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新刊『プロフェッショナルの営業鉄則 何が営業を殺すのか』(ロバート・フリッツ著)「訳者解説」無料公開

訳者解説

本書はアメリカ在住のベストセラー作家ロバート・フリッツが、日本の読者のために書き下ろした営業の指南書です。

ロバート・フリッツは、無数の音楽作品を創出するプロの作曲家でありながら、同時に国内外の企業の経営コンサルタントとして40年以上にわたって活躍し、近年は映画監督・脚本家としてたくさんの映画作品を世に送り出し、200もの映画賞を獲得しています。

ロバートは、自身がアーティストとして実践している基本原則を広範囲に発展させ、アートの方法がビジネスを変革することを身をもって示してきました。営業というビジネス活動への本書のアプローチは、すでに数多くの営業のプロをトレーニングし、営業を根本的に変えてしまうという効果が実証されています。

本書はその方法が初めて活字になって公開されたものです。

読者の中にはロバート・フリッツを他の著作などから知っていて、彼の画期的で斬新なアプローチに馴染みがある人も少なくないでしょう。一方で、ロバートは日本においてはあまり知られておらず、本書が初めてだという人もいると思います。

そこで、他に類を見ないロバートの方法を、このスペースを借りて簡単に紹介してみようと思います。

1.創造プロセス

第一の特徴は、創造プロセスです。創造プロセスは、ロバートが言うところの「人類の歴史上最も成功した達成のプロセス」であり、古今東西のあらゆるアーティストたちが使っている方法です。

ところが、アーティストたちのほとんどは自分の専門領域に限って創造プロセスを使っており、まさかその方法がビジネスや営業に転用できるとは夢にも思っていないのです。

ロバートの最初の発見は、アート領域の常識とも言える創造プロセスを、ビジネスやマネジメント、仕事や人生に活用できる、ということでした。

創造プロセスを一般向けに教え始めたロバートの元に学びに来た生徒のひとりに、マサチューセッツ工科大学のピーター・センゲがいました。ピーター・センゲは、のちにシステム思考と呼ばれる体系をまとめた著書を発表します(『学習する組織 システム思考で未来を創造する』(英治出版 2011年)。その体系の中核を占める考え方のひとつがロバートの教えた創造プロセスだったのです。

アーティストは、その分野や専門性にかかわらず、自分の作品を創り出したいという衝動を持ち、その創作意欲こそがプロセスの中心にあります。それと同時に、創作ビジョンから見た今の現実を正確に把握することが不可欠です。

創作ビジョンが描かれ、それに対する今の現実が認識されると、この両者のあいだにテンション(緊張)が生まれます。ロバートは、この緊張こそが作品を生み出す駆動力になるというのです。

将来ビジョンばかりがどんなに詳細に描かれても、現実を認識することなしに創作は前に進みません。宙に浮いた風船のようなもので、地に足のついた創作にならないのです。もちろん、ビジョンに遙かに届かない現実ばかりを見ていても、創り出したい作品への衝動がなければ、創作は成り立ちません。このビジョンと現実の両方が絶対的に必要なのです。

こうして形容されれば当たり前にさえ思えるシンプルな原則です。しかし世間ではほとんど語られることがありません。それはなぜでしょうか。

アート作品を創作するアーティストにとってはあまりにも当然で、一般化して語ろうとする動機が生まれないのです。一方、アーティストの方法を研究するだけで実践していない研究者にとっては、アーティストが実際に何を考えて作品を作っているのかがわからないのです。

創造プロセスがあらゆる領域で活用できる方法として紹介されるためには、実践者であり、なおかつ教育家でもあったロバート・フリッツの洞察が必要だったのではないでしょうか。

2.構造力学

創造プロセスが成果を生み出すパワーは、その基本構造から生じる。これがロバートの重要な発見でした。

なぜこれが重要な発見なのか、少し説明しましょう。

弓に矢をつがえたとき、弓の張力テンションが矢を的に向かって飛ばすパワーになります。これが基本的な構造です。的があって、それが向かう先を決定する。矢があって、それが今いる場所になる。弓を張ることによって矢が的に向かう構造が形成される。この構造のことを緊張構造と呼びます。

先に紹介したピーター・センゲの著書では、この緊張構造がクリエイティブテンションという別の用語で紹介されています。そのエッセンスは同じものです。

的に向かって矢をつがえて弓を張らなかったら、緊張テンションは生じません。テンションがなければパワーが生まれません。十分な緊張があって初めて矢が的に向かい、正確に射られれば的中することになります。

あらゆるアート作品は、緊張構造によって創造されます。優れたアート作品は、優れた緊張構造によって創造されます。優れた営業もまた、優れた緊張構造によって創造されるのです。

優れた緊張構造が成立するためには的が見えていなければならないし、手元がしっかりしていなければならない。営業の目標は売り上げを上げることではなく、顧客の目標の実現であり、それを可能にする売り物を持っているかどうかがポイントです。

