『開国』か『鎖国』か。

最近、「シュリーマン旅行記」

という本を読んだ。

世界的にも有名な考古学者であり、

冒険家だ。

そのシュリーマンは、

江戸時代から明治に変わる

くらいに江戸、横浜、多摩を

訪れている。

開国したばかりの日本だ。

その本の中では、

まだ鎖国文化の残る日本を

詳しく描いている。

混浴が当たり前であったり、

寺に風俗の絵が飾られている。

また、家には家具一つないと

いう質素さ。

今では考えられない光景だ。

日本は、開国したことにより

莫大な資産を生み一気に

先進国となった。

かたや、鎖国によって

日本が育んだ独自の文化は

もはや稀だ。

開国と鎖国。

得るものあれば、失うものあり。

この開国と鎖国。

自分自身の頭の中でも

照らし合わすことができる

のではなかろうか。

人の言うことは聞かない。

内省的に過ごす。

これによって、思考が

鎖国化される。

独自の文化が育まれる。

開国によって、

充分に暮らせる世の中に

なったのではないかと思う。

ならば、もう開国を続ける

必要はないと思う。

国の鎖国はきびしいだろう。

誰にもそんな力はない。

ならいっそのこと、

個人で鎖国を行い、

個人で独自の文化、文明を

築いていくのも

これからの時代、

必要になってくるんでは

ないだろうか。




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