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岐阜特例子会社裁判控訴審で読み上げられたこと

2月8日、岐阜県内の特例子会社における高次脳機能障害の元社員への合理的配慮をめぐる裁判の控訴審が、名古屋高等裁判所で始まった。

第一回口頭弁論

第一回口頭弁論では、原告側弁護団の1人の仲松大樹弁護士により、控訴理由書の要旨が読み上げられた。原告側から新たな証拠として、「ブラウスの購入はやはり強要だった」「合理的配慮提供を拒絶された」状況だと主張する元社員の女性の携帯電話のメールなどが提出された。

一方で、被告会社側弁護士は、控訴答弁書を提出していたが、原告弁護団からのさらなる主張に対しては新たな反論を行うことはないとした。

一審で「障害者も努力を」とされた、障促法4条について

 原判決は、障害者雇用促進法4条の解釈を誤っている。
 確かに、同条は、障害者自身に対し「職業に従事する者としての自覚を持」つこと、「自ら進んで、その能力の開発及び向上を図り、有為な職業人として自立するように努め」ることを求めている。
 しかし、これは、障害者に対して”障害の克服”すなわち”生きにくさの解消”を求めているものではない。
 4条のいう障害者の義務とは、同法第3条の“労働者である障害者は、経済社会を構成する労働者の一員として、職業生活においてその能力を発揮する機会を与えられるものとする”を前提とするものであり、「能力を発揮する機会」つまり合理的配慮を提供されていることを前提として、「有為な職業人として自立するように努めなければならない」とされているものである。
 (中略)4条は「合理的配慮を提供されたその先」について、労働者に職業人としての自覚に基づいた研鑽義務を課すものであって、合理的配慮提供義務の範囲を確定する手がかりとなるものではない。

控訴理由書

一審で「就労能力向上」とされた、ブラウス着用について

 問題となる障害とは、控訴人に即して言えば、”ブラウスを着用することができない”ことであるが、これが障害となるのは、”ブラウスを着用しての仕事が社会で広く行われているため、ブラウスを着用できないものは事実上就労に制限が加わることになる”という社会構造があるためである。
 したがって、被控訴人が負う合理的配慮の義務とは、「ブラウスを着用しての仕事が広く社会で行われていること」を解消すること、少なくとも被控訴人の事業の範囲においては、周囲への周知を通じ、ブラウスを着用していなくてもそれを白眼視しない環境を整備することによって控訴人の就労への事実上の制限を解消することである。
 本件では、まず、被控訴人がこのような措置を行ったかが問われなければならない。この点はそもそも原審において争点となっていないが、少なくともブラウスを着用しないでする労務提供を認めることや、そのことについて周囲に周知することは容易に可能であるから、「過重な負担」という観点から、被控訴人が合理的配慮の義務を尽くさなかったことが正当化されることはない。
 この単純な構造が、本件であるべき判断である。
 付言するが、被控訴人がした、控訴人が障害ゆえにできない“ブラウスの着用を勧め”る行為は、それ自体差別的かつ暴力的なものであることを認識することが必要である。
 (中略)原判決のように、被控訴人が控訴人に対し”ブラウスを着用を勧めた”行為を認定したのであれば、そのこと自体をもって、合理的配慮を尽くしたどころか、それに真っ向から反する障害者差別・パワーハラスメントがあったと認定しなければならかったはずである。
 ところが、原判決は、そのような認定を行うどころか、むしろ「原告の社会人(職業人)としての業務遂行能力の向上(就労の機会の拡大)につながるものといえる」として積極的に評価した。これは、単なる判断の誤りを超えて、原審裁判所自身が、障害者差別・パワーハラスメントに与するものとの非難を免れないものである。

控訴理由書

一審で「信用できない」とされた、元社員の日記について

控訴人のmixi日記は、控訴人が自身の高次脳機能障害に由来する記憶障害を補完するため、控訴人が忘れてはいけないと思った自身の言動や他者の言動、及び、それらに対する控訴人の考えについて、その場で手書きのメモをとり、帰宅後、多くはメモ作成当日、遅くともメモ作成翌日に、携帯電話またはパソコンを使って文書化し、掲載しているものである。すなわち、構造的に、知覚・記憶・叙述・表現過程の正確性が担保されている。一方で、会社側証人である上司については、当時日々の日記をとっていたわけではなく、6年半から8年半も以前のことについて、記憶のみに頼って文書化・供述している。構造的に、知覚・記憶・叙述・表現過程の正確性は一切担保されていない。
 “日々・その場で取っていたメモに基づいてする話”との正確性と、”6年半から8年半前のことを思い出してする話”を比べたとき、後者が前者より信用できるとする根拠は、通常存在しない。にもかかわらず、原判決が、前者より後者を信用した根拠は、原告について「記憶力に障害がある上、……発言内容が仮に正確であったとしても、……それを正しく理解せずに記載していると認められる」と認定しもしくは評価したことにある。すなわち、原判決は、そもそも原告について、その障害故に、信用ができないと決めつけたうえで、事実認定を行っているのである。この、原判決が有する差別性、その予断こそが、当審では正されなければならない。