さて、創造プロセスを一般向けに教え始めたロバートが最初に驚いたことは、企業に勤めるビジネスパーソンたちを含む一般の人たちの現実把握能力でした。それまで音楽業界でずっと仕事をしてきたロバートは、企業の人たちがもっと優れた仕事をしているかと思いきや、創造プロセスの初歩も理解しておらず、自滅的な行動を繰り返していることに驚愕しました。アーティストの基礎訓練である現実把握が、一般には共有されていない規律だったのです。

本書の教える営業アプローチの根幹にあるのが「顧客の目標と売り物のマッチ」です。顧客の目標を実現するために、売り物が役立つのかどうか、もし役立つなら営業の成立する可能性があり、もし役立たないのなら商談はそこで終わります。

この判断はデジタルなもので、イエスかノーかで決定する必要があります。

アートの方法は、アートを実践したことのない一般の人が考えるのとは違って、極めて具体的で論理的なものです。本書にも詳しく解説してあります。もし音楽の現場でピッチが狂っていたら、それは事実としてピッチが狂っているのであって、そこに曖昧さや主観の入り込む隙はないのです。

もちろん、音の高低と違って、売り物が顧客目標にマッチしているかどうかにはもっと微妙で判定の難しい定性的要素も含まれています。しかしその場合においても、いや、そういう場合においてこそ、客観的な判断が求められるというのです。

成果を生み出す緊張構造に対して、成果を生み出さない複雑な構造も存在します。それをロバートは葛藤構造と呼んでいます。本書の中では「あなたは売り物ではない」という形式で登場します。

これもどういうことか説明しましょう。

多くのセールス現場で営業担当者が「売れない」ことを「自分が否定されている」かのように受け取っています。これは大きな間違いです。

もし売り物が顧客目標にマッチしないのであれば、売れないのが当然であり、売らないことが理にかなっています。顧客目標を実現しないものを売りつけたりしたら、それはとりもなおさず顧客の生涯価値を損ねるものになります。売り物が顧客目標を実現するかどうかは客観的な判断です。営業担当者が否定されているわけではありません。

ところが顧客が買わないことを自分が拒絶されたかのように受け取ってしまう営業担当者は、営業のたびに無用なストレスやプレッシャーを感じてしまいます。そしてどうにかして顧客にイエスと言ってもらうために意識的に、または無意識に顧客を誘導しようとし始めます。それは顧客を警戒させ、営業の実現を妨げる大きな要因になります。

営業のプロセスに自分自身のアイデンティティを紛れ込ませないことが大切です。アイデンティティが紛れ込むと、本来あるべき緊張構造ではなく、目標の反対に揺り戻す葛藤構造になります。

優れた作品を創造するアーティストは、優れた作品のビジョンと現実に意識を傾けています。そこにアイデンティティの紛れ込む隙はありません。アイデンティティが紛れ込んだ途端に創造プロセスは歪み、創作が妨げられます。全く同じように、優れた営業は顧客目標の実現と自分の売り物に意識を傾けています。営業担当者のアイデンティティが紛れ込む隙はないのです。

3.真実

ロバートが教える創造プロセスと構造力学において必須の要素、それが真実です。

真実から目を背けないこと。決してごまかさないこと。知らないことは知らない、知っていることは知っている、必要な事実を隠さず、飾らず、いつわらない。

これは世俗の道徳から説かれる説教ではありません。アーティストがアート作品を創造するうえで必要不可欠な原則なのです。

音楽を演奏する人が、少し音程がずれているが誰も気づかないから放っておこう、などと考えることは決してありません。プロのアーティストが真実を大切にするのは、自分の創り出したい作品を創り出すうえで絶対にごまかせない原則だからです。

ときには嘘やごまかしが横行しかねない営業の世界において、最も強力な原則がこの真実です。

この点においてもロバートの教えは徹底しています。営業の目標は売り上げを上げることではなく、顧客の生涯価値を高めることです。もし目先の売り上げのために真実をごまかすようなことがあれば信頼は損なわれ、顧客の生涯価値は失われます。

本書の方法を学んだ営業のプロフェッショナルたちが口をそろえて証言するのは、営業がいかに創造的で、生産的で、豊かな仕事かという驚きです。真実の原則を曲げず、自分の売り物が顧客の目標を実現するプロセスに参加することは、人間が他の人間の喜びを助ける人間的な営みです。

アーティストが自分の作品を創り出す喜びと同じ喜びを、営業の領域で活動するプロフェッショナルの読者に味わってもらい、成果が成果を生み、信頼が信頼を生み、成功すれば成功するほどもっと成功する創造プロセスをビジネスに活かしてもらえたら、本書の出版は大いなる成功です。

2022年8月4日

あずさ30号車内にて

田村洋一



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