<疑似旅行記>千鳥ヶ淵ー靖国神社ー銀座ライオン7丁目店
85歳の実母が、「冥途の土産に、千鳥ヶ淵と靖国神社の桜を見たい」ということで、昨20日、お天気が良いので急遽花見に行った。当初は23日の満開の頃を予定していたのだが、どうやら雨が降るとの予報なので、三分咲くらいだが、それでも出かけることにしたのだ。
実母とは錦糸町駅で待ち合わせた。これには理由があり、実は近々に保険証が使えなくなるというので、実母もついにマイナンバーカードを申請することになり、そのための証明写真(オジサンの私は「スピード写真」と言ってしまう)を撮るためだった。
錦糸町駅近くには、ちょうど良い証明写真を撮るボックスがあるので、そこで撮影したのだが、私も初めて(または30年ぶり?)のため、タッチパネル式の操作にけっこう戸惑った。これでは、スマホもPCも使えない実母一人では絶対にできないだろう。それでも、昔よりはるかに良い写真が撮れることに進歩を実感する。
錦糸町から地下鉄半蔵門線に乗っていく。けっこう混雑している。当初は半蔵門で降りる予定だったが、九段下の方がより近いことに気づき、一つ手前の九段下で降りる。半蔵門線の車内もそうだったが、明らかに観光客とわかる外国人の姿が多い。そして、九段下で降りた後に地上に出てみると、多くの外国人が、まだ桜の美しさが十分とは言えない内堀の風景を撮影している。私には見慣れた皇居の風景だが、石垣とお堀というだけでも、たしかに異国情緒は味わえる景色だと、改めて気づいた。
「桜はまだ早かったかな?」などと話しつつ、千鳥ヶ淵にゆっくりと向かう。千鳥ヶ淵に着くと、すでに花見客用の柵などが設置され、警備の人も配置されている。その中をさらに歩いていくと、良い天気の下に可憐な桜が咲いているのが見えた。人は多くなく、かといって少ないわけでもなく、これぐらいなら足が悪く杖を使う実母でも花見が余裕でできる。
やっぱり、日本の春は素晴らしい。桜の花も最高だ。実母が「綺麗だねえ!」というので、私は「この桜の花びらひとつひとつは、日本のために命を捧げてくれた英霊たちの姿だから、より一層綺麗なんだよ」と説明する。そう、まさに大和魂と桜は強い絆で結ばれているのだから。
そんなことを話しているうちに、桜の木をふと見たら、花見客は絶対に気にしない、また気づかないだろうというものを見つけた。
キノコだ。桜の木にこんな立派なキノコが寄生しているとは知らなかった。桜の花びらが英霊なら、このキノコはなんだろう。八百神の一つまたは桜の木の精霊だろうか?
他にも春を満喫させる花々が咲いていた。桜以外でも楽しませてもらえるのは、良くできているし、観光客にはとても嬉しい。
このまま千鳥ヶ淵をずっと歩いていても疲れるので、来た道を戻り靖国神社に向かう。本当は一番外の鳥居から入るべきなのだが、そこは実母に免じてもらって、大村益次郎(村田蔵六。意外と知らない人が多いが、彼は長州藩出身の軍人で、近代日本陸軍の創設者)の銅像近くから入る。
すると、ちょうどよい休憩所があったので、座ろうと思ったがどこも占拠されていた。そこで仕方なく奥に目をやると、細長い椅子がひとつだけ空いていた。さっそく実母、家内、私の三人で座ったら、なんと目の前にビールとソーセージの屋台がある。もうこれはたまらん!というわけで、早速ビールとソーセージを買って、飲み・食べる。靖国神社の桜を見ながらのビールは、さすがに旨い。
ビールで「ガソリン補給」した私たちは、本来の目的である参拝に向かう。ここも外国人観光客の姿が多く目に付くが、平日でもあり酷い混雑ではない。また、本殿で参拝する人たちの列もできていたが、せいぜい3~4人を待つぐらいなので、ほどなく順番が来た。
しかし、実に良い天気だ。安らかに眠る英霊たちも、さぞこの日本の平和を喜んでいることだろう。そして、東京の桜開花を確認するための靖国神社の桜は、満開に近い美しさを見せている。ほんとうにありがとう。
その後、ランチでもと思って帰路に向かったところ、門の両側に記念撮影を撮る店が出ていた。それを見た実母が「ここで写真を撮りたい!」というので、さっそく桜を背景に撮ってもらった。さすがにプロの人が撮るから、それなりに綺麗な写真になった。ここではお見せできないが、実母は早世した夫(父)の仏壇に飾ると喜んでいた。
靖国神社のなだらかな坂道を下って、九段下駅に着く。そこから東西線に乗り、日本橋で銀座線に乗り換えて銀座で降りた。乗り換え時に、杖をついた実母は階段で苦労していたが、幸いにエスカレーターやエレベーターが多くあるので、助かっている。
