小4から不登校で公務員になった話①「いい子」のエネルギー切れ
こんにちは、結(ゆい)です。
このnoteでは、長男の不登校をきっかけに、ホームスクーリングという育ち方を選択した我が家のアレコレをお伝えしている…のですが今回は、私自身が不登校だった時のことを振り返って綴っていきたいと思います。
私が不登校になったのは20年以上も前の話ですが、当時の私が感じた孤独感や将来への不安感は、いま学校との距離感に悩んでいる人たちとそう変わらないのではないかと考えています。
少しでも多くの人に届いてほしいので、やや検索を意識したタイトルになっていますが、ご了承ください。
無意識に「いい子でいなければ」と思っていた
私は両親と年の離れた姉のいる4人家族で育ちました。
小学校では友だちも多く、先生からのウケもいい「とてもいい子」です。
ですがそれは元からの性格ではありません。入学前後に聴いた「友達100人できるかな♪」の歌にあるような「元気で明るいいい子」でいなければ、と考え常に気を張っていたのです。
そうして、どこにもいるはずのない「理想の子ども」を目指し続け、自分でも気づかないうちにエネルギー切れを起こしていきました。
女の子同士の悪口が苦痛
さらに、小学校3年生のころから、仲のいい女の子同士で「とくに理由もなくおたがいの陰口を言い合う」という現象が起こり始めました。
今考えればプレ思春期の女子によくある現象だったのでしょうが、当時の私にそんな知識もなく、なぜ友達だったはずの相手を急に悪く言い出すのか、まったく理解できませんでした。
一緒になって陰口を言ってはみたものの、ドロッとした黒いものに飲み込まれるような後味の悪さを感じました。さらに「私がいないときには、こうして私の悪口を言われているんだろうな」と想像し、とても虚しい気持ちになったのです。
頑張りすぎてエネルギー切れを起こしたこと、
女の子同士の陰口が嫌になったこと。
どちらも、まわりから見たらささいなきっかけだとは思いますが、当時の私にとっては大きなダメージとなり、小学校4年生のころには毎朝お腹が痛くなり学校を休み始めました。
不登校を受け入れてくれた両親
話は変わりますが、私が4~5歳の頃、当時中学生だった姉が不登校になりました。私は小さかったので全く覚えていませんが、姉と両親は不登校と向き合う中で随分と悩み、苦しんだようです。
結果だけお伝えしますと、両親が姉の不登校をそのまま受け入れたことで、姉は自分の人生を歩む気力を取り戻しました。
そして現在、姉は配偶者との間に3人の子どもを授かり、おおむね平穏に暮らしています。
両親は、姉の時の経験から「無理に登校させてもいいことはひとつもない」と実感していたので、私が不登校になったとき、特に理由を聞かずにしっかり休ませてくれました。
小4で不登校になった私にとって、家の中が世界のすべてであり、両親が数少ない外部とのつながりになります。
その「世界」であり「外部とのつながり」である両親が私のことを否定せずにいくれたお陰で、安心して心と体を休めることができました。
私が一番つらかった時、何も聞かずにそばにいて、私をそのまま受け入れてくれた両親にはとても感謝しています。
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「不登校」や「ホームスクーリング」など様々なテーマで連載をしているため、全体をまとめたページを作っています。
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