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自分の弱さの開示によって気づいた、弱さを見せ合える関係性を築くために必要なこと。

2023年1月初旬。
世の中はあけましておめでとうムードの中、私は自分の調子が絶賛悪かった。いつもできていることが全然できない。

朝起きると動悸がして、仕事をしようとPCを開くと涙が出てくる。
どんどん呼吸が浅くなって、過呼吸に近い状態になる。
このままではまずい、なんとかしなければと焦るばかりで解決策が見つからない。

実は、こういう状態になるのは初めてではない。
初めてではないから、大丈夫だと思いつつ、やっぱりやってくると厄介に感じる。

「ああ、やっと最近出ないなあ、良くなってきたと思ったのに、またこの波がきたか…」

20代前半からの持病で、環境の変化が大きい(特に誰かが亡くなったり、仕事が大きく変わったり、対人関係のトラブル等)と自分が感じると、身体に反応が出る。

きっと誰しもが持っている、何らかの生きづらい特性と苦手なこと。
ある人は満員電車だろうし、ある人は人から怒鳴られること、ある人は業務過多。自分の調子を崩すことは、生きていれば誰だってある。

誰だってあると頭ではわかっていても、そのことを人に伝えられるかどうかは別だったりする。

自分のことは、自分で完結しなきゃいけない。

これは、特に個人事業主になってから強く私が思っていたこと。
仕事に対してもプライベートに関しても、何か大変なことがあっても、自分で考えて解決すること。特に独立してからは、その考えが根強かった。

人に寄りかかった瞬間、自分で立ち上がることができなくなりそうで、寄りかかる寸前で「うん、大丈夫!」と自分で立ち上がってしまう。

だけど、今回ばかりは誰かに寄りかからせてもらわないと、本当にまずいかも、と思う状態だった。

と同時に、寄りかかることのできる場所をできればたくさん持つことが大切だと思った。
それは、周りにいる人との関係性を大切にしたいと思う自分の想いからだった。

人にはそれぞれ、キャパシティがある。
私にもキャパシティがある。


「この人にしか自分の本音を話せない」という状態は互いの関係性を苦しく閉鎖的にしてしまう。と同時に「この人がいないと生きていけない」という状態も容易に作り出してしまう。
この状態は、長い目でみた時に持続可能になりにくいからこそ、いつも相談を聞いてもらっている人以外にも自分の話をそろそろしよう、頼らせてもらおう、と思ったタイミングだった。

どうにかこの状況を打破したいと必死に考えて、【ご相談】というタイトルでFacebookに自分の気持ちを正直に吐露してみることにした。
私は、個別で話を聞いて欲しいと直接連絡できるのはごく僅かな人にしかできない。それ位苦手なことだから、「話を聞くよ」と自分から連絡くれる人に頼らせてもらおうという気持ちでそのような投稿をすることにした。
正直、勇気はいったけれど、それ以上に自分の環境を変える勇気が必要だと私は思って「投稿する」ボタンを押した。

結果、自分の想像以上の、沢山の人たちが手を差し伸べてくれた。
そんな差し伸べてくれた手を、自分のペースで、しっかりと握り返させてもらった。

と同時にこんな言葉もあった。

「ゆかちゃんも人間なんだなってちょっと安心したよ」
「いつも仕事でテキパキしてるから、そんな時もあるんだなって知れて嬉しかった」

この時に、自分のできないことと弱さの開示は、自分の周りを安心させることにつながるのだと気づいた。

強そうに見えるあの人も、完璧に見える人も、苦手なことや、できないことや、落ち込むことがある。

きっと人は、そのことを知った時に、その相手との心の距離を近く感じるのだろう。

日頃からとても尊敬して指針にさせていただいている経営者の方に、その話をした時、その方からこんな言葉をいただいた。

「弱さは、人を救うよ。」

その言葉が、私はとても心に響いた。
なぜなら、その言葉を伝えてくれたその方は、とてもとても強い人だと私が思っていたから。

弱さは、人を救う。

だけど、この社会は、まだまだ「弱さ」を見せることへの抵抗や批判が多くあるような気がしている。

「それは、甘えているからだ」
「自分が辛くても、努力はしなきゃいけいない」
「もっと頑張らなきゃいけないんじゃないの?」
「そんなこと考えても、時間の無駄だよね」
「弱みを握られるから、弱さは人に見せるべきじゃない」

