこみは秀逸で、そこから感じる意志や信念を感じるし、劇中に何度も胸がいっぱいになり、涙が流れた。

残虐なシーンもちょっと粗いアニメで寓話的にし、観やすいように真実を届けたい、という監督の意図がそのまま大成功を収めているといえるだろう。


映画が、世界を変えるかもしれない



ここまで素晴らしい作品なのに、残念ながら、テーマがテーマだけに、おそらく大規模公開にこじつけられなかった諸々の事情があると思う。しかし、本作はできるだけ多くの人に見てもらいたい。そして作り手側にもその意図、いや意志、いや、信念どころか執念を感じる。


作者の思い、そしてその作品に注がれた実際の体験者の思い、そしてそこでそこに収容されている人々の思い、無念ながら、亡くなっていった人たちの思い、全てが私たちのバトンとして手渡されているような気がするし、その中で何とか一緒に行く人たちの希望に私たちも力を与えてもらえる作品だ。

とは言え、私も見に行く前はかなり迷った。まず内容がハードすぎるというか、重いことがわかっているので、見た後にドンヨリしすぎてしまうのではないかと思ったからだ。

とても見たい映画があっても拷問や殺戮のシーンが多いものは私は気持ち悪くなってしまうので、そして救いのないエンディングだと、せっかくの休日に映画に使った自分の時間が非常にどんより暗くなってしまうので、できれば希望が見える作品を見たい。

なので、見に行く前にかなり映画レビューをチェックしたが、ほとんどのレビューが希望を感じたとあり、ハードな内容ながら普遍的なテーマ、受け入れやすい描写と言う高評価だったので、見に行くことにした。

気分がどんよりしてしまうのではないかと思い、正直私も見に行くまで結構迷っていたのだが、そんなそれは杞憂に終わった。

地獄のような収容所の生活の中にも、人と人との交流があり、友情があり、優しさがある。そしてユーモアもある。人が人であることを忘れない限り、どんな場所でも「人」でいようとする限り、そこにドラマがある。

まさかこのような思いテーマの作品に、ホッコリするシーンがあるとは思わなかったが、監督の意図として、起こっていることの表面ではなく、そこにいる人の内面を取材し、それを描くようにしたということだ。その通り、収容所の中でも私たちに共通する普遍的なものが描かれているので、さまざまなエピソードに共感するし、深くストーリーに入り込んでしまう。

ただの社会派ドラマではなく、ヒューマンエンターテインメントの傑作に仕上げているところが見事だ。


希望のバトンをつなぐ

何が正しいかどうかではなく、
誰になりたいかを考えなさい。


劇中で主人公のヨハンの母が残した言葉だ。

自分の信念を貫く。けれど死んでは元も子もない。そのために生き抜く方法を探りながら貫くこと。

ヨハンも過酷すぎる毎日に、道を踏み外しそうになるが、それでも自分が誰になりたいか?を問い続けた結果、彼なりの「トゥルー・ノース」となる軸を見つける。彼のような強さを持てる人間は多くなくとも、そんな信念をもって生きていきたい、と思わされる。

そして、自分なりの「トゥルー・ノース」基盤となる信念は、今の社会にも必要なスキルであり、信念をもって生きていきたい、としっかり思った。


この、ハードな環境の中で、自分の信念を貫く。そしてやりきれるまでやって、自分一人でなしえない事は、他人に託す。と言う姿勢は私が以前紹介した漫画「チ。」にも似ている。


自分が叶えられなくても、誰かに託す。

そうやって希望のバトンをつないで、人類は進化してきたのではなかったか。

ひとりひとりの命が大事にされる日は来るのだろうか。

希望のバトンをつなぐべく、わたしはわたしの人生を全うしたい、と改めて思った。

本当に本当に、すべての人に、観てほしい。この映画は、本当に「世界を動かす」かもしれない。

トゥルー・ノース公式サイト







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