小4から不登校で公務員になった話③家族からの感謝が自信につながる
こんにちは、結(ゆい)です。
このnoteでは、長男の不登校をきっかけに、ホームスクーリングという育ち方を選択した我が家のアレコレをお伝えしています。
このシリーズは、不登校を経て社会人になっている私のことを振り返っています。初回からお読みいただけると嬉しいです。
初回 小4から不登校で公務員になった話①「いい子」のエネルギー切れ
今回は、小4で不登校になった私が、少しずつ自信を取り戻していくまでをお伝えします。
ヒマすぎて家事をする
私の両親は共働きだったので、日中家に居ません。
そのため、私は気が向いたときに軽くお掃除をしたり、水遊びがてら洗面所を洗ったりしました。
すると母は、その仕上げがどんなに粗くても、洗面所が水浸しで終わっていても「ありがとう、時間が無くて掃除がしきれなかったから嬉しい!」と言ってくれました。
母は、職場と家が近かったこともあり、昼休みの時間だけ私の様子を見に帰宅してくれていました。私は、そんな忙しい母のために昼食を作ったりもしました。
ホットケーキや袋ラーメンなど、本当に簡単なメニューばかりでしたが、母と二人で食卓を囲んで、「結ちゃんの作ってくれる料理はおいしいね!午後からもお仕事頑張れるよー」と言ってもらえることが本当に嬉しかったのです。
父とは二人で一緒にスーパーへ買い出しに行きました。荷物持ちを手伝うという名目ですが、ついでにお菓子をねだるのが目的です。
そうして買ってきた食材で父がカレーを作るとき、隣で野菜の皮むきなど簡単なお手伝いをします。すると父は「いやぁー結さんが一緒にやってくれると本当に助かるなぁ!」と心から喜んでくれたのです。
家族からの感謝が救いになった
不登校中の私は基本的に家でダラダラしていましたが、心の中にはずっと「学校に行けていない私は親に迷惑をかけ、心配させてしまっている」という意識がありました。
そんな劣等感に押しつぶされそうなっても、ちょっとした家事を通して両親に感謝されることで「私も役に立っている、居場所があるんだ」と感じられ、少しずつ自信を取り戻していきました。
気持ちが外に向く
そして、小6になったころ、外の世界とつながってみる気持ちになれたのです。きっかけは、母が自分の体力づくりのためにと始めたジャズダンススタジオについて行ったことからでした。
小4で不登校になって以来、約2年間まともに運動をしていなかった私はまったく踊れませんでしたし、筋肉痛で体が悲鳴を上げました。
それでも、鏡の前に立ってリズムに合わせて体を動かすことがとても楽しく感じられ、次第に夢中になっていきました。
地域のお祭りなど、小規模なイベントで舞台に立たせてもらうなどして、少しずつ少しずつ出来ることが増えていき、さらに自信につながりました。
そうして、中学を目前にしたとき「もしかしたら、普通の子どもみたいに学校に通えるかもしれない」と考えて、登校を再開したのです。
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今回は、不登校で劣等感まみれになっていた私が、少しずつ自信を取り戻すまでについてお伝えしました。
次回は、意を決して小6の終盤から登校をし始めたときのことをお伝えします。
↓次回↓
働いている母のために昼食を作っていた私。
いまは、娘が私のために料理を作ってくれています。
↓こちら↓
「不登校」や「ホームスクーリング」など様々なテーマで連載をしているため、全体をまとめたページを作っています。
↓こちら↓
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