感覚と論理
両極端の性質を混在させてるな〜っていう自覚は
前々からあったけど、そこからもう一段踏み込んで
どの場面でどっちが出てくるかを日常生活から
振り返ってみると世界の見え方が更新される気がする
感覚と論理の狭間を行き来してる身としては
外との交流は感覚、自分の内部の処理は論理
なような感じがする
イイかも・イヤかもとかのセンサーは
めっちゃ感覚で拾ってきて
家で一人の時間になにが?どこが?とかを論理で
処理していく
それをまた感覚に返して外で活動する
みたいなサイクルが私の中に存在してる
感覚が過多になると処理が追いつかなくて疲れるし
外からの刺激がないと退屈に感じる
だから私にとっては感覚に入ってきてから
何かしらのレスポンスを返すまでの時間が
鍵になってくる
対面での会話は感覚が過多やから
外に居すぎると疲れるのかな?とか
やたらと一人の時間を大事にするのかな?とか
自分の行動パターンからもそう感じる
本とか音楽とか舞台とかはスピードを要する
レスポンスが必要じゃないところが共通してるし
電話対応とか仕事、対人面ではスピードが重視される
自分の凹凸にフィットする場を探していきたい
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