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<閑話休題>十字軍と聖地とは?

 日本の義務教育課程の西洋史では、十字軍はキリスト教ヨーロッパ(フランク=フランスを中心とした連合軍)が、キリスト教の聖地であるエルサレムを奪還すべく行った軍事遠征とされている。しかし、これは侵略されたイスラム教側からすれば、「奪還」という言葉は適当ではなく、単純に文明及び文化的に遅れていたヨーロッパ諸国が、文明及び文化に進んでいたイスラム諸国を乱暴に侵略したということになる。

 こうした立場が異なることによる別の見方は、最近になってからやっと日本人にも知られるようになってきたが、そもそも「聖地」という言葉の意味合いをよく吟味すれば、自ずとわかることであった。つまり、エルサレムとは、キリスト教及びイスラム教の聖地である以前にユダヤ教の聖地である。そのため、「聖地」という言葉から領有権を主張するのであれば、それはキリスト教にもイスラム教にも主張する権利はなく、ユダヤ教にのみ権利があることになる。

 しかし、ユダヤ教自身についても、古来継続してエルサレムを領有していたかといえば全くそうではなく、さらに、新バビロニアによるバビロン捕囚(紀元前597年から538年まで)の時期においては、ユダヤ教としての本尊(契約の箱)自体が(古代ユダヤ教では、神は「あってあるもの」とされていて、具体的な名前や姿はなかった。その後ヤハウェという名が付けられた一方、牡牛などの偶像を崇拝する地域もあったが、本尊とはならなかった。契約の箱の原初形態は、「神の座所」であった)、エルサレムからバビロニアに移動していたという歴史がある。

 そして、マックス・ウェバーによれば、バビロン捕囚以前の古代ユダヤ教は、現在のような形態に措定されておらず、極めて原始的な戦争のための寄り合い所帯の組織であったとしている。また皮肉なことに、バビロン捕囚によって、今日のユダヤ教としての原典(教義)が確立したと述べている。つまり、捕囚という強制的に隔離されることによって、ユダヤ人及びユダヤ教としての結束が強まったというのだ。

 また、エルサレムをユダヤ教の聖地とした理由は、ソロモン王が契約の箱を安置する神殿をエルサレムに建立したことに始まり、それまでは契約の箱が特定の場所(神殿)に安置されることはなく、ユダヤ民族の移動に従って仮屋を建てて安置していた。つまり、ソロモン王以前にユダヤ教の特定の聖地は存在していなかったことになる。また、バビロン捕囚を契機として、契約の箱がある場所=聖地という概念が成立していったと説明している(当然、捕囚先のバビロンを聖地にはできなかったが)。

 なお、もしもモーゼをユダヤ教の教祖的な中心人物とすれば、十戒を授けられたシナイ山(現エジプト領)や昇天したネポ山(現ヨルダン領)こそが聖地に相応しいこととなるが、この二か所はイスラム教徒からも預言者であるモーゼの聖地として祭られていることから、ユダヤ教のみの聖地にはなれない。また、契約の箱には、十戒(の石板?)が入っていたという意見もあるが、上述したように、「神の座所」として何もなかったというのが、ウェバーの推論である。

 以上のことからわかるのは、ユダヤ教にとって、エルサレム=聖地というのは一時的な見方であり、エルサレムという場所は絶対に固執すべき対象ではなかったということだ。また、キリスト教においては、ユダヤ教の一人の予言者であったイエスが昇天した場所としての理由だけであり、イエスの聖地という概念を考慮すれば、生誕したベルレヘムなどが聖地により相応しいとも言える。

 さらにイスラム教にとっても、本来の聖地はマホメッドが生誕したメッカが第一の場所なのであり、またメッカには、アラブ民族にとって重要な由緒来歴を持つカーバ神殿がある。イスラム教にとってエルサレムという場所は、マホメッドが昇天した地という理由で聖地となっているのであり、それはユダヤ教、キリスト教同様の後付けの理由ともみなせるだろう。

 一方、十字軍時代のエルサレムについて考察すれば、イスラム教徒が領有していたとはいえ、元々寛容を旨とするイスラム教徒は、高額の通行料などを徴収してはいたが、エルサレムへ巡礼するキリスト教徒を妨害・禁止することはなかった。その背景にはまた、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信徒たちを「経典の民」と称して、旧約聖書を共有する兄弟的な宗教と見なしていることから、お互いに排除する理由がなかったことも関係している。

 ところが、フランク=フランスを中心としたローマ・カソリック勢力は、文明及び文化に優り、また豊かな富を持つアラブ諸国に対して、貧しく劣った側として常に侵略及び奪略の意志を持っていた。そして、それが現実化したのが十字軍であり、「聖地奪還」というのは文字通りに単なる錦の御旗=お題目でしかなかった。すなわち十字軍とは、聖戦という名を借りた、貧者が富者を襲った侵略行為であったのだ。

 こうした歴史の大前提を知ることだけで、現在の中東問題はかなり理解できると思うが、残念ながら日本の義務教育及びマスメディアは、ヨーロッパ及びキリスト教至上主義に染まっているため、現実が見えないままでいる。また、実際に戦っている側も、こうした歴史を十分に理解しているとは言えないことも、解決を困難にしている背景にあると思う。

 実際、歴史を深く知ろうとしても、それには膨大な時間と努力を要するし、誰もが簡単に学べるものではない。基本文献となるマックス・ウェバーの『古代ユダヤ教』全二巻を熟読することすら、容易なことではない。それでも、ウェバーのような碩学の真摯な成果を無駄にしないように努めるのが、後世の人間に課せられた義務なのではないだろうか。(なお、『古代ユダヤ教』の<書評>を、後日掲載予定。)

『古代ユダヤ教』

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