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人生ではじめて心が震えて涙があふれた日。

小学生の頃から歌うことが大好きだった。
いつだってわたしの側には音楽があった。

とはいえ音楽一家だったわけじゃない。
そんなかっこいいものじゃないけれど
みんな歌うことが大好きな一家だったのだ。

じいちゃんはラジカセでいつも演歌を聴く。

わたしが幼少期のころに
じいちゃんがよくお風呂や部屋のなかで
しょっちゅう歌っていて
とても覚えている曲がある。

大泉逸郎さんの「孫」

わたしを膝の上に乗せて
肩に置いた手をトントンとリズムに乗せながら
嬉しそうに歌ってくれたこともあった。

聴きすぎて今でもなんとなく歌詞が出てくるくらい
記憶に残るじいちゃんの大好きな曲。

きっとわたしたち孫が生まれたことが
とても嬉しかったんだろうなって
じいちゃんの少し重たいくらいの
あたたかな愛情を
今になってしみじみと感じる。

お風呂で歌うことが大好きな人は
我が家にもう一人いる。

それは父さん。

父さんに関してはお風呂だけじゃなく
車の中でも歌うし
音楽番組で流れる曲に合わせてよく歌う。

学生時代はギターを弾くのが趣味だった父さん。
(全く上手じゃなかったとご本人は言っていたけど)

ばあちゃんはそんな父さんの弾く曲の中で
好きだった曲があったのだそうだ。

グレープ「無縁坂」

さだまさしさんが
グレープというデュオを組んでいた頃の曲で
母の人生を切なく歌っている曲だ。

この曲はばあちゃんの葬儀でも流した。
葬儀場に向かう車内でそのエピソードを聞いてから
わたしの中でも大切な思い出の曲となった。

「孫」と「無縁坂」を聴くたびに
涙が出そうなくらい
懐かしくあたたかな気持ちになる。


ちなみにわたしは小さい頃から
涙腺がとっても緩いで有名だ。(どこで?)

”はじめてのおつかい”とか
”志村どうぶつ園”なんて
エピソードの冒頭で先を見越して
もう泣けるくらいの緩さなのだ。


人はどんな時に涙を流すものだろうか。

悲しいとき、悔しいとき、
嬉しいときも涙を流す。

そしてもう一つ
感情のどれにも当てはまらず
ただどうしようもなく心が震えて
気づいたら涙が溢れている
そんな時もあったりする。


わたしが人生ではじめてそれを経験したのは
小学生の頃のことだ。

わたしの通う小学校では
音楽の先生が率いる合唱団がある。

4年生くらいになると
希望すればその合唱団に入ることが
できるのだけれど
歌うことが大好きなわたしは
ずっとその合唱団に憧れていて
迷いなく入ることを選んだ。

音楽の先生はとても優しくて
でも怒るとすごく怖かったけれど
何より音楽を心から楽しみ愛する人だった。

わたしはそんな先生の率いる
合唱団が大好きだった。

そんな先生は
教師とべつにもう一つの顔を持っている。

それはアンデス地方の民族楽器で演奏を奏でる
バンドに属しているということ。

授業でもそんなアンデス楽器に触れる機会があり
実際に先生の属する民族楽器のバンドと
合唱団のコラボレーションをしたこともある。

ケーナ、サンポーニャ、チャンランゴ、
ボンボ、チャクチャス

どれも民族の知恵から生まれた楽器たち。
それらが奏でる音はどれも素敵で
不思議なエネルギーとパワーを感じた。

先生たちが奏でる音に
全身が震えて鳥肌が立ちながら
音楽に身を委ねながら手拍子をして足踏みをして
歌い続けていたのをいまだに鮮明に覚えている。

ワクワクするような
ビリビリ痺れるような感覚。

子供ながらに衝撃な出会いだった。


そんな先生からある日
一枚のチラシをいただいた。

それはショッピングモールで行われる
小さなコンサートのお知らせ。

わたしはすぐに「絶対に行きます!」と答えた。

生徒のなかで行くと言ったのはわたし一人。

行かない意味がわからなかった。
あんなに素敵な演奏だったのになんで?
と思っていた。

当日は母さんと二人でコンサートを見に行った。
田舎のショッピングモールだから
客席はちらほらと人がいる程度。

寂しいなと思うなかれ。
むしろそれで良いじゃないかとわたしは思う。

この魅力を知らないなんて損しているぞと
わたしは誇らしげな気持ちだった。

地下アイドルを応援する方の気持ちが
ちょっとわかる気がする・・・


先生が登場すると客席にいるわたしに気がつき
素敵な笑顔で手を振ってくれた。

たぶん人生ではじめてのファンサだ。

演奏が始まってすぐのとき
わたしは自分でもびっくりするような
不思議な感情になった。

コラボした時と同じような
ビリビリとした感覚とともに
涙がとめどなく溢れて止まらなくなったのだ。


”こんなに楽しいのに
なんで泣いているんだろう”


その時のわたしはこの感情の出所も
涙の理由の意味もわからなくて
隣にいた母もそれを見てびっくりしていた。

でもそれは今になってわかる。

わたしは学校で居場所がほとんどなかった。

以前の記事で何度もこの頃のことを
清算してきたので
もう詳しく話すつもりもないけれど。

それでも唯一楽しく過ごせる
わたしの心の拠り所が音楽だった。

先生たちの奏でるアンデス楽器の音色は
どこまでも自由で一つ一つの音が
楽しそうに弾んでいる。

それを味わえているこの時間が
楽しかったのは間違いないけれど
きっと同時に羨ましかったのだと思う。

音楽のチカラって本当にすごい。

聴くだけで目の前に世界が広がる。
感情を揺さぶられる。

そしてどこでも音楽は奏でられる。

手を叩くだけでビートは刻めるし
そこらへんの壁やテーブルさえあれば
それが楽器となって音を奏でる。

何も無いところから生まれた音に
身を委ねて楽しむことこそ音楽。

昔から脈々と受け継がれる人の娯楽。

わたしはあの日に聴いた
音楽の衝撃を忘れることはきっとない。

ビリビリと身体が痺れ
心が震えたあの日の涙を大切にしている。

純粋な感情を保ち続けるために
そしてわたしの自由のために。


由佳




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