控訴理由書

強要や配慮拒否を示すメール

・会社関係者が女性に送った「明日は承知しました」「今日、16時に、ショッピングセンターで待ってます」というメール

この2通のメールから、この会社関係者は女性が会社に着ていく服を選び購入するのを監視するのを、会社の勤務時間内の業務として行っていた。

・女性が会社の業務指示者に送ったメールでは「家でも洗えるジャージみたいなジャケットを買いにいくつもり」だったが、購入に同行した会社関係者から「会社では県庁に行く服装は許されない」と言われたため、購入する予定でなかったスーツ様の服を購入していた

会社関係者は、女性が購入する服の選択を強く制限していた。女性は、着れば明らかに体調が悪化することがわかっているブラウスやスーツを、勤務時間内に、会社関係者に付き添われ指示を受けながら、自費で購入させられていた。

・会社の業務指示者の送った「(女性は)権利ばかり主張するやな障害者にすでになっている」「完成形。しかもスーパーウルトラクラス」「反感をかってしまっていてなにもできない」「手短に言うと、(女性は)めんどくさいとかだとおもいます」「意見よりきらわれていることをなおす」「それからでないとすすめない」「できないことをできないというのも、言い方次第では相手を追い詰めてしまう」「よくあるのが、医師がそう言っているから…など」「謙虚にいかないと、私はこうだからしかたありません。あとはあなたたちが配慮してください」「これでは何とかしたいとこっちを向いてくれている人にも不快感を与えます」といった一連のメール

会社の業務指示者が、女性の障害への理解や配慮を推進するどころか、そのような主張を抑え、女性が周囲に下手に出るような言い方をするよう努力すべきである、と考えていた。

会社取締役の考え方

・会社の業務指示者が女性に送った「会社取締役からメールきてました」「すごく誉めてましたよ。よくやってる、成長してついてきてくれとるって」というメール

会社取締役は、障害により着られる服が制限されブラウスやスーツを着られない女性が、体調悪化を圧して着たことを、会社取締役自身の考えに照らして「成長してついてきてくれ」ていると受け止め、評価した。

・会社取締役は女性が体調悪化して休職した後、復職に向けた五者面談で、「個人の障害を持たれていることと、会社の中でどういうふうに行っていくっていうことは、僕は全く別だと思っているんですよ」「(筆者注・自由な服装が認められた)以前はこうだった、こうだったっていうようなことをおっしゃられて、ちょっと心外。僕らは今ですもんね、今」などと発言。会社取締役の発言を聞いた臨床心理士は、「特例子会社。障害者を雇うという視点はどこにあるんだろう」と疑問を呈す。会社取締役は「特例子会社だからというような視点は、僕の中では薄いかもしれないですね」

原告弁護団は、「会社取締役の障害のある労働者の雇用に対する考え方は、障害の克服について、障害のある個人に自ら抱える欠損を埋め合わせ、欠損のない者と肩を並べられるように努力すべき、という、まさに障害を欠損とする個人モデルそのもの。障害者雇用促進法では障害の捉え方は個人モデルではなく、障害のありかを社会構造に求める社会モデルに立っているため、会社取締役や原判決の障害に対する考え方は誤り」と批判。

高次脳機能障害の女性のいまの思い

原告である元社員の40代女性は意見陳述で、自身の障害と、求めた配慮について、上司が交代するまでは認められた配慮が、上司の交代で認められなくなり、体調悪化し休職し、退職を余儀なくされた経緯を、淡々と述べた。

私のような障害者は他にもおり、泣き寝入りしている人はたくさんいる。
障害者の働く場所は限られている。働かせてもらえるだけましだと卑屈になっている。
会社が合理的配慮をしていたのではないと証明することは極めて困難。
しかし、症状がこれほどまで悪化したことそのものが、実際には私にとって会社がいうところの合理的配慮は虐待のようなもの。
私は、自分の力で働き、自立した生活をしたいと願っている。
特例子会社は、あらゆる障害者にとって数少ない働く場所で、大切な居場所。
私のような苦しい思いをする障害者がいなくなることを願っている。

女性の意見陳述
控訴審後の原告弁護団による報告集会(2月8日筆者撮影)

閉廷後、原告弁護団は報告集会を開き、女性は述べた。

私は「甘えたくて」障害の説明をしているのではない。「楽をしたくて」できないと言っているのではない。必死に頑張っているけど、それでもどうしても出来ないことがある。見た目でそれはわからない。今までやってきた努力と訓練で見つけてきた、自分に合わせた対処法を取ればできる。それを理解して、合理的配慮をしてほしいから、つまり、自分に合わせたやり方で取り組む事を認めてほしいから、他人にできるのに自分に「できない」なんて辛くて言いたくないけど辛くても「できない」と伝え、症状について説明をしてきた。
前身会社では受け入れてもらえたのに、被控訴人会社になってから、それはわがままだとされ、障害を治す努力を求められた。「悪化してもいいからやれ、何かあったら俺が責任を取る。俺を信じろ。悪化が怖くてグズグズ言うなら切る」という脅迫をされ、従わざるを得ず、ここまで悪化してしまった。
これが、障害者への支援や配慮だと言えるのか? 潰れたら切り捨て、次の障害者を雇う、会社は困らない。でも、障害者一人一人の人生を狂わせている。
こんなことが許される社会であってはならない。障害者が安心して働ける社会になってほしい。そのためにまず私の声を社会に知ってもらいたくて裁判にした。

報告集会での女性の発言

(5月21日追加)「強要や配慮拒否を示すメール」「会社取締役の考え方」パートと、報告集会の写真を追加。

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