というような言葉もある。
もちろん、そういう考え方を否定したい訳ではなくて、こういう言葉が出る人の背景には、きっと「自分は弱音を吐かずに、頑張ってきた」「人に頼らずに生きてきた」「自分は努力してきた」「人に弱さを見せて、傷つけられた、利用された」などの経験が存在しているのかもしれない。

そして、私自身、いつでもどんな時でも弱さを開示すれば良いとも思っていない。

なぜなら、弱さが武器になり、その武器が、誰かを我慢させてしまうことにも繋がると考えているから。「弱さの強者論」という言葉で私は表現している。

私がしんどいんだから、あなたは我慢して話を聞いて。
私がしんどいんだから、あなたは我慢して受け入れて。

これは、弱さの開示ではなく、弱さの押し付けな気がしている。

そうではなくて、

私がしんどい状況だから、できる範囲であなたに手伝ってほしい。でも、できなかったら、断って大丈夫だからね。

というのが、私の考える弱さの開示。

その上で、もう少し弱さを見せ合える社会になってほしい、と切に願っている。

なぜ弱さを見せ合える組織が強いのか-すべての人が自己変革に取り組む「発達指向型組織」をつくる-という本がある。

その本の中にこんな一節がある。

誰もが本来の自分になることができ、弱点を認め合えるというのは、単に「人に優しい組織」であることを意味しません。むしろ、弱点の克服を目指しているからこそ、忌憚のない、ときには厳しいフィードバックがなされることがあります。「痛み」を伴ってでも成長するという強い欲求が必要なのです。

なぜ弱さを見せ合える組織が強いのか  ロバートキーガン著

この本の著者であるアメリカの発達心理学者のロバートキーガン氏は、組織で発達し、かつ好業績をあげている会社を探したところ、3社(*)しか見つからなかったと言っている。
※編注:DDOの3社は、デキュリオン・コーポレーション(エンターテイメントと不動産)、ネクスト・ジャンプ(ECサイトの運営)、ブリッジウォーター・アソシエーツ(金融会社)

そういう組織を、「発達指向型組織(DDO-Deliberately Developmental Organization)」と名付けている。

そしてキーガン氏は、組織の「発達」が、「ホーム」「エッジ」「グルーヴ」という3つの軸の相互作用から生まれると考えている。組織が発達するためには「弱さを見せ合えるかどうか」が大きく関与する、と組織開発の文脈でも出てきている。

成長を強いるのではなく、「発達」する状態を提供できる組織は変化に強い
サイボウズ 青野慶久×中土井僚

※1 人の発達の可能性に牽引された原則で動く
※2 組織としての目標と、メンバーの能力の発達を一体のものと考える
※3 社内の地位が高くても、組織のニーズに応えるために成長し、変化し続ける努力が免除されるわけではない
※4 弱さをさらけ出し、それを克服することを支え合うコミュニティがある
※5 メンバー全員が企業文化の形成に貢献し、いつでも仕事のやり方を改善するために積極的に役割を果たす
※6 痛みを味わう経験は成長のチャンスと位置付ける
※7 自分を守るための行動、それによって生まれる「ギャップ」に注意を払う


関係性であれ、組織であれ、弱さを見せ合うためにできること。

そのためにはまずは自分から、弱さを開示すること。
弱さを開示して、周りに助けてもらったら、感謝とともに今自分ができることをコツコツすること。(私の場合は、見たいと思った映画を観る、とか、1日1人だけ話す、とかそんなところから始めました。)


そして、誰かが弱さを見せてくれた時には、「よく言ってくれた!」と称賛と拍手を送ること。
そして、自分ができる範囲で、相手のためにできることをすること。

そんなことをまずは自分から繰り返していくことが、弱さを見せ合えることに繋がるのではと、今は思っている。















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