銀座に着いて、4丁目交差点に出る。実母は蕎麦または和食が良いと言っていたが、ちょうど近くにあるライオンでビールを飲むのが気楽だと思い、そこに向かう。横断歩道を渡って4丁目のライオンに着いたとき、そういえばということで、7丁目にある本家ライオンの方が良いと実母が言いだして、そのまま観光客が多い通りを歩いていく。
少し前までは、銀座には中国人や韓国人観光客が多くいたが、見た目はあまり日本人と変わらなかったので違和感がなかった。しかし今は、欧米系の人たちの姿が多くなっている。まるで、シンガポールのオーチャードストリートを歩いているような気分になってしまった。そのうちに、春節のドラゴンダンスの音が聞こえだすかもしれない。
まもなくライオン7丁目店に着く。先客にスカーフを被ったマレーシアまたはインドネシアと思われるベビーカーを押した家族連れが、席の案内を待っていた。「イスラムがビアホール?」と思ったが、さすがに彼らはランチのみということで、二階席へ向かうエレベーターに案内されていった。
一方の我々は、無宗教と言うと語弊があるので、一応仏教徒であり、また日本神道の氏子でもあるのだが、酒を飲まずに毎日を暮らせるか?ということで、伝統と歴史のあるライオンの一階席(ビアホール)に坐る。
実母が周囲の美しいタイル画に感心し、また古い建物の作りを喜んでいたので、「ここは東京大空襲で焼け残ったため、終戦後は進駐軍の高級将校用クラブに使われていた」、「ダンスホールでは、英語を使える日本人女性が相手をしていて、米軍将校や兵士と結婚した人もいる」と、私が古壁に浸み込んだビアーホールの歴史の一部を説明した。
さすがに老舗だけあって生ビールの注ぎ方が上手いので、まもなく出てきたビールは、極上に旨かった。喉が鳴るとはこのことだろう。また、春の暖かい陽気と冷えたビールは良く合うのだ。愉快、愉快。
ふと周囲を見ると欧米人の客が多くいる。みな、楽しそうに、幸せそうにビールを飲んでいる。さらに、私たちの席が通路沿いだったこともあり、後から入ってくる欧米人観光客の顔も良く見える。彼らの顔もまた、とても幸せそうに見える。たぶん、ビールを飲んだ後はもっと幸せな顔になるだろう。
ここは、そんなビアホールでもあるのだ。
たらふくビールを飲み、揚げ物三昧のつまみを食べた後、「お茶でも」ということで、近くの文明堂銀座店カフェに入る。ビルの一角にあるオープンスペースの店だが、ここのステンドグラスが立派だ。
中央の金色のペンダントを下げている馬上の人物は、イングランドの酒色で悪名高きヘンリー8世で、左手間に黄色と緑の服を着た道化師がいることから、何かの祝宴だと思われる。中央にいるヘンリー8世に面会している騎士はよくわからない。また、左奥にいる赤い服を着た女性は、ヘンリー8世の妻にされた後に処刑された女中のアン・ブーリン(後のエリザベス1世の母)かも知れない。しかし、敢えて調べる気はないが、もし正確な内容がわかったら、このカフェに相応しくない気持ちになるかも知れない。
・・・という蘊蓄はこれぐらいにして、メニューを見た実母と家内は、「銀座価格!」と驚いていたが、これは仕方ない。銀座で飲食するとはそういうことなのだ。実母は日本茶、家内はコーヒーを頼んだが、私は日本茶やコーヒーより安い(まるでルーマニアにいたときのようだ)ビールを頼むことにした。私には、やはりビールしかないのである。
さすが銀座価格の文明堂カフェ。ビールグラスも、たぶん薩摩切子だと思う美麗なグラスに注がれている。さっきまでのライオンのビールグラスも味とともに素晴らしかったが、こういうグラスの美しさもまた捨てがたい。そして、やはりビールは旨い。
さらに、年寄りにはなんとも懐かしい、この文明堂のCMがプリントされたコースター。「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」と、勝手に頭の中で歌がリフレインしてしまう。そういえば、妹がこのクマと同じぬいぐるみを持っていて、とても可愛がっていたな。
昼前から始まった、実母との花見というこの疑似東京観光は、これで幕を下ろすことにした。まだ日は高いが、やっぱり三月だ。夕方には気温が下がってきている。実母がいつも「お前の誕生日が来ると暖かくなるねえ」と言っていたが、私の誕生日が過ぎ、気候も暖かくなり、桜も咲いた。良い季節でもある。
実母は、「私はまだまだ生きるよ!」と宣言していたが、私は「もう十分生きた気がする」とつぶやく。家内は「こんなことばかり言うんですよ」と嘆くが、私が現生でやるべき「ご奉公」は既に終わっていると思う。そして憂き世はやっぱり憂き世でしかないと、最近実感している。もしかするとこれが、「大悟」への道筋かも知れないが。
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