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父がある日突然いなくなったこと、

そこまで人に話す機会があったわけでは無いけれど

たまに親しくなった人に話すと

「辛かったね」「大変だったね」と言われることもあった。


その時は確かにそれなりに大変だったのかもしれない。

子どもの私より、母がいちばん大変だったとは思う。

だけど、何が大変かなんて人それぞれ違う。

大変だと思うかどうかなんて自分の心が決めていると思うから、ある側面から見れば「大変だった」し、

別の側面から見たら「そうでもなかった」

自分の心は自分が決めるしかない。



確かに声を殺して何度も枕を濡らした。

母に心配かけないようにと思って

泣いているところは見られないようにこっそり泣いた。

すごく人の目を気にする子だったと思う。

そして甘えられず頑張りすぎる子だったと思う。


それでも毎日朝は来て

それなりに過ぎていく。

面白いテレビを見て笑ったり、冗談を言って笑ったり、

おいしいものを食べて喜んだり。楽しいことも普通にいっぱいあったと思う。



だから私に起こったことなんて特別なことじゃなくて普通のことなんだと思う。


だだ、あれから30年経って思うことは

確かにこの出来事は私にとっては特別で、人生最大のギフトだったということ。

父がいなくなった直後に、母が誰かから教えてもらったという言葉

「人生には、乗り越えられないことは起こらない。」

その言葉を繰り返しながらずっと泣いていた母。


母にとっては、今でももしかしたらまだ、

昇華できていない想いはあると思うけど、

私にとっては、人生最大のギフトでありチャンスだった。


私はきっと産まれる前に、こんな人生がいいという青写真を持って産まれてきたんだと思う。


恨む気持ち、頑張り屋になる気持ち、人の目を気にする気持ち、劣等感、自己肯定感が低い自分、挑戦できない自分、自己肯定感をあげる為にいろいろ格闘した日々、 

そういうことを経て

心から自分を大好きになることができた。


恨み辛みからはじまって、

感謝して

赦しの気持ちを経て

「普通」と思えるまで。


贈り物を活かせるようになるまで何十年もかかった。


こんな心の旅をするには

まずはじめに父との出来事がなければ始まらなかったと思うから


薄っぺらい言葉になるけど、父に本当に感謝している。



そういえば、もうお父さんが帰ってこないなと覚悟した日、

母と弟と3人で海までドライブしたなぁ。

そういう時ってなんか海にいくもんなんですかねw